ねこさんの夫婦でチャレンジ 歩き遍路 その4 2020年秋
2019年の春、かみさんの一言がきっかけで、お遍路を思いつき夫婦で歩き遍路にチャレンジした。
電車、バスで徳島県に入り1番の札所霊山寺から山越えてやっと18番の恩山寺手前まで歩いたところで、
かみさんの膝が猛烈に痛み出しそこで断念、ホウホウの体で自宅に帰り着いた。
その反省から毎朝6時から7時過ぎまで早朝のウォーキング約6kmで脚を鍛え2019年秋には18番恩山寺から難所の鶴林寺、
太龍寺を無事にクリアし徳島県最後の札所薬王寺を済ませ、さらに高知県との県境まで歩き切った。
そして2020年春、折から新型コロナウィルス騒ぎが日に日に酷くなるころ高知県の東半分を歩きちょうどコロナ禍で納経所が閉鎖になる直前
予定のコースを終えることができた。
その後も毎朝のトレーニングを続け秋に高知県の西半分にチャレンジすることになった。今回は足を引き摺るほど遠い足摺岬がある。
今回は高知県の中央部須崎から四万十市を抜け南端の足摺岬を経て高知県西端の宿毛市までの計画である。
足摺岬はその名のように足を引き摺るほど長く遠い行程である。
その後の脚の状態により愛媛に進むかどうか決めることにした。
準備
厳しいコースなのでリサーチは十分に行った。
YouTubeに歩き遍路の実際がアップされているので
大いに参考になった。
宿は高知県の部分はあらかじめ予約した。
キャンセルすることにならないよう愛媛県については
現地の進度で判断することにした。
毎朝の6kmウォーキングは続けた。
夏は朝6時でも暑かった。汗をたらたら流しながら歩き続けた。
でもこのトレーニングを続けていないと、毎日25km以上の歩行はできなかっただろう。
いつものように半野良の飼い猫用に特製の給餌器をセットした。

自宅の様子は旅先からスマホでモニターできるようカメラもセットした。

 

遍路1日目 高知入り 2020年11月11日
JR線で三ノ宮まで行き高速バスで高知に入った。
バスは最新の2階タイプで車内Wifiも設備されていた。

四国は鉄道よりもバスの利用が便利だ。
そのことがますますJR四国を衰退させているのだが。

淡路島を抜け峠を越えトンネルをいくつも抜けて
高知駅前のホテルに着いた。
折からGotoキャンペーンで民宿並みの金額で泊まれた。
夕食は魚料理が専門のお店へ。
やっぱり土佐はカツオの叩きでしょう。

このあと繁華街を歩いてホテルに戻るとき財布のファスナーが破損したのでホームセンターによって買い換えた。

遍路2日目 2020年11月12日
高知から電車で前回の遍路の到達地、
須崎市の多ノ郷に移動し
遍路衣装に着替えて歩き始めた。
須崎の名物は鍋焼きラーメンである。
焼うどんのようなのを想像していたが
どんぶりが土鍋になるだけで
普通のラーメンであった。
この日の宿、久礼までには峠を選ぶか
国道のトンネルを抜けるかで難易度が
異なる。
天候も良く時間もあるので古来の遍路道、
焼坂峠を選んだ。
けっこうきつい登りだった。
もし雨天だったら滑って危険なコースだ。
数年前の土砂崩れで通行止めになっていた部分が続く。
地域の関係者の努力で補修され安全に通れるようになっていた。
この日の宿、大谷旅館は食事は出ないので
近くの和食店で済ませた。
この日の歩行データ
遍路3日目 2020年11月13日
ここからのコースは3通りが選べる。
国道、そえみみず遍路道、大坂遍路道だが
所要時間を考えて一番短い大坂遍路道とした。
最初はのどかな郊外の桜並木が続く。

だんだん人家が少なくなった。
農家の庭に鉄の檻があり中で猪が暴れていた。

峠前の休憩所で男性遍路に出会った。
同じく区切りで歩いているが急な仕事が
入ったので、明日でいったん帰るそうだ。
その点、自分たちは暇は十分にあり恵まれている。

七子峠へはきつい登りだった。
一気に高度を稼ぐ。
小雨も降ってきたが雨具なしで頑張る。
峠からは緩い下り道だ。
農村地帯を延々と歩く。
最後は獣害対策のフェンスを手で開けて国道に出た。
逆打ちの遍路さんからこの先の熊井トンネルは工事で
通れないから注意してとアドバイスがあった。

 

このルートは窪川までコンビニも無く途中、
唯一見つけた大衆食堂で昼食とした。
留守番の猫は餌をちゃんと食べていた。
37番岩本寺に着いた。
窪川は古くからの門前町の雰囲気が漂う。
この日の宿は岩本寺のすぐ近くの美馬旅館
地元でも一流の老舗で料理もこだわりだった。
女将の応対もさすがと思わせるほど完璧だ。
料金も高かったが、サービスも良かった。
食材のこだわり
この日の歩行データ
遍路4日目 2020年11月14日
この日の行程は長い。
それでも幸い白浜に宿が取れたので良かった。
そうでないと30km歩くことになるところだった。
ところどころ国道から外れ旧遍路道を歩く。
雨の日なら危険だけど幸い晴れが続くようだ。

途中、民家の庭の休憩所でコーヒーのお接待を受けた。
主も遍路経験者でコースのアドバイスもいただいた。

舗装された田舎道だが全く静かだ。
誰にも会わない道が延々と続く。
この辺りはラッキョウ畑が多い。
やっと海に出た。
足摺岬はまだまだ先だ。
この日の宿はニュー白浜
この日は自分たちだけだった。

この宿、昔は繁盛したようだが昨今は寂れ高齢の女将が
細々続けている。

この日のデータ
遍路5日目 2020年11月15日
これから先は海に沿った道が続く。
引き潮らしく岩盤が現れだした。
入野松原は広大な公園だ。
南国だねえ。サトウキビ畑だ。
この日は暑かったので特に疲れた。
日陰もなくコインランドリーの椅子で休憩した。
足を引きずりホテルに向かう。
四万十市の中村第一ホテル
予想以上に良いホテルで夕食も付いていた。
この日のデータ
遍路6日目 2020年11月16日
旧中村市は四万十市になっている。
四国を代表する大河四万十川を渡る。
市街地を離れ郊外へ
小型の大文字山が右手に見えた。
全長1700mの長いトンネル
歩道は幅広く恐怖感はないが、いかにせん長すぎる。
排気ガスと騒音でうんざりする頃、
外に出られた。
外気が嬉しい。
ここで少し迂回し遍路確立の祖、
真念ゆかりの真念庵に寄る。
石仏群が続く
行き倒れその地で土にかえった無数の遍路の霊を弔う
真念庵から旧道の山道を国道へ降り
昼食に新しい建物のカフェダイニング ルーチェに寄った。
食事後に菓子の詰まったお接待袋をいただき
有難かった。
 

海沿いになると今日の宿も近い

民宿いさりびの別品
清水サバの刺身
こんなうまい刺身は他に無いだろう。

この民宿は親父のこだわりが人気で利用者も多い。
この宿は再度泊まるので雨具などはリュックから抜き取って
預かってもらい身軽になった。

この日のデータ
遍路7日目 2020年11月17日
民宿いさりびからの日の出
おなじみの民宿が続く
大岐の浜に降り立つ
サーファーたちが楽しんでいた。
満ち潮らしく砂浜が狭い
この先で波に靴が洗われた。
こんなはずじゃなかった。
早々と途中で浜を退散した。
なんと我が家に近所のドラ猫トラが入ってきて
うちの仔の餌を食べている。
戸外が好きな飼い猫のストレス予防に2階の窓はあえて開けて
おいた。予想はしていたがやっぱりか。

ふてぶてしい奴だがたくましい。

つわぶきの花がいたる所咲き乱れている。
旧遍路道の道標に沿ったら海辺に出た。
ゴミだらけだ。
オイオイ!これが道かよ?
後で調べたら無理にここは通らなくても良かった。
クタクタになった頃、通りがかった女性から
お接待のみかんをいただいた。
有難かった。これで元気を取り戻した。
ついに到達、足摺岬の金剛福寺
此処のシンボルは頭つるつるのカメさん

お寺の中ではマスクをしますが歩いているときは
息苦しいのでマスクはしません。

やっと着いた岬の民宿福田家
ベテランの女将にとってお遍路さんは特別待遇のようだ。
料理は豪華だしお風呂は近くの温泉まで
送迎いただき快適だった。
この日のデータ
健脚の遍路はこの距離を往復するそうだ。
遍路8日目 2020年11月18日
朝食も豪勢だ。
岬の西側は海の眺めが最高だ
以前なら山越えだが新しいトンネルのおかげで
1時間は助かった。

車道から段差を付けた歩道は
幅も広く不安は全くなかった。

中浜のジョン万次郎の生家の復元がされていた。
ジョン万次郎は歴史の転換期に大きく貢献し
もっと評価されても良い人物だ。
旧遍路道は山越えだった。
登りは大したことなかったが、下りで足を滑らせあわや
の場面もあった。
まるで火事のようだがカツオ節工場の燻製の煙だ。
やっと足摺岬を一周できた。
やれやれ遠かった。
再び民宿いさりびへ
今夜は鍋だった。
サバの刺身はもちろん今回もいただいた。
この先晴天が続き、脚も問題なさそうなので
愛媛県に入ることにした。
宿を手配する。
実際電話するとコロナ禍で閉鎖している宿もあった。
あてにしていた宿も満室だったりして3箇所を変更した。
この日のデータ
遍路9日目 2020年11月19日
高知県の西端、宿毛に向かって内陸部に向かう。
雨が多く日陰の県道だ。
苔が多く滑りやすい。

向こうから男性遍路がやってきて此処はどこかと尋ねてきた。
その人は、かんちがいで違う道を歩いていた。
あまりに人がいない道なので長時間、間違って歩くこともあるのだ。
オイラ達はスマホのGPSを使っているので安心だ。

途中の竹づくりの休憩所
三原村の農家民宿くろうさぎに着いた。
ヤギもいて楽しい宿だ。
このヤギさん除草用に貰ったそうだが好きな草しか食べず
働きは期待外れだとか。でも人気ありました。

宿に入った途端、天候が崩れてきて雨となり
ラッキーだった。

田舎の食材に宿のご主人が釣ってきた魚など。
素朴で暖かい宿だ。
コロナとは縁のない雰囲気の賑やかなひとときだ。
お風呂も我が家のより新しく良かった。
此処の名物はどぶろく
試飲させていただき完飲完食
この日のデータ
遍路10日目 2020年11月20日
夜は大雨だった。
朝方には小雨になったので雨具を付けずに出発する。
途中、また振り出して濡れたが青空が見えてきたので
安心する。
少々の雨は遍路傘で防げるので普通はそのままで歩く。
晴れてきたので衣服を乾かしながら歩く。
三原村を抜けると延々と降りだった。
もし逆打ちだときついだろう。
平地に降りた町の大衆食堂で昼食とした。
高知県、最後の札所延光寺に着
此処のシンボルは鐘を背負ったカメさん

宿毛の市街までけっこう遠かった。
夕闇迫る中、まだかまだかと歩いた。

この日はホテルアバン宿毛だったので
敷地内のレストランで
高知県打ち終わりを祝った。
この日のデータ
遍路11日目 2020年11月21日
土佐の国と伊予の国の国境に向かう。
峠までのアプローチは分かりにくかったが
GoogleMapのアプリのおかげで間違うことなく
進めた。
松尾峠は厳しい登りである。
宿毛の子どもたちの応援ボードに励まされあえぎながらも登る。
やっと登り切った。
松尾峠の頂上から宿毛湾の眺めは絶景だ。
国境の大師堂
往時は毎日何100人もの旅人が行き来したそうだ。
愛媛側の山道は驚くほどよく整備されていた。
各所に残る旧遍路道
途中の民家ではみかんのお接待もいただいた。
この日の札所、観自在寺も近い。
愛媛県最初の宿、民宿磯屋に到着
高齢の女性が一人で営んでいる。
此処の女将さんは何度も電話で確認が来たり
飲み物(酒)はいりませんか?とか
我々の来訪を楽しんでいた。
食事は驚くほど品たくさんだ。

此処の女将は実に話好きでまるで傾聴ボラの立場だった。
著名な女流作家などが取材したら
「遍路宿の女将」なんてタイトルの本ができそうだ。

この日のデータ
遍路12日目 2020年11月22日
民宿磯屋さんの朝食
食べきれないほどあったが完食した。
朝食の時間が長引き出発が遅れたほどだ。
磯屋の女将さんに撮っていただきました。
愛媛ではあちこちでお接待のみかんをいただく
有難いことで元気が出る。
この日は、難所柏坂である。
海沿いを行くルートもあるが先人たちの労苦をしのんで
チャレンジする。
峠手前で自転車で追っかけてきた女性から
手作りキーフォルダーのお接待をいただいた。
有難いことだ。
確かにきつい坂だ。
天候が悪ければ更につらかっただろう。
頂上はまだか?
延々と登りが続く。
やっと着いた展望台
眺めに癒される。
下りも延々と長く続く
こんな深山に入り込むとは。
途中に野宿のテントが張られていた。
山奥での野宿もつらいだろう。

やっと集落に出た。
田んぼで老婆が梯子を運ぼうとしていたが
とても独りでは大変そうだ。
我々が代わってすぐ近くの家まで運んだら
家にいた爺さんから休んで行ってくれと言われたが
夕闇が迫っているので断って先を急いだ。

暗くなった頃やっと、この日の宿、津島の三好旅館に着いた。
ベテラン女将の対応に疲れが休まる。
夕食も豪華だ。

同宿した遍路の男性は峠で転倒し
念のため病院で検査を受けたとか。
遍路は常に危険と隣り合わせだ。

この日のデータ
83階に注目
遍路13日目 2020年11月23日
このルートの最初の関門は長く曲がった松尾トンネル
左を行けば峠越、悩むところだが距離の短いトンネルを選んだ。
実に長いトンネルでうんざりする頃やっと外界へ出られた。
結果としてこの日は限界ほどきつい歩行で峠を行かなくてよかった。
この日はこの地域では都会、宇和島を抜ける。
大きな城下町だ。
城を迂回して市街地を抜けひたすら郊外へ向かう。
お昼はコンビニで購入し道端で食べた。
41番龍光寺を打ち
小学生たちが植えたコスモスに癒されながら42番仏木寺へ
この回、初めて団体さんがいた。
徳島県以来だ。
コロナで一時止まっていた団体遍路も復活してきたようだ。

この日の宿は民宿とうべや
高齢の男性が独りで営んでいる。当然素泊まりだから
コンビニであらかじめ菓子パンを買っておいた。
それでもこの位置の宿は他に無く貴重である。
もしも「とうべや」が予約できなかったらタクシーで
宇和島近くに戻らなければならなかった。

この日のデータ
遍路14日目 2020年11月24日
今日は難所、歯長峠越
前方の山を越える。
既に脚が連日の酷使で疲れているので旧道を避け
県道で峠越とする。
前方に大きな黒い物体がいる。熊じゃ無いだろう。イノシシだ。
写真を撮ろうとしたら逃げるように姿を消した。
もし向かってきたら大変だった。
この県道は大雨の度崩れるようだ。
あちこちで補修工事がされている。
これはこれで地元の収入源であろう。
峠のトンネルだ。あとは下りになる。
トンネル内は狭く不気味だ。
お昼は道の駅のレストランで済ませた。
今回最後の札所、43番明石寺着
こちらも団体さんがいたので密を避けるためしばらく待つ。
これで今回の札所はすべて打ち終えた。
軽く山道を越えて卯之町のビジネスホテル松屋に入る。
ここで役目を終わった山谷袋等を自宅に送り身軽になりました。
ホテルのチェックインまで時間があったので
卯之町の喫茶で昔懐かしいレスカをいただく。
うな重でささやかなお祝いです。
この日のデータ
遍路14日目 2020年11月25日
次回の遍路は44番からで久万高原にあり
アプローチに便利な大洲市まで歩を進めます。
この間には交通量が多い狭く危険な鳥坂トンネルがあり
旧遍路道を行くことにします。
今までに比べれば大した峠ではなかったです。
トンネルの出口に降ります。
この降りる小道は見つけにくいようで
そのまま延々と山道を行っても最後は国道に降りるのですが
気分的には国道のほうが安心できました。
歩道は落ち葉と引っ付き虫で歩きにくいです。
大洲は古い城下町で昭和の朝ドラおはなさんの舞台です。
おはなさん通りでお土産を買います。
お城を背景にパチリ!
大洲の宿はホテルオータ
今度来るときも利用したい宿でした。
無事にここまで歩き切りました。
近くの和食店でささやかなお祝いです。
この日のデータ
さあ帰るぞ 2020年11月26日
大洲からは各駅停車の電車で出発。
何処かの駅では一旦走り出したのにストップしたと思ったら
ドアが開き乗り遅れたお年寄りが乗ってきました。
都会ではありえないローカルさ。いいねえ。

松山、坂出と瀬戸内の眺めを
楽しみながら同時に次回歩くであろう街道の長さを実感し
坂出のビジネスで一泊、
このホテルとても古いホテルでしたが料金はなんと
一人1,500円で泊まれました。
その後岡山経由で帰宅しました。
折から松山、兵庫、大阪でコロナが増えだし
今回も最後は逃げるように途中は飲食なしで密を避け
一気に首都圏を抜けました。
今回の遍路期間
11月11日から11月26日までの
歩行データは319km49万歩でした。
 
トレーニング期間も含めると約500km歩いた靴はそれなりに摩耗しました。でも靴は偉大ですね。
わらじの時代の人は大変だったでしょう。
ヒヤリの記
愛媛の宿を予約したとき、43番明石寺の近くの卯之町の松屋旅館をネット予約したつもりだった。
これでOKと安堵していたら携帯に着信が・・・女将さんらしい言い回しで「松屋旅館です。ご予約いただきありがとうございます。ところで何番のお寺さんから見えますか?」
「えっ、お宅の近くの明石寺ですよ。」
「何番のお寺ですか?」
「43番です。」
「こちらは四国中央市の松屋旅館です。65番の付近です。宇和島のほうにも同じ名の松屋旅館があるそうで間違っていませんか?」
「エー、そうですか?すみません。キャンセルします。」
「またこちらに進まれたら是非ご利用ください。」
即ネットからキャンセルし迷惑をかけずに済んだ。」
それに気づかずにいたら卯之町の松屋旅館に到着しても「予約いただいていません。」 と悲惨なことになるところだった。
ああ、危なかった。女将さんの機転で助かった。

中浜から土佐清水へ降りる山道はシダが茂った細い急坂だった。
かみさんが岩で靴を滑らせ横に転倒、シダの茂みにそのままドスン!
幸いシダがクッションになったようで打撲も骨折もしなかった。
車も入らない山中、ヒヤリとした。
遍路は常に危険と隣り合わせだ。
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今回の遍路もすべて計画通りに進み、楽しい体験でした。

歩き遍路は厳しいだけに素晴らしい。
お金も時間も、そして何より健康がそろって可能になる究極の贅沢かもしれません。
夫婦共に癌サバイバーである自分たちの幸せに感謝してレポートを終えます。
最後までご覧いただいた皆様ありがとうございました。
     2020年11月吉日 南無大師遍照金剛