ケニヤの日々

ケニヤ便り   アドベントを迎えて 2006.12.25
コイノニアとキューナのクリスマス。
アドベントが始まったばかりですが、コイノニアとキューナはクリスマスの祝いをしました。
コイノニアのクリスマスミュージカルは「イエス様の誕生パーティー」
宿屋の主人夫婦が忙しい一日をやっと終えて12時過ぎに休もうとしたところに、ドアを叩くヨセフとマリアがいました。二人を馬小屋に案内して休もうとするとまた、ドアを叩く音です。ヨセフがまた小さい毛布を借りにきました。
しばらくするとまた ドアを叩く音、今度は羊飼い達がドアの外に立っていて、ヨセフとマリアを探しているというのです。裏の馬小屋にいるから、と返事をします。するとまたドアを叩く音、今度は立派な博士達です。「裏の馬小屋」といいます。寝ようとすると、なにやら歌声が聞こえてきます。そっとのぞきに行くと、たくさんの人々と動物達が歌って踊っています。宿の主人も驚きながら、生まれたばかりの赤ちゃんの誕生をおいわいしました。
最後は舞台で49名のコイノニアの子供たちが、「イエス様のお誕生日のパーティーにいらっしゃい、遅れないで、」と歌って踊りました。
キューナのミュージカルは「一番小さな天使」というミュージカルです。
神様が天国で、天使達に、地上へ行って「私の息子が生まれるのに一番ふさわしい場所を探してくるように」といいました。天使達が出かけようとすると、一番小さな天使も一緒に行きたいといいます。あなたはこの仕事をするには小さすぎるから待っていなさいといわれてしまします。
大きな天使達は、アメリカのインディアンのところ、ハワイ、スペイン、スイス、中国そしてケニヤへ行きます。どこも素晴らしいところでした。それぞれ自分の訪ねた国が一番だと確信して天国へ戻り神様に報告します。神様は 「どこも素晴らしい所だ、しかし、貧しい人々、希望を失っている人々が、新しい希望を持てる場所に私の一人子を生まれさせたいのです。もう一度探しに行きなさい。」そこへ一番小さな天使が息せき切ってやってきます「ごめんなさい、おこらないで、みんなのお手伝いをしようとおもって私も地上へ行ったの、でも遠くて疲れてしまって、馬小屋に落ちて、そこで眠ってしまったの」これを聞いた神様は微笑んで言います。私の一番小さな天使が快くゆっくり休めた場所ならばきっとそこが私の一人子にとって一番良い場所に違いない。馬小屋にこの子を誕生させよう」といわれました。
 “全ての星が輝くことのできる一つの空がある、それぞれの星には特別に用意された場所がある
  私達は皆一つの家族の一員です
  羊飼い達が子羊をささげたように、私達もこの歌をささげます
  私達皆が分かち合う事のできる地球がある
    お互いをおもいやるならば、全ての人々が満ち足りる事のできる
    たった一人の救い主が、クリスマスのひに お生まれになった
    博士達が贈り物をささげたように、私達もこの歌を捧げます
  ハッピーバースデー、イエス様、世界中の子供たちから、ハッピーバスデー 
  私達が世界のどこから来ていようとも、また貧しくても お金持ちでも それは問題ではありません。
  確かな事は 「イエス様が、あなたを愛してくださっている」ことです。
最後に子供たちが歌った歌です。
これが今年のクリスマスのメッセージです。キューナとコイノニアの子供たちが、このメッセージを世界中に伝える天使となる事を祈っています
ケニヤ便り 2006,10.20
 「スラムって思ったより平和なんですね」、日本から訪れる人たちはたいていそうおっしゃいます。しかし明るい陽の下に子ども達の生活を脅かす大きな影があります。レイプ、性的虐待、親からの暴力のなど子ども達が犠牲となる脅威。また子ども達が犯す暴力、障害行為、性的行為、盗みなどです。コイノニア・アカデミーでは今まで何度か、ソーシャルワーカー、カウンセラーを招き、子ども達、父母対象にセミナーを開いて問題と取り組んできました。最近コイノニアからトイレトペーパーや鉛筆削りが消えた事件がありました。子どもたちがキバガレ・スラムで小さなお店からアボガドを盗んだという通報があったりしました。これまでも幼稚園の物を持って帰った子供はいます。そのたびに子ども達をさとし、罪を認め誤る事、悔い改めて二度としないことを教えてきました。しかし、小さいものであっても、盗みを繰り返す子どもがいる事が職員会でも話し合われてきました。そして警察官を招いて、子どもたちにスラムで彼らが巻き込まれる犯罪について話をしてもらうことになったのです。先週地元の警察の警部がコイノニアへやってきました。ケニヤで警察官は一般的にはあまり好かれていません。賄賂を要求するし、すぐ殴るいやな奴というイメージが小さな子どもたちにまで刻まれています。制服を着たその警部を連れて私が集会室にはいると、子どもたちの表情がさっと厳しく変わり、しんとなりました。ところが、警部は穏やかに、丁寧に、ケニヤ風に長々とあいさつをし、一人一人の子どもに握手をして回りました。握手をされた子ども達の顔が緩み、笑顔に変わってゆきました。そして彼はなんと、エペソ人への手紙6章1〜3を読んで話し始めました。「子どもたち、主に結ばれている者として、両親に従いなさい。・・・」子ども達がさらされる誘惑について、盗みをすればどうなるか、人を傷つければどうなるか、ということを穏やかな口調で、やさしく、ジョークを交えて語って聞かせてくれました。子ども達はすっかりリラックスして、質問攻め。「泥棒を見つけて警察に通報したら仕返しされるのがこわい」といった男の子に、「大丈夫、君が通報したということは絶対秘密で、だれも言わないからね」といった具合。すっかりその警部が好きになり、最後に「大きくなったらポリスになりたい人」と聞くと全員が手を上げたのに先生達も笑い顔。先生たちは子供達一人一人が正しいことを知り行動する事ができるように、また正義のために生きることのできる大人に成長するよう祈りつつ日々子どもたちに向き合っています。
その人気の警部は、警察学校で長年教えたことのあるクリスチャンで、よい人材を備え、祝福された時を備えてくださった神さまに感謝しました。
ケニヤ便り  2006年9月22日
コイノニアでの戦い

部族社会の中で人々が生きていた時代のアフリカは、部族の習慣と長老を中心にした社会で、秩序がありおきてがありました。その中で子ども達は守られ、育てられていきました。家庭があり、その中でしけられ、部族の習慣が受け継がれていました。
しかし、独立後、部族社会を超えて国を建てるために、人々の生活が変わりました。また自給自足の生活から、子ども達に教育を受けさせるために金銭を必要とした生活となり、人々が多く町へ流れるようになりました。伝統的な部族中心の社会は崩れていったのです。そして、職を求めて町に出てきた人たちによってスラムが形成されてきました。スラムには部族社会が持っていた人情が残っていますが、長老達によって保たれていた部族内の秩序や規律が存在しません。
その結果を一番顕著に表しているのが、性の乱れと家庭の崩壊です。
正式な手続きなしの結婚は、ただしばらく一緒に暮らす家族、母子家庭を生み出してきました。
自分を守るために、簡単に嘘を付く大人達、家庭内での暴力は日常茶飯事。父親の違う妹や弟が生まれ、母親は近くにいても夜は別のところに寝泊りしている。父親は同じ村の中にもう一つ別の家庭を持っていて、気に入らない事があれば母を殴る蹴る。こんな生活の中で暮らしている子供たちに、愛に満ちた家庭を築く事を願って欲しい。正しい性教育を子ども達に与え、自分を大切にすることを伝えたい、と願ってきました。しかしこれは願いで終わるものではありません。子ども達にこの事を伝える事は、スラムでの生活に対する挑戦になります。
聖書の時間には、神さまが人間に与えた男と女の姿、神さまが望んでおられる結婚のあり方を教えます。理科の時間は性教育、生命のサイクルを教えます。また、子ども達に教会での結婚式のビデオを見せました。あらゆる機会を通して、どんな大人になりたいか、どんな家庭を持ちたいか、結婚したいかなどを話し合います。子どもたちはミスター市橋とミセス市橋みたいになりたい。結婚して子どもがいてそして、ずっと一緒に暮らしたいと離すようなって来ました。が、ある時一人の生徒が独身の先生に「先生はなぜ結婚しないの?」と尋ねました。先生は「まだ一生涯一緒に生きる人が見つかっていないのよ?」と答えると、その子は「近所の男の人たちに結婚して!結婚して!て言えばいいのに、そうしたらすぐに見つかるよ」と言ったのです。悪気はありません。ただ彼は自分の母親や姉がしていることを言ったまでです。先生たちはショックを受けました。こんなに色々な試みをしてきても、子ども達の中に深く根付いている親達の生き方は大きく影響している。責任を取らない男女関係、結婚とはお互いがそう呼んでいるだけで、なんの拘束力も責任も伴わないのが当たり前という子ども達の考え方を変えることはとても難しく時間がかかる事だと、深く思わされたのです。
コイノニア・アカデミーでは 子ども達が意欲的に学び、日々成長が与えられています。
入学当時はトイレも使えなかった子ども達がマナーを身につけ、英語をまったく知らなかったのに、4年目には英語の本を読み、百科事典を見て色々な調べごとが出来るまでになりました。何よりも、素直になり、自分の思いを自由に表現できるようになってきたことは大きな喜びです。しかし、子どもたちの行き方が変えられなければどんなに知識や技術を身につけても、主の御用をするキリストの弟子とはならないのです。私たちの長い戦いは続きます。
サンブル・ミッション 2004年7月4日
1年ぶりにケニヤ北部のサンブル地方へ行ってきました。キシマと言う小さな町を中心に住むサンブル族の教会とキューナ教会は、共同プロジェクトを持っています。
私達の教会にこの地方出身の人たちがいます4年前から深刻な飢餓状態があり、教会から援助のための物資を届けに、私とバエ牧師が出かけていったことが始まりでした。そこで出会った、レパリオ牧師と教会と新しい関係が生まれ、宣教と生活向上のために協力し合うことになりました。これまで、数回のミッションで、教会の兄弟姉妹と共に計画、実施、評価を重ねてきました。トイレを作ること、農業を始めること、伝統的家の作りを改善して、病気を防ぐことなどです。
これは簡単なようでとても難しいことでした。サンブル族は元々、牛ややぎを財産として草を求めて遊牧の生活をする伝統を持っている人々です。しかし、だんだん遊牧できる地域が狭まり、水を求めて少し移動する中でも、他の部族との接触が問題を起こしたり、定住者が増える中で行き場を失ってきています。
レパリオ牧師と看護婦である奥さんのエスタさんは、教会を作りながら熱心にこの古い伝統と戦いながら人々の生活向上に尽くしてきました。
 キューナ教会は,この1年はコイノニアの設立と運営に忙しかったことと、資金面で,サンブルまで旅をする予算が取れなかったこと、またサンブルまでの道が治安が悪く、警察の護衛無しでは行き来が難しかったとこなどの理由で、こちらから出かけることはありませんでした。なかなか現地と連絡の取れないことにやきもきする中、レパリオ牧師がオートバイ事故で入院しているとの噂も伝わってきました。
 しかし、6月初旬にレパリオ牧師がナイロビへやってきました。以前私達がナイロビから持っていった種を植えて,農業を始めた人たちが,収穫を得ている。伝統的な慣習にとらわれず、病、貧困をなくすために生活様式を改良しようとする人々が増えてきた、教会がこれまで出属していた大きな団体から独立し、サンブル・クリスチャン・フェローシップと名前も改め、すでに14の教会を建てて伝道しているから,是非見に来て欲しいと語りました。
22日ナイロビから北に向かい、途中で象の群れに出くわし、シマウマやキリンを見ながら、7時間かかって目的地に着きました。
レパリオ牧師の報告通り教会の人々が豆や、とうもろこしを収穫していました。これは飢餓から人々を救う大きな役割を果たしています。伝統的な家の建て方を変えて、人間と動物が別々に寝るように、台所は別にして、換気を良くしました。このような改良が、健康の向上に貢献しています。エスタ夫人が、訪問をして健康状態をチェックするようになったために、早期発見ができるようになりました。教会も活気があり、ご夫人達が私達の3日間の食事を全て作ってくださいました。
しかし、これまでに頑固な長老達の反対にあったり、妨害に合いながらも、あきらめずレバリオ牧師について、生活向上のために新しい試みに取り組む人々が起こされてきたことが大きな進展であることが良くわかりました。
これからの課題は教育です。一つは文盲率が高いために、聖書を読むことができない人々が多いこと。エイズなどの知識が全くないために、エイズが急激に増加していること、等、成人に対する教育の遅れが、この部族の将来にとって深刻な問題になっています。今後は伝道、農業だけでなく幼稚園の教師の要請、エイズに関するセミナーの実施などに対しても協力しつつ取り組む展望が与えられました。
今回は、キューナ教会から5人が出かけましたが、その中に2人のキバガレ・スラムに住む青年達が同行しました。彼らはいつも自分達の貧しさの問題に縛られていますが、もっと貧しく、厳しい生活を強いられている人々に出会ったことで、目が開かれ、大きな発想の転換が与えられたことも大きな収穫でした。
ケニヤ便り 1    2003年7月27日レポート

金曜日に、コイノニア幼稚園の保護者会をしました。
子ども達がこれまで作った作品や、勉強したものをそれぞれの親達に見せました。
これを見て、全てのお母さん達が先生たちに心から感謝を述べていました。父母達もこの幼稚園は他のスラムにある幼稚園とは全く質が違うことがはっきりわかってきたようです。また、日々の先生の子ども達への関わりが本当に子どものことを考えて、愛情を持って、一人一人を大切に扱っていることがわかってきたようです。そのことがお母さん達の話の端々から伝わってきました。
子ども達が英語で歌を歌い、英語の短い劇をしました。とても良く出来て感動しました。
1月から始めた幼稚園ですが、子ども達が、集中力が無く、理解力も記憶力も普通の幼稚園の同年齢の子どもに比べるとかなり劣っていること、また、生活環境がスラムであることから、周りの大人たちの悪い生活習慣を見、悪い言葉を真似し、しつけがとても難しい子ども達であることが大きな課題でした。しかし、先生たちの忍耐と、愛情によって、子ども達が変わってきました。最近では、教えられたことを記憶すること、生活の中で応用することができるようになってきました。また、英語も一生懸命に使おうとするようになりました。
8月は休みになりますが、休みになると幼稚園の給食が無くなり、とたんに充分な栄養を取れなくなる子ども達がいることがわかり、教会の夫人達が休み中の給食を考えました。教会の夫人達が材用を用意し、園児の母親達が作ると言うプランです。
このことを母親達に話すと、皆積極的に関わる意志を示しました。4週間の当番をその場で決めました。この積極的な態度の背景には、幼稚園に対しての感謝の気持ちがあることは明らかでした。これで幼稚園側と家庭との協力関係を築くことができると思い、とても期待してしまいます。次はこの約束を皆が何処まで真剣に受け止め、実際に料理のために集まるかです。その日暮らしが身についている人々ですが、責任を持ってかかわってくれることを、不安もありますが期待しています。

教会の夫人達は、材料の寄付を集めることに今一生懸命です。
この給食は、キッズクラブに集まる小学生25名にも支給するので40人分となります。予算は約3万5千円です。
このうちどれだけが寄付で集められるか、現在奮闘中です。
このプロジェクトは、他のNGOがやっているようなフィーディングとは違います。なぜなら、一方的に与えるのではないからです。親達がボランティアで働き子ども達に食べさせます。
普段から仕事が無く、貧しいお母さん達です。報酬を求める声が出ることも予想しましたが誰も報酬には一切触れず、奉仕することを申し出ました。
これが成功すればすごいことです。
ケニヤ便り 1    2003年6月1日レポート

コイノニア幼稚園健康診断。
3月22日土曜日に、コイノニア幼稚園の子供達の健康診断を行いました。診断してくださった先生は、公文和子先生です。クリスチャンで、日曜日の日本語の聖書の会に出席され、キューナ教会の礼拝にも出席されている女医さんです。公文先生は国際協力事業団から派遣され、ケニヤ医療研究所で働いておられます。彼女は北海道で小児科医をされていたので、今回の健康診断を快く引き受けてくださいました。当日は、子供とお母さんに幼稚園に来てもらい、家族の背景を詳しく聞きました。それから子供達の体重身長を計り、先生の診察を受けました。体重と身長はほとんどの子供が、平均以下です。15人中3人は栄養失調でした。お腹が大きく、便秘や、下痢が多い子供たちはほとんどお腹に虫がいることが疑われます。これは疑いではなく確実な事のようです。お母さん達と話しをしながら、基本的な栄養指導も行いました。日本のお母さん達ならば常識として、知っていることです。まず手を洗うこと、野菜を食べさせること。毎日食べさせること。などを伝えました。
15人の子供達のうち13人がお母さんとやってきました。2週間前には父母会をし、授業参観もしてもらいました。14人の子供の親達が集まりました。子供達の教育に対する家族の熱意を感じました。そして親達が皆先生たちに感謝していました。子供達が幼稚園が楽しくて仕方なく、毎日親を起して、登園の用意をさせるそうです。健康診断の結果を検討し次のステップを検討中です。
この健康診断によって、親たちとも少しずつ良い関係が築き上げられつつあります。
伝道の展開につながることを祈っています。

ケニヤ便り 2

幼稚園児マイナクン
マイナクン5才は、一番栄養失調が激しく、見かけは2歳半か3歳の体型、お腹が大きくふくらんでいます。肌はがさがさ。それでも幼稚園の先生たちの話では2ヶ月前の入学当初はもっとお腹も大きく、肌も乾燥し汚かったと言うことです。
しかし、彼の精神的成長や、知能の発達は5歳児です。しかも、クラスの中でもとても賢く、先生の言うことを良く理解し、考えて行動できる子供です。3週間前に、マイナクンは食欲が無く、咳をし、病気でしたが毎日幼稚園に来ていました。その時のことを健康診断の時にお母さんに尋ねると、彼が具合が悪かったことを全く気ずいていなかったと言うのです。毎日何を食べさせているかと言う問いには、あまりはっきり答えません。マイナのお母さんはシングルマザーで仕事が無く、マイナを含め5人の子供達と暮していますが、子供達に食べ物を与えられない日もしばしばあるようです。子供達の状態にはほとんど関心が無いようです。幼稚園に入学してからの2ヶ月の彼の健康、社会性、英語を覚えたことなどの変化を全く知りません。知らないと言うより、気にとめていないようです。お母さんには、彼のような賢い子供が与えられていることは、神様があなたを祝福していることで、特別な恵みなのだと話しました。そしてどんなことをしても、一月200シリング(400円)の学費を払う努力をするように、励ましました。彼が教育を受ければ将来キット彼が家族を支えることが出来るから、そのことに期待して生きるようにと話ました。彼女がこのことをどれだけ理解したかはわかりません。今日食べられるかどうかが問題で15年後マイナが家族を支えられるかどうかを考えることが出来ないのです。これがスラムで生まれた子供達とお母さんのの現実です。

ケニヤ便り3

コイノニア・キッズ・クラブ(1)
ケニヤの学校のイースターホリデー(春休み)に、コイノニア・コミュニティー・センターで、小学生を対象にした、ホリデースクールを開きました。今回は始めての試みでしたので、2週間だけのプログラムでしたが、良い成果が与えられました。
スラムの子供たちは学校が休みになると、家の手伝いをし,それが済むとやることが無く、その辺を友だちとぶらぶらし始め,そのうちに街の中心へ出るようになり、ストリートチルドレンになるきっかけを作ります。中には,収入が無いために,親が子供をストリートに送り,物乞いをさせます。学校の休みに,ストリートチルドレンになるきっかけを作らせないために、子供達を集めてプログラムをすることにしました。
1、イエス様が子供達一人一人の救い主であることを伝える。
2、普段の学校では経験できない楽しいプログラムを提供する。それによって子供達が新しい発見をすることが出来るよう。
3.社会の中で通用する人間として必要な、しつけをする。
4、助け合うことを体験を通して学ぶ機会を与える。
5、基本的保健衛生教育を行う。
等を目的として行いました。
参加者は教会の礼拝に来ている子供達でしたが,初めから20人と限定し、申し込みの日に、親が記入した申し込み用紙を持参した子供達に限りました。17人の子供達で始まりました。申し込みに遅れて入れなかった子供達や、その後参加している子供達から話しを聞いて毎日沢山の子供達がセンターにやってきましたが、今回は、遅れてきた子供達をあえて入れませんでした。これも、決められたことを守ることを教えるためです。
プログラムは,毎日チャペルタイム、と健康ワンポイントの時間があり、その他は絵画、クッキング、畑を作り、科学の実験、空手、フィットネス、音楽、ゲームなどでした。チャペルタイムは、キューナ教会の牧師先生たちが担当し、「あなた方は神様から愛されている特別なひとりひとりです」と言うテーマで毎日お話がありました。健康ワンポイントは、スラムでの衛生環境を考え子供達が知っておくべきことを、毎日楽しく教えました。手を洗うこと、トイレの使い方、うんちの話、飲み水、等など,絵を使い具体的例話を取り入れて,実践的な話でしたので,子供たちは楽しみながら多くを学んだようです。その他のプログラムは,どれも子供達の興味をかき立て毎日皆楽しみにやってきました。
プログラムの最後は使った部屋とトイレの掃除でした。スラムの子供たちは、家の手伝いは良くします。しかし、人と助け合うことが下手です。出来るだけ楽をしようとずるをしたり、すぐに人のすることにケチをつけたり、非難したりすることは得意ですが、何かを一緒にすることが出来ません。ですから全てのプログラムをグループごとに行い、助け合うことをあらゆる機会を通して教えました。2週間終わって、一人一人の子どもたちが何かを感じ始めたことはわかりました。これからは、この子供達を放課後集めて,勉強の補修や、楽しいアクティビティーをするプログラムを考えています。

ケニヤだより  2003年2月6日

2003年1月は、コイノニアコミュニティーセンターが動き出し、忙しい毎日です。
実際の運営費などはまだ、すポーンサーを見つけるところまでは行かず、キューナ幼稚園の援助に頼っています。
これから、幼稚園と、それに関わる人々への健康ケアなどのプログラムが展開していく中で、具体的な活動を紹介しつつ、スポンサーを探していくつもりでいます。
以下は近況報告の一環で、コイノニア幼稚園のことを書きました。
スラムの問題に関われば関わるほど、人々の心に関わらずにはできない仕事だと痛感します。そしてそれがどんなに難しいかも日々痛感しています。それでも、小さな人々の心の変化や生活を変えようとする小さな試みに触れる時に励まされています。


コイノニア幼稚園スタート
コイノニア幼稚園は、定員15人に対して、15人でスタートしました。
一番最初の難関はどの子どもを入園させるかを決めることでした。
できるだけ貧しい家庭環境にあり、他の幼稚園には行くことができない子どもを入園させたいのですが、どのようにその子どもを選んだらよいかが問題でした。入園希望者が殺到したのです。スラムから来る子どもたちは皆貧しいのですが、その中でも、何とか親が仕事を持っている家庭はそれなりに生きる道があります。入園希望者の親と、子どもに一人一人面接をしました。中には文字が書けずに申し込み書も、こちらが面接しながら書いた人もいました。一人一人の親と話しながら生活状況を把握し、また、この幼稚園の目指すところをはなしました。また、無料ではなく毎月200シリングを払うこと、しかし、子どもは200シリング以上の教育とサービスを受けられることを時間をかけて話しました。20人面接し終わるころは頭がガンガンしてきました。さて、本当にコイノニアが受け入れるべき子どもは誰なのか決めることは至難の技でしたが、心を鬼にし協議の結果15人を選びました。スラムの子ども達の教育
第二の問題は言葉の問題でした。英語での教育が大きな柱ですが、子どもたちは驚くことに、ドッグという英語さえ知らないのです。犬は知っていて、スワヒリ語では知っています。ナイロビでは英語は何処ででも耳にしますが、この子達はスラムの中で生まれ育ちほとんど外の世界と接触がないので、スラムの乱れたスワヒリ語と、親が話す部族語しか知りません。英語とスワヒリ語の2言語で全てのプログラムを行うことはケニヤ人の先生にとっても大きなチャレンジです。
3週間たって一番心が痛むことは、15人のうち10人はこれまでスラムの中の幼稚園と名の付くと所へ言った経験があります。そこで先生とは恐い人、すぐぶつ人というイメージを植え付けられていることです。
先生の言うことを聞かない子どもを注意したり、友だちに対する意地悪な態度を正したりすると、子どもたちは注意されたことを理解しようとする以前に、先生が自分を嫌いだから注意すると受け止め、瞬間的に自己防衛の態度を示します。そして、先生の言葉に耳を傾けようとしません。
愛情によってしつけられたり、教えられた経験がないのです。家庭でも親は毎日食べていくだけで精一杯で子どもをしつけるどころではないのです。そのような子ども達に、決してあきらめず、悪いことは悪いと教えつつ、励まし、語りかけていく毎日です。
一人一人の子ども達に愛されていることを伝えることが一番大きな使命ですが、一番大きなチャレンジです。
しかし、先生たちも、一人一人の子ども達の個性や、性格を毎日発見しつつ、子ども達への愛が増し加えられていることは感謝です。最初の15人に良い基礎が築ければ後は積み重ねていけばよいのですと、励ましあっています。

コイノニヤ幼稚園
栄養不良
入園面接の時、子ども達を見ると、とても4歳5歳には見えない子ども達ばかりでした。学費が払えなくて学校を追放された子ども達。教会で毎日曜勉強を教えている。
出生証明書を、普通の子どもは持っていて、小学校入学の時には必ず見せなければなりません。ところがスラムの子どもたちは誰一人出生証明書をもっていません。しかし、何かによって子どもの年齢を証明しなければ入園を見とめられません。生まれた時、スラムの中のクリニックが母親に渡す、カードがあります。それがあればナイロビ市の予防注射が受けられます。そのカードを明示してもらい、子どもの年齢を確認しました。
しかし、ほとんどが、キューナ幼稚園の同年齢の子ども達の平均よりかなり小さいのです。デビッドは5歳ですが、2歳半くらいの身長です。最初の1週間は幼稚園に来ても元気がありませんでした。しかし、毎日朝に、おかゆと、給食をたっぷり食べるようになってから、顔に輝きが出始め、声もちゃんと出るようになりました。友達とも庭で走り回るようになってきました。他にもそんな子ども達がいます。何人かは朝、登園前に何か食べてきますが、何も食べずに来る子ども達もいます。
給食はケニヤ料理ですが、もし、目の前に食物があれば、満腹かどうかはお構いなく、全てがなくなるまで食べつづける子どもがいます。反対に、少し食べるともう食べられなくなってしまう子どももいます。多分いままで一度に沢山食べたことがないので胃が小さいのです。少しずつ食べられる量が増えてきました。それぞれの食欲、食べる態度を見ても家庭での食生活がうかがわれます。
3週間前には栄養失調のためにお腹がパンパンに張っていた子ども達のお腹が少しへこんで来て先生たちは喜んでいます。

以上2003/2/6到着レポート

ケニヤだより  2002年10月6日

コミュニティーセンター

キューナ教会が礼拝を守り、週日幼稚園をしている場所は、日本の多くの方々の献金や、ローンによって購入した土地と建物です。
キューナ教会が大家で、幼稚園はこの場を家賃を払って借りている形をとっています。(教会がこの家賃から、日本のローン返済をしています)
最近教会が少しずつ成長し、また、近隣スラム、キバガレからの子供達や青年達が増え、週日に活動をする必要が出来てきました。しかし月曜から金曜は、幼稚園がフルに使っていて、その他の活動をするお余裕がありません。教会は、近所に家を借りて、新たな働きを始めることを決め、家を探し始めました。最近は治安の悪さや、選挙前で、外国人が減り、空家が多くあるのですが、なかなかこちらの用途に合う家が見つかりませんでした。また適当な家があったのですが、家主が、教会の活動のためと聞くとノーと言われてしまっていました。先週、ちょうど教会がある、住宅地と、キバガレ(スラムの)分岐点に当たる場所に一件空家を見つけました。大家さんは、ケニヤ人の未亡人で、たくさん家屋を持ち、手広く商売をしている人です。祈りつつ、彼女に会い、牧師のオフィス、祈祷会、聖書研究の集まり、カウンセリング、幼稚園その他教会の働きの為に使いたいが、貸してもらえるかを尋ねました。彼女は、「神様の御用に使うのは、素晴らしい、私もクリスチャンでこれまでの人生で、神様はいつも、恵み深く私を良く導いてくださった。家賃は5万シリング(7万5千円)、それでよければすぐに契約をしましょう。」と言ってくださいました。そして、この家の隣に大きな空き地がありそれも彼女の物で、近い将来、そこも貸してもらえることになり、これからの働きが大きく展開する予感が与えられました。
家賃は取りあえず、キューナ幼稚園から払われる家賃から、支払います。
明日月曜日に契約をします。お祈りください。

ケニヤだより   2002年10月5日


キバガレスラム伝道
新たな活動の場が与えられ、教会が新しい歩みを期待をもって始めています。
まず幼稚園は、1月に開園を目標に準備に入りました。先生はすでにキューナ幼稚園で訓練と経験を持った、キマリ先生が園長先生になることがキマリました。これから、入園希望の子供達の家庭調査をし、本当に経済的に子供の教育を受けさせられない家庭の子供を選びます。しかし、授業料はただにはしないつもりです。親達には一月に100シリング(170円程度)は最低払ってもらいたいと思っています。もちろんこれだけではとて幼稚園はやれません。これから、ケニヤや日本から、子ども達への教育費のスポンサーを募る計画です。
良い先生、本、教材も整え、オヤツや給食も栄養価の高いものを考えています。また、定期的に、健康診断をするなど、教育だけでなく、スラムに暮らしているために持っている多くの問題に対しても、取り組む計画です。
もう一つのプロジェクトは、仕事が無い人たちに、パンつくりを教えています。小さいながらもおいしいパン屋さんを開くためです。教会が調理の場所と、オーブンを提供し、小さいビジネスを始めて、自分達の生活を立てるためのプロジェクトです。私の妻サラの作るパンはナイロビ一おいしいと言われてきました。それをこれまでは色々な人々に教えてきましたが、今後は企業秘密になるため、このプロジェクト関係以外には教えません。我が家の台所は、ここ数週間、毎日クッキングスクールが開かれています。先生は、サラの直弟子で、我が家で働いているアリスです。
新しい教会のコミュニティーセンターはすぐにも動き出すことになりそうです。

ケニヤだより 2002年9月27日
キューナ教会から歩いて20分ほどのところにキバガレと呼ばれるスラム地区があります。皆さんにビデオでご紹介したところです。このスラムで起こったある殺人事件に関係したと疑われている兄弟をもった青年がわたしたちの教会を訪れたことがきっかけになり、このスラム地区での伝道が始まりました。この青年の知り合いの子供達が教会へ来始めました。このスラムにあるカトリック教会が経営する学校を授業料が払えないため退学した子供達です。この子供達に教会の青年達が日曜日礼拝前の時間を取って勉強を教え始めました。いずれはスラムの中で塾を始める計画をしています。また、8月3日にスラムの道路の真中にスクリーンを張って、「ジーザス」という映画を上映し、メッセージと交わりを持ちました。200人を超える人が集まり、その中から6人の青年が教会へ来始めました。同じ日に、違う場所でも映画会を催し、参加者の中から教会へ来る人が増えて来ました。来週からこの人たちと聖書の学びを始めます。また、スラムの中にバーがあったのですが今は閉鎖されているのでなんとかこの場所をスラムでの伝道の拠点にできないものかと策を練っています。また、教会へ来る青年達は仕事が無く、近くの住宅地の「ごみ回集日」に出されるごみの中から食べられるもの、金になる物をあつめて、それで生きてきた青年たちです。きのうからこの地域の穴ぼこだらけの道路の補修に呼び集めました。日当を教会が払うことにしました。彼らのお陰で道路が見違えるようにきれいになりました。またこのスラムの幼児を受け入れる幼稚園を開く準備を始めています。キューナ幼稚園と同質の教育を提供すること、スタッフはすでに、キューナ幼稚園で養成してきました。今は、場所探し、月謝を払えない子供達ですから、経営の経済的基盤をつくりあげることです。教会が祈り求めてきたスラムへの伝道がようやく動き始めてきた思いです。
ケニヤだより 2001年11月24日

1、サンブルミッション
今年は4月と、7月に、ケニヤ北部のサンブルを訪れ、貧しさと、医療の乏しさ、教育の乏しさの中で、昔ながらの部族伝統の生活をする人々と交わり、今後ナイロビのキューナ教会がどのようにこの人々を助けることが出来るかを探っていました。
そして、9月に、サンブルで出会った、小さな教会のルーカス牧師から手紙が来て、自分の教会との協力関係の中でサンブルの人々を助けるプロジェクトをして欲しいとの要請がありました。
そして11月突然彼がナイロビを訪れ、さっそく具体的話し合いに入りました。
その結果、まずは母子健康管理に関するプロジェクトを開始することになりました。
ルーカス牧師の夫人は看護婦で、サンブルの小さな診療所で働いています。国立の診療所ですが実際は医者不足、薬不足で思うような働きが出来ていません。
ケニヤ全体の問題で、どの地方も一様国の診療所がありますが、人々の信頼も薄く、実際は余り機能していません。
そこで、まず、ルーカス牧師夫人が、中心になって、サンブルの婦人達に、基本的な公衆衛生、育児、幼児の健康管理の教育プログラムを始めることになりました。母親達の健康に関する知識は大変貧しく、無知のために、子供を死なせてしまうケースもたくさんあります。
具体的には、母子手帳のようなものを作り、定期的に体重を量ったり、検診をする。
少ない水をどう使って子供達を清潔に保つか、ビタミン不足の解消のためにビタミンの多いトマトを、家の前に植えることを教えたり、鶏を飼うことを勧めること。
怪我をしたときの手当ての仕方、消毒の仕方を教えるなど、色々と幅広く考えています。日本であれば中学生でも知っているような常識的なことを教えるだけで、どれだけの命を救うことが出来るでしょうか。
このプロジェクトには、女性達の意識改革も含まれてきます。
サンブルの伝統では、女性は家畜のように働く者とされてます。
水を汲み、家を建て、料理をし、子供を産むのです。人生を楽しむ、子育てを楽しむと言うようなことは余り重要ではありません。厳しい自然の中で生き延びることだけが生きる目的です。
この女性達に、自分達の存在を感謝し、人生を感謝し、喜び、子供を育てることを喜ぶことに手を貸したいのです。
最も大きな問題は、男性達の意識改革にもあります。これは男性達の仕事で、ルーカス牧師と、私達ナイロビの牧師たちが、部族の長老達を説得しなければなりません。幸い、これまでの訪問や、ナイロビでのサンブル達との付き合いで、長老と達とは良い関係が築かれているので、今後の展開に期待が出来ます。
そのために、年明け早々にも再びサンブルを訪れなければなりません。

母子健康プロジェクトは、ナイロビとも連携させこのプロジェクトのリーダーになれる女性たちをナイロビに招き、小児科医、栄養士、看護婦などの専門家を招いて、研修を行うことを考えています。

現在、何が一番必要ですかとの問に、ルーカス牧師は、子供と女性の衣類と答えました。
サンブル地方は、高地で、雨季に入った現在、日中と夜の気温差が激しく、子供達が風邪を引き、それが原因で肺炎を起しているというのです。もし、もう一枚ずつ着るものがあればずいぶん違うと言っています。
もちろん肺炎を治すための抗生物質も必要でしょう。
女性達も布を巻いているだけで洋服らしいものを持たない人々がいます。
教会に誘っても、着ていく服がないと言う女性がたくさんいるそうです。
ナイロビでさっそく古着を集め始めました。
特にキューナ幼稚園の父母が協力して、子供達の服をたくさん集めています。
これを運ぶための車を用立てなければなりません。4WDの車でなければ行けない所なので、今このことのために祈っています。
食料も不十分ですが、政府からの配給で何とかしのいでいるとの事です。

年内にもう少し計画を煮詰め、年明けと共に具体的に動き出すことになります。


2、ストリートチルドレン、エイズ孤児の学校
この夢はまだ実現までに時間がかかります。
現在、どのような教育内容の学校をするかについて、研究中です。
ケニヤには、色々なシステムの教育が持ち込まれ、日本のように文部省の教育要領だけと言うわけではありません。
これまで学校へ行けなかった子供達はすでにケニヤの厳しい受験戦争にはついていけません。しかし、人間として生きるに必要な知識や技術を身に付けこれからの人生を自分で切り開いていけるように助けることの出来る学校を考えています。
何歳からでも始められ、それぞれの能力に応じて、それぞれのスピードで学べるシステムを探っています。
これまでいくつかの学校を見学したり、外国からの資料を探したりしています。
また、実際どこでこの学校を開くか場所の問題もあります。

現在はこんなところです。
キューナの幼稚園は11月30日で今学期を終えクリスマスの休みに入ります。
教育が守られ子供達に成長が与えられたことに感謝です。


市橋


サンブルとは、部族の名前であり、またこの部族の居住地区一帯が、サンブル県となっています。
私達はこの地域の中でも特にマララルと言う街とキシマと言う地域に働きかけをしています。
この地方からナイロビに出稼ぎに来ている人たちが私達の教会にいるからです。

ケニヤだより 2001年9月26日

エイズ1

最近ケニヤ政府がエイズに関して以下のような発表をしました。

1999年エイズウィルスに感染している人が人口2千5百万人の約9%。現在では多分10%を超えている。

病院に入院している患者でエイズに感染している患者1999年50%、2001年60%。

エイズによって片親もしくは両親を無くした子供の130万人。毎日700人がエイズのために死亡している(2001年)。(これらの数は全て概算である)

エイズがこんなに広まる背景には、一夫多妻の伝統があります。法律では一夫一婦制を定めているものの、人々の不品行の言い訳に、アフリカの伝統、文化と言うものを上げます。その内容は、一夫多妻の文化であり、複数の妻を持つ伝統が、複数の女性と関係を持つ好意を肯定しているのです。

しかし、現実にはその愚かな行為と、愚かな理由づけによって、自分の命を失い、伴侶の命をも奪い子供達を孤児にしているのです。

エイズ孤児が日々増えています。貧しい家庭でだけではなく、豊かな家庭。本来エイズの本質を十分理解しているはずの医者、弁護士、政治家などの知識階層の人々も例外ではありません。

 

エイズ2

結婚しない女性が増えています。エイズから自分の命を守るために。自分の夫の不審な行為を理由に別居離婚をする女性達は必死に子供と自分の命を守ろうとしています。。

教会でクリスチャン同士での別居離婚も増えていますが、以前のように基に戻す努力を勧めることが難しくなってきています。

政府は、エイズの防止のために、コンドームの使用を宣伝するコマーシャルを流しています。なんと愚かなことでしょう。そんなことで解決する問題ではありません。本来神様から与えられた結婚の戒めにそむいた人々の罪の結果が今現れているのです。教会は、主の日の説教や、聖書取り組みは、家庭集会、等あらゆる場を通してこのことにチャレンジしていす。結婚の準備カウンセリングや、既婚者のためのセミナー、家庭の問題に関する講演会などもあらゆるところで行われています。

このエイズの問題に解決をもたらすのは、再び人々が神様を畏れ、神様に帰り、神様が与えられた男性と女性の存在理由を信仰によって受け止めなおすこと意外にはないのです。

 

エイズ3

エイズがもたらすもう一つの深刻な問題は孤児です。片親が感染し、死亡したら必ずもう片親も後を追うことになります。最近の新聞で、今年の学校からの退学者数、小学校、中高あわせて50%になったとありました。理由は、この数年続いている不況のために失業者が増えていること、つまり、学費を払えないことで退学せざるを得ないケース。もう一つは、両親がエイズで亡くなったために、経済的基盤を失い学校を続けられなくなったと言うものです。

エイズ孤児の救済が早急に求められています。

こんな暗い状況の中で、うれしいニュースがあります。

前回エイズから見を守るために結婚しない女性が増えていることを書きました。ケニヤでは職場では男女が平等で、女性達があらゆる方面で活躍しています。その活躍する独身女性が、結婚はしないが、子供を持って家庭を築きたいと、孤児を養子にすると言うのです。

社会的にもそれぞれの分野で成功し、経済的にも安定している独身女性がシングルマザーとして、孤児を引き取り家庭を与え、教育を与え愛情を注いで成長を助けているのです。養子はタブーと言われてきたケニヤ社会が変わってきています。

 

ケニヤだより 2001年7月13日

サンブルミッション1、
ナイロビから真北に400キロ。マララルと言う街を中心にサンブル族が住んでいます。
私達の教会で働くサンブルの人たちの家、(マニヤッタ)を訪れました。
第一印象はやはり貧しいと言うことです。しかしどの家でも私達を歓迎し,もてなしてく
れたのです。貧しさから抜け出すきっかけを作る助けをしたいという願いがある中で何から手をつけることが出来るか必要が多すぎて決めかねる状況です。何故,貧しいのでしょうか。
1、伝統的遊牧民の生活を続けていて、定住しないために,雨の影響をもろに受けてしまう。昨年の旱魃の影響からいまだにたちなおっていない。
2、旱魃で多くの家畜を失った。家畜を売ることが唯一の現金収入であるが、それが家畜の減少で今年は望めない。
3、水の供給を雨水に頼っている。泉があるがそれは塩水であり、井戸を掘っても,塩水がでる。雨がたまった泥水の池で水浴びをし、洗濯をし、上澄みを飲料水とし、同じ水を家畜も飲んでいる状況。
4、病気が多い。特に子供達は皮膚病、結膜炎、チフス破傷風、マラリヤに常に悩まされている。泥水が一つの原因になっている。また小さな診療所が10キロほどのところにあるが、そこに薬がない、あっても買うためのお金がない。
5、現金収入がないために,学校へいけない。
6、人々ははだしで、靴や衣類をあまり持たない。

 

サンブルミッション2
マニヤッタとは木の枝で囲いをした中に、親族が4,5件それぞれ父親を中心に家を持ち共に住んでいるところを言います。移動をするのも一緒にします。
女性達の仕事は,水汲みと、たきぎ集めと料理です。朝早くから暗くなるまでこのことだけで一日が終わります。水を求めて一日何キロも歩きます。食料はこの1年間外国からの援助を政府を通して受けています。とうもろこしの粉、ウガリを一家族1ヶ月90キロもらうそうです。ウガリの量としては充分ですが,それだけを食べているのでは栄養が偏ってきます。台所と称されるところを見ても,食料らしいものは一切ありませんでした。私達が運んだ砂糖と,食料油と子供達へのクッキーだけでした。ナイロビへ出稼ぎへ来ている人の家では子供が学校へ行っています。もちろん子供全員ではなく,男の子でしかも頭の良い子だけのようです。この地域にプロテスタントの教会がありました。小さな教会ですが、牧師達は一生懸命に伝道しています。もっと人々の生活の助けになる働きをしたいのですが、なかなか,資金的に難しいとの事。今後これらの教会と共に働きを展開する可能性があると思います。
                                         
                    市橋隆雄より

 

 

 

ケニヤだより   2001年4月13日

 

HAPPY EASTER

 

 

イースターおめでとうございます。

イエス様が私達の罪のため十字架にかかってくださり、死んでよみがえられたことは、キリストの蘇りを信じる者にとって大きな喜びです。

より多くの方々がこの喜びを知ることができるよう祈りつつ、伝道に励みたいと考えています。

 

メリーの病気のことでは多くの方々から反響があり、お祈りいただき感謝です。

彼女は10日間の入院の後退院し、元気になりました。

抗生物質の点滴で、結核は抑えられました。しかし、慢性的な下痢が止まるのに一週間以上かかりました。

栄養失調から腸の働きが極度に弱まり、回復に時間がかかったためです。母親は栄養指導、育児指導を受け、親子共々元気に退院しました。

そして、それから4日後、母親はもう一人の赤ちゃんを教会の敷地内のフィリップ(庭師)の住んでいる部屋で出産しました。

私達は彼女の妊娠は知っていました。しかし、見た感じからまだ後数ヶ月後と思っていましたから、驚かされました。しかも陣痛がきても誰にも言わず、たまたま訪れていたフィリップの母親、つまり赤ちゃんのおばあさんが出産を手伝い無事に生まれたのです。赤チャンは元気で大きさも標準でした。

母親の母乳も出始め、メリーも食欲が急に出てきました。そして、赤ちゃん誕生5日後に、まだは早すぎるという私達の心配を他所に、ナイロビから250キロ離れた彼らの田舎に家族で帰っていきました。この家族に神様の守りを祈っています。

                                      市橋隆雄より

 

ケニヤだより 2001年6月23日ー炎のランナー

世界各地で行われるマラソン競技会でケニヤの選手は圧倒的な強さを見せています。
イースターの日に行われた長野オリンピック記念マラソン大会で優勝したのもケニヤの選手でした。マクセル・ムセンビといい前回は初出場で2位。キューナ教会のメンバーです。奥さんは日本人で、スワヒリ語学校ではさらの教え子でした。3年前にキューナ教会で結婚式を行いました。ケニヤのマラソン選手のほとんどが軍隊にいて、国の支援の下で練習に専念できる環境になります。ところがマクセルは奥さんがナイロビJICA事務所で働き家計を支える傍ら,2人の子供の世話,家事一切を引き受け,その合間を縫って一人練習に励み今回の成績を収めました。幼い時に両親を無くし様々な生活の苦労を経ながらも彼を支えマラソンに打ち込ませているのは信仰です。教会や聖書の会で彼の語る証しは,キリストの恵み,キリストの希望,キリストの力が満ちています。今回も「神様の栄光のために走る」と言ってケニヤを発ちました。3年後のオリンピックを目指して日本をベースに練習できる環境が与えられそうです。すばらしい賜物を与えられキリストを証しするクリスチャンアスリートとしての彼の歩みのために教会は祈っています。

                                    市橋隆雄より

 

ケニヤだより 2001年5月12日
サンブル・ミッション 1
3月にキューナ教会から長老のバエさんが、サンブル族の住むケニヤ北部へ、他の団体の人々と共に出かけました。その報告を聞き皆心が動かされ、またこの地域から来ている兄弟達が教会の交わりの中にいることから、教会として、この地方に新たな伝導活動を始めることを教会として決めました。
以下はバエさんの報告の一部です。

サンブル族はケニヤ北部に住む遊牧部族です。
泥と牛の糞を使って家を作り、その中に家畜と共に住み、家畜、牛,やぎの食べる草を求めて集落ごと移動する生活をしています。いまだに百年前,2百年前と変わらぬ生活をしています。女性達は子供を産み、育て、燃料の枯れ木を集め,水を汲み、移動のたびごとに家を壊しまた建て、家事の一切をします。男は、割礼を受け青年となると、戦士(モラン)となり、ブッシュの中で数年を暮らし、それが終わると儀式を終えた上で成人として認められ、結婚し家族を持ちます。その後は、自分の家族集落を守ることが仕事ですが,日常は特にすることははく、長老達との会談(?)を毎日しています。

サンブル・ミッション2 食生活
サンブルの人々の生活は,彼らの持つ家畜に依存しています。マサイ族と同じく牛の血を飲んでたん白質を取り、牛ややぎのミルクを飲んで暮らしています。
家畜を売ることで現金収入を得ますが、最近の旱魃で家畜を売るどころか、飢餓と病気で家畜も死んでいます。最近ではサンブル族もウガリ(とうもろこしの粉を料理したもの)や野菜も与えられれば食べるようになりました。外国のNGOからの援助でウガリを与えられ、貧困をしのいでます。
砂糖は貴重品です。やぎや、牛のミルクで作るチャイ(ミルクティー)に入れて飲みます。
家族から誰かがナイロビなどの街で仕事をし、食料を持って帰ってくるのを楽しみにしています。
特に、料理用の油を買いウガリ,豆などを買っていきます。
食生活がこんな状態ですから、サンブル族は痩せている、が常識で,慢性的な栄養失調です。
不安定な遊牧生活をやめ、定住し、農耕をすることを進める動きがありますが、これは彼らにとって、これまでの生活習慣をまったく変えることであり、部族の伝統を変えることであるため、意識改革と、教育がなければできないことです。

                  市橋隆雄より

 

ケニヤだより

教会で庭師として働いているフィリップさんが、突然田舎から奥さんが病気だから至急帰ってくるようにとの連絡を受け帰郷しました。3日後ナイロビに戻ってくると、「病気だったのは奥さんではなくメリーという娘でした。そして田舎の病院ではちっとも良くならないから連れてきた。」というのです。翌日病院へ行かせると、病院の医者から電話があり、メリーは入院の必要がある。しかし両親には入院費を払うことはできないようなので、どうしますか。というのです。病状は、極度の栄養失調と、結核になりかかっている。というのです。「入院費は私達が払いますからメリーに十分な治療をお願いします。」と言いました。
メリーは2歳ですが体重が6キロしかありませんでした。いつも病気がちで田舎の病院に行っても適切な治療を受けられなかったと両親は言っていますが、現実は母親の知識の無さが一番の問題でした。バランスのある食物、決して高価なものではなく、彼らの伝統的食べ物でも十分に栄養は取れるのにそれを怠っていたこと、基本的な衛生観念が無いことが問題でした。ケニヤの田舎ではメリーのような子供がまだたくさんいるのでしょう。そして、命を落とし、これも神様のなさることとして受け止めているのです。ケニヤのナイロビで暮らしていると忘れがちな地方の貧しさと生活の苦しさを思い出させられています。

 

クリスマスのメッセージ

12月になるとケニヤはクリスマスホリデーになり、多くの人たちが年次休暇を取り、なかなか思うように仕事がはかどりません。
 日本から帰国後、我が家の水不足が深刻になり、ついに引っ越しをすることになりました。10日から今日まで掛かりました。
 クリスマスが近づいてきました。このクリスマス時季に私たちは3つの施設への支援活動を計画しています。まず、毎年行っているエイズ孤児院へ私たちの教会で集めた寄付金、衣類を持って訪問、子供たちと過ごします。また、教会の高校生たちが中心になって古着、食料を集め、ナイロビ郊外にある身体障害者孤児院を訪問します。そして「少女たちの巣」と呼ばれる行き場を失った12歳以下の女の子たちが生活する施設へ、私たちの幼稚園の園児、父母に呼び掛けて集めた贈り物、寄付金で買った図書を持って訪問します。
 ケニヤは12月12日に独立36周年を迎えました。1964年にイギリスから独立して以来大きな内戦もなく、西側諸国からの援助も受けて(日本は最大の援助国です)都市にはビルが建ち並び、車が道にあふれ、マーケットへゆけば輸入品が手にはいるようになりました。しかし、アフリカの中では天国だと言われるその様相の陰に、貧しい人々、捨てられていく子供たち、病気で苦しむ人々など、自分の力で立ち上がることのできない助けを必要としている人々が余りにも多いのが現状です。
 クリスマスに語られる言葉「地には平和」、その「平和」は一体どこにあるんだろうと疑いたくなるような世界です。
 しかし、神さまはそういう世界を、あきらめないで、捨てないで、ご自分の一番大切な一人子を、その世界を救う方としてお与えになった、というのがクリスマスです。
 この神さまの愛にならって、助けを必要とする人々に歩み寄り、分かち合い、言葉をかけ、共に時を過ごすことの中に本当のクリスマスがあるように思います。
 皆様にクリスマスの喜び、愛,平安がありますように。TOPに戻る