ねこさんの夫婦でチャレンジ 歩き遍路その2 2019年秋 | |
2019年の春、かみさんの一言がきっかけで、お遍路を思いつき夫婦で歩き遍路にチャレンジした。電車、バスで徳島県に入り1番の札所霊山寺から山越えてやっと18番の恩山寺手前まで歩いたところで、かみさんの膝が猛烈に痛み出しそこで断念、ホウホウの体で自宅に帰り着いた。 それから半年、今度こそと毎朝6時から7時過ぎまで早朝のウォーキング約6kmを歩き秋の遍路に備えた。早朝とはいえ猛暑の夏は全身汗でぐっしょりとなり帰宅する度シャワーを浴びる日々だった。ようやく涼しくなるころ秋の遍路に出発した。 |
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構想
前回の反省から極力距離を短くし15kmから最長でも20kmに抑えるよう行程を組んだ。特に今回は鶴林寺、太龍寺と山を2つ越えることになる。さらにそのあと200m級の峠を越えないと宿がなく最大の難所となることがわかった。そこで太龍寺からロープウェイでいったん山を降り宿泊し翌朝再度ロープウェイで太龍寺に戻り歩いて降るコースとした。 |
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準備 | |
前回の経験から民宿では洗濯機、乾燥機、シャンプータオル浴衣など全て備えられているので荷物を徹底して切り詰めリュックの重さを4kg程度に抑えた。 ちなみに宿泊費用は民宿だと夕食朝食付きで一人7000円程度である。 |
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遍路コースについては今回は18番恩山寺から徳島県最後の札所23番薬王寺までとし余力があれば高知県との県境まで歩く9日間の行程とした。 | |
宿泊は基本民宿なので夏のうちに主な個所は予約を入れておいた。 ただ日和佐は周囲に飲食店も多いので素泊まりのビジネスホテルとした。 |
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家は遍路中、留守になるので半野良暮らしの飼い猫は2階の窓から出入り自由とし餌は給餌器を特別に大容量に改造して遍路先からもスマホでモニターできるよう監視装置も設置した。 | |
遍路1日目 徳島入り | 2019年10月28日 |
JR線で三ノ宮まで行き高速バスで徳島に入った。 天候もよく鳴門海峡の渦潮もバスから観れた。 徳島で昼食の後、鉄道で20分ほどの南小松川の駅まで移動した。 駅で遍路衣装に着替え18番恩山寺まで約3qを歩いた。 この春には膝の痛みで難渋した道だが今度は容易に歩けた。 |
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恩山寺から降りすぐの民宿ちばに到着した。 この春にもお世話になった宿である。 宿の主の男性は私らをよく覚えていた。 北海道から来た中年女性2人のグループがいてバスと歩きの併用だそうで盛んに宿の主人がルートをアドバイスしていた。 |
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この日の歩行データ | |
遍路2日目 | 2019年10月29日 |
夜半から雨になった。 この日は19番立江寺を経て勝浦までの約18kmの歩行である。 大雨でないので防水カバー付きの遍路傘だけの姿で出発した。 牛舎の横を抜け竹藪を越える昔の遍路道で山頭火も歩いた記録がある。 山頭火の歩いた昭和初期、粗末な食と宿が描かれている。今は飽食と清潔な布団、なんと贅沢なことだろう。 |
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みかん畑が続く。 畑の小道や軒先などうっかりすると道標を見失うような細道だった。 |
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車道に出て延々と歩き町が近づくと立江寺だった。 雨がひどくなってきたのでポンチョを着て歩き出した。 雨は時々小雨になるがまた降り出したりなかなか止まなかった。 |
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昼食の時刻になったので喫茶店を探し休憩する。 食事を終えるとやっと雨も止んだ。 |
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車道をひなの里勝浦に向かってひたすら歩く。 長い長い道だった。 |
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ひなの里勝浦は大きな道の駅だ。この日の宿は隣町の坂本町が運営する廃校活用の宿泊施設「ふれあいの里さかもと」で電話すると送迎をしてくれる。 この近くには昔からの宿もあるのだが経験者から 絶対やめておけとアドバイスをもらっており 隣町の宿にした。 |
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送迎を頼んで正解だった。 思っていた以上に遠く上り坂が続く。 宿の皆さんは実に親切だった。 靴が中まで湿っていたので新聞紙を詰めボイラー室に一晩置いてくれた。 部屋は元職員室で杖置きまで設置され広くきれいだった。 |
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かっては子どもたちが走り回った運動場 今ではイベントで都市部からの人を呼ぶなど工夫している。 葉っぱビジネスで有名になった上勝町も隣町である。 古くからみかんの産地で勝浦川の水運の中継地として繁栄したが今では過疎化が進む。 |
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夕食の食堂は情報交換の場にもなっている。 たまたま高齢の男性ばかりと一緒で皆さん歩き遍路のツワモノばかりだった。 川魚も付いた豪華な食事だ。 |
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お風呂は大きな泡風呂で快適だった。 天然温泉かと思ったが沸かしているそうだ。 脚の疲れを取るのに長い時間浸かった。 朝食はお腹にやさしいおかゆが選べお昼用に握りも用意してくれた。 |
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この日の歩行データ | |
遍路3日目 | 2019年10月30日 |
この日は最大の難コースで鶴林寺、太龍寺と2つの山越えとなる。 登山口まで宿のスタッフが車で送ってくれた。 |
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天気は最高に晴れ渡った。 もし雨だったら滑りやすい苔道が続く。 2本杖であえぎながら急坂を上る。 |
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やっとのことで鶴林寺に到着、納経の後、隣の太龍寺までは山を降ることになる。 急な階段が続き膝を痛めやすいので2本杖で体重を吸収しながら慎重に降る。 |
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ふもとの集落の廃校に遍路さん用のトイレを地元の高齢者グループが整備している。 ありがたく使わせてもらう。 |
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太龍寺山への川を渡る。 苦労して登ったのに降りまた隣の山に登る難行だ。 谷川沿いのあずま屋でおにぎりでの昼食とした。 |
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またしてもヨーロッパ系の数人の外国人グループが追い抜いて行った。意外と高齢者たちだった。 なんでお遍路に来たのかなあ。 |
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休憩を頻繁に取りながらやっと太龍寺まで登り切った。ここからはロープウェイで宿まで降る。我々にはこれが限界。
太龍寺の伽藍群はじっくり廻れば一日かかりそうだ。 |
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「道の宿そわか」良くも悪くもないが他に選べない場所にある。 宿が開くのは午後3時からなので1時間ほど外で待った。 |
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夕食はシチューなど。 ワンちゃんが食堂と厨房内をウロウロしている。 これはいかんね。 でも食事付きにしておいてよかった。 宿の近くには適当な食堂もなかった。 |
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この日の歩行データ 距離もあるが階段がなんと159階 |
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遍路4日目 | 2019年10月31日 |
朝8時過ぎにロープウェイで太龍寺に戻る。 ここから尾根伝いで舎心ヶ嶽に登る。
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弘法大師像が明けの明星方向に向かって鎮座している。よくこんな岩塔の上に設置したものだ。 実はこの像の正面まで行けないことはないのだが 危険なので止めておいた。 明治の代までニホンオオカミも生息していた深山である。 |
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ここから近年復元された遍路道いわや道を降る。 あるき遍路道は、ほとんどがyoutubeにアップされており事前調べなどに便利になっているが「いわや道」はまだアップされていない。 そこで帽子にアクションカメラGOPROを付けて撮影することにした。 1時間40分の撮影も無事に終わったようだ。 |
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いわや道はまだ通る人も少なく登山道なので注意事項が掲示されている。 | |
一部を除き危険個所はなかった。 整備された関係者に心から感謝したい。 |
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1時間半ほどで集落に降り立った。 ここからは車道に出る。 |
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お昼時間なので近くの道の駅に移動した。ところがなんと休業日だった。 あてにしていた昼食を断念し非常用のカロリーメイトで昼を済ませた。 |
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ここから200mくらいの峠を越えることになる。 私たちはまだ時間に余裕があったが夕暮れ近い場合は不安になるほどの山間である。 峠までの登りはきつく何度も休みながら登った。 |
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やっと峠を越えても降りが長かった。 やっと休憩所が見えたがスズメバチの巣で閉鎖されていた。 |
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集落に出た。 まだ民宿に入るには早いのでゆっくりと歩く。 |
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22番平等寺についた。 地域の方がミカンなど売っているので買った。 |
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今日の宿は「民宿さざんか」名前もいいが女将さんが親切で評判の宿だ。 テーブルには飲み物やパンなどいっぱいのお接待が載せてあり自由に使ってくださいとか。 |
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山茶花の宿の夕食 刺身もたっぷり 栄養バランスも考えられありがたいことだ。 |
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夕食は遍路どおしの情報交換の場でもある。 ここでは超ベテランの男性ばかりと一緒だった。 俗にいう「お四国病」の皆さんである。 この時点で、脚に問題はなく23番薬王寺以降も |
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この日の歩行データ | |
遍路5日目 | 2019年11月1日 |
今日は海に出る日だ。 多くの人は一気に23番薬王寺まで歩くが自分たちは途中で一泊の余裕のコースとした。 結果的には海沿いの楽しい小道をゆっくりと 満喫することができた。 苔むした緩やかな山越えルートを過ぎると車がどんどん走る国道になりトンネルを越えるとまた田舎道になった。 |
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廃校(休校)になった小学校で休憩した。 地域の高齢者によりトイレが整備されていた。 ありがたく利用させてもらう。 若者が減り学齢期の子どももいなくなる集落はいたる所にある。 |
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海に出た。漁師町である。 小さなお好み焼き屋で昼食とした。 民宿ゆき荘についたが早すぎたので荷物を置かせてもらいすぐ近くの小山の展望台で時間を過ごす。 ミニ四国八十八札所が作られていた。 |
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宿の部屋からは漁港が一望できた。 一斉に出漁する船団や早朝に帰港する漁船などいい眺めだ。 |
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さすが海の民宿で夕食もこの通りさかなづくしだった。 | |
この日の歩行データ | |
遍路6日目 | 2019年11月2日 |
この日は海沿いの道を日和佐まで歩く。 国道を行けば早いのだが海が見える方が楽しいので遠回りをした。 車もめったに通らない細道が続く。 漁村をいくつか過ぎ海沿いの森に入った。 道沿いに句碑が続く。 読みながら行くとけっこう面白い。 共感できる句やウルッと涙目になるような句もあった。 名も姓も問わず遍路の別れけり みちのくの悲しみ祈るへんろ道 亡き妻に背中押されて夏遍路 |
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休憩場所に熊蜂のデカイのが近づいてきてオイラの唇の下に止まった。 これは恐怖だが払いのけたら絶対刺される。 じっと動かず「南無大師遍照金剛」を唱える。 やがて遠くに去って行った。 助かった、こんなところで蜂に刺されたら後の旅がどうなることやら。 |
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23番薬王寺が遠くに見えてきた。
日和佐の街中のレストランで遅い昼食とした。 |
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これで徳島県の札所は1番から23番まで全て終わった。 | |
この日の宿は日和佐駅前のビジネスホテルケアンズ 夕食は外食としお祝いとした。 この先天候も良さそうなので雨具など自宅に送り返し身軽になった。 |
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この日の歩行データ | |
遍路7日目 | 2019年11月3日 |
昨日で徳島県の札所はすべて打ち終わったが先の遍路に向けて高知県との県境まで歩くことにした。 今日は県境までの中間点、牟岐までである。 この間は山沿いの国道しか道がなく特に魅力のない部分である。 60代らしい男性2人の遍路さんが追い抜いて行った。 |
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ただ黙々と西南に向かって車道を歩くだけである。 周りの風景も変化がなく小高い山をいくつか越えていく。 かなり長い日和佐トンネルをくぐった。 歩道があるからいいものの車がビュンビュン横を走るのでけっこう怖かった。 |
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トイレに寄ろうとローカルの駅に立ち寄ったらトイレは閉鎖され列車内のを使ってくださいって掲示されていた。 田舎だねえ。 昼食は道沿いのラーメン店で済ませた。 やっとのことで海辺の町に出た。 |
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むかし迷い猫、今は飼い猫でマグロの刺身が好物だそうだ。 「オイ猫ジジイ、ようこそ」と言ってるようだ。 |
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さすが漁師の民宿 夕食は豪勢な魚づくし。 翌朝には地元の猟師が庭先に鹿を持ち込んできた。 |
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この日の歩行データ | |
遍路8日目 | 2019年11月4日 |
この日は県境の町まで歩く日、海沿いの楽しい道だが距離も今までで一番長い。 とてつもなく長い入り江が続く。 |
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トンネルをいくつも越える。 | |
ところどころ遍路用の休憩場所が設けられている。 高齢の方からのお接待のオロナミンなど。 |
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別の休憩所には冷蔵庫と牛乳までおいてありこれは有料だった。 | |
昼食に寄った喫茶店、 太平洋に面して眺めも素晴らしい。 海の色が感動的だ。 |
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最終の宿、民宿えびすに到着 | |
この宿の夕食も豪華だった。 ここの場所は宍喰(ししぐい)といい名前からして肉食系だ。 工事関係者が泊まっていたがお遍路さんはいなかった。 |
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この日の歩行データ | |
遍路9日目 | 2019年11月5日 |
いよいよ帰る日が来た。 宿の南はトンネルとなっておりそれを抜ければ高知県だ。 1時間足らずで超ローカルな駅、甲浦駅(かんのうら)に着いた。 この先は鉄道がない終着の駅だ。 |
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室戸岬まで約40q、バスしかなく、この間は宿も町もほとんど無い。 今レールバスを導入し鉄道とバスの一体化の工事が進んでいる。 鉄道で徳島まで戻りながら歩いてきた道が見えるたび、 |
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9日間の歩き遍路はすべて終わった。天候にも恵まれ計画通り最後まで125kmを歩くことができた。 春に歩いた140kmと合わせ265kmを歩き切り発心の阿波の国を無事に終えることができた。 先のことはわからないが来年の春にでも状況が許せば修行の土佐(高知県)にチャレンジしたい。 |
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秋の遍路はすべて計画通りに進み、楽しい体験でした。 特に「ふれあいの里坂本」の宿の皆さんのホスピタリティには感動しました。 難所の鶴林寺、太龍寺も何とか登ることができました。 歩き遍路は厳しいだけに素晴らしい。 お金も時間も、そして何より健康がそろって可能になる究極の贅沢かもしれません。 夫婦共に癌サバイバーである自分たちの幸せに感謝してレポートを終えます。 最後までご覧いただいた皆様ありがとうございました。 2019年11月吉日 南無大師遍照金剛 |
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