ねこさんの夫婦でチャレンジ 歩き遍路その3 2020年春 | |
2019年の春、かみさんの一言がきっかけで、お遍路を思いつき夫婦で歩き遍路にチャレンジした。 電車、バスで徳島県に入り1番の札所霊山寺から山越えてやっと18番の恩山寺手前まで歩いたところで、 かみさんの膝が猛烈に痛み出しそこで断念、ホウホウの体で自宅に帰り着いた。 その反省から毎朝6時から7時過ぎまで早朝のウォーキング約6kmで脚を鍛え2019年秋には18番恩山寺から難所の鶴林寺、 太龍寺を無事にクリアし徳島県最後の札所薬王寺を済ませ、さらに高知県との県境まで歩き切った。 そして2020年春、折から新型コロナウィルス騒ぎが日に日に酷くなるころ高知県を歩くことになった。 |
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今回は高知県の東端、海陽町から高知市を抜け須崎市に至る 200km余り、難所の室戸岬越となる。 何もない海岸線を延々と歩くことになるので民宿を早くから予約した。 荷物もそれこそボールペン1本に至るまで軽くした。 |
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遍路道の確認は案内地図は持ったが今回はスマホで Google Mapを活用することにした。 既に優れたデータが公開されている。 これを使うと自分の現在位置と向かっている方向が |
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準備 | |
民宿では洗濯機、乾燥機、シャンプータオル浴衣など全て 備えられているので荷物を徹底して切り詰めリュックの重さを 4kg程度に抑えた。 ちなみに宿泊費用は民宿だと夕食朝食付きで一人6000円〜7000円 程度である。
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いつものように半野良の飼い猫用に特製の給餌器をセットした。
自宅の様子は旅先からスマホでモニターできるようカメラもセットした。
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遍路コースについては今回は室戸岬にある24番最御崎寺から 36番青龍寺までとし13日間12泊の行程とした。 |
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遍路1日目 徳島入り | 2020年3月30日 |
JR線で三ノ宮まで行き高速バスで徳島に入った。 昼食の後、ローカル線で高知との県境、甲浦(かんのうら)へ 行こうとしたらコロナの影響で間引き運転になっており 2時間以上も待たされることが分かった。 民宿に電話し到着時間が7時過ぎになると連絡する。 |
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ちまちまと列車を乗り継ぎ県境に近づく。 予定ではとっくに民宿についている頃だが田舎の駅で時間を費やす。 ローカルな駅ではトイレも清掃要員が調達できなくなり閉鎖されている。 |
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やっと甲浦駅行きの列車に乗れた。 赤字路線なだけに存続をかけ地域が必死に運航サービスに 心がけているのが感じられる。 車内の装飾もこの通り。 |
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前回の到達地、甲浦駅から民宿まで歩く。 大した距離ではないのだが異常に長く感じられた。 すっかり暗くなったころ民宿いくみに到着。 |
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遍路2日目 | 2020年3月31日 |
民宿いくみの朝、 いよいよ室戸岬に向かって長い旅が始まる。 午後からは雨の予報だ。 |
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弁当はこの先、唯一の店で購入した。
海岸沿いの単調な道が延々と続く。
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この辺りは古くからゴロゴロ海岸と言われ大小の岩が連なり 昔の遍路は草鞋履きでその間を縫うように歩いたそうだ。 今では車道の脇を歩けるがそれはそれは難路だったことだろう。 |
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予報通り雨が降ってきた。 予定の民宿が近いので雨具を着るのも面倒だから濡れながら 一気にたどり着いた。 宿につくと雨は一段と激しくなり海は荒れ始めた。 |
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民宿おざきの、さかな尽くしの夕食 盛り付けも高級料亭みたいだ。 今の時代はありがたい。 昔の遍路はそれはそれは粗食だったそうだ。 この日の泊は私らだけだった。 |
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この日の歩行データ | |
遍路3日目 | 2020年4月1日 |
朝から大雨 ポンチョを付けての歩行となった。 風も強く海は大荒れである。 横から車が水しぶきをかけて走り去る。 まさに修行の歩行だ。 それでも一歩一歩室戸岬に近づく。 荒磯の眺めは幼少のころ何度も見た東映映画の 大波が岩で砕けるシーンそのものだった。 |
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室戸岬横の札所 24番最御崎寺(ほつみさきじ)は山の上で急な階段がある。 カニを踏まないようあえぎながら登った。 |
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やっと山門に着いた。 |
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昨夜からの台風並みの低気圧が去っていった。 まだ時々雨が降ってくるが視界が開けてきた。 最御崎寺からの下りは室戸の町と海を一望できる。 海岸沿いを延々と歩き、25番津照寺に着いた。 |
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やっと民宿うらしまに着いた。 靴もずぶぬれだ。 宿の爺さんが新聞紙を破って靴に詰め込んでくれた。 体力も消耗したのでボリュームたっぷりの夕食がうれしい。 |
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この日の歩行データ | |
遍路4日目 | 2020年4月2日 |
朝から晴れ渡った。 これから1週間は晴れる予報だ。 26番金剛頂寺への道 これまた山の上のお寺である。 |
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下山道も昔のままである。 | |
関宿を思わせる街道に入った。 小さなパン屋さんで手作りのパンを買う。 こちらでは帽子形状のパンがあり縁がパリッと焼き上げられて 美味しかった。 |
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関宿と同じく重要伝統的建造物群保存地区の吉良川町である。 | |
この日の歩行も長い。 なるべく足に負担がいかないよう側溝の蓋の上を歩く。 気分だけでも脚や膝への衝撃が軽減されるようだ。 |
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途中の中山峠越 車道を行くより短縮できるのだが登りはきつかった。 マムシ注意の看板もあった。 |
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やっと着いたホテルなはり 明日は朝寝坊できる。 大休止の日とした。 |
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豪勢な夕食はありがたい。 | |
この日の歩行データ | |
遍路5日目 | 2020年4月3日 |
朝はゆっくりし10時過ぎから歩き出し昼頃にその日の宿に到着。 難所といわれる27番神峯寺(こうのみねじ)は 急な山の上なのでリュックを宿に置き身軽になって登ることにした。 |
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急な急な坂が続く。 2本杖であえぎながらもやっと登り切った。 |
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よくぞこんな難所にお寺を建立したものだ。 登った道を戻り宿に入る。 |
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民宿とうの浜の夕食 いつもながらありがたい。 |
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この日の歩行データ 歩行距離は少なめだが87階の階段相当の登山だ。 |
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遍路6日目 | 2020年4月4日 |
毎日晴天が続く。 今日は海沿いの道だ。 途中道沿いにミカンなどの |
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絶景が続く。 気持ちのいい歩行だ。 |
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バナナはおやつに最適だ。 休憩場所で4つ葉のクローバを見つけた。 |
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この地高知県安芸市は作曲家弘田龍太郎の出身地、 歌碑が設けてあった。 |
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海岸沿いには数100メートル置きに、こんな津波の避難タワーが設置されている。 大がかりなものでトップには非常用の資材倉庫も設置してある。 |
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入口はこのようになっていて非常時には誰でも開けられるようになっている。 | |
適当な場所に民宿がなかったので、この日の宿はホテルTAMAI。 フロントに行くとオーナーらしき人と担当者の話し声が聞こえてきた。 コロナ禍で団体の予約がすべてキャンセルだと嘆いていた。 けっこう贅沢な夕食、もちろん完食した。 |
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箸袋がいいね! | |
この日の歩行データ | |
遍路7日目 | 2020年4月5日 |
この日は距離が長いので朝早く出発 | |
大半が自転車専用道の歩行である。 |
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眺めも良く快適な道が続く。 | |
国際障害者年の記念に設置された歌碑。 歌詞は辻典子さんが足指で書いたもの。 |
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春遍路、桜の回廊を抜ける。 | |
地元のおばさんたちの作 見事な展示だ。 |
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自転車専用道のトンネル ここは風の通り道のようで 内部は風洞かと思うほど風が強かった。 |
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突然視界に入った奇妙なもの だんだん上に動いている。 跳ね上げ橋で船が通るときには上がる橋だ。 余裕があれば近くまで見に行きたかったが先が長いので断念した。 |
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やっと着いたこの日の宿、丸米旅館 夕食は提供無しなので近くのコンビニで食べた。 高齢の女将が仕切っていて 第一印象はよくなかったが 遍路慣れしており、いい人だった。 |
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この日の歩行データ | |
遍路8日目 | 2020年4月6日 |
旅館の朝食 安い料金から見れば、ここまでサービスしてくれてありがたい。 |
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この日もけっこう長距離だ。 むかしの遍路道は家の軒先のような場所もある。 |
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田んぼのあぜ道のような場所もある。
高知市の北部の田園地帯を延々と歩いた。
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この日の歩行データ | |
遍路9日目 | 2020年4月7日 |
この日は軽い山越ルート 山の上は牧野富太郎博士を記念した牧野植物園になっており その横に31番竹林寺がある。 もともと遍路道も竹林寺も昔からあったものだから植物園の中に 遍路道が残されている。 |
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牧野植物園の中の遍路道を往く。 植物園は有料エリアだが遍路は別である。 |
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32番 禅師峰寺に向かう途中の小学校の横にあった 子どもたちからの励ましのメッセージボード。 これはありがたい。 |
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道端にイチゴの無人販売があったので購入、その場で平らげた。
歩いているとイタドリを積んだバイクのおばさんが止まってデコポンのお接待を受けた。 |
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禅師峰寺への道 ここも山の上にある。 |
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お昼の時間になってもなかなか喫茶店もレストランも見つからなかった。 やっと見つけたご飯屋さんはセルフで選ぶお店、 空腹なのでつい取りすぎてこんな昼食になった。 |
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龍馬像で有名な桂浜は近くだが今回は寄らずに昔からの遍路道を往く。 渡船で対岸に渡る。この渡船、歴史もあり県営で今も健在である。 料金も無料で地域の足として使われている。 |
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向こうに見える橋は車が中心で歩行は危険だそうだ。 | |
やっと着いた。 33番 雪蹊寺 今夜の宿、民宿高知屋さんの前である。 日に日に新型コロナが広がってきた。 |
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この日の歩行データ | |
遍路10日目 | 2020年4月8日 |
今回の遍路も終盤である。 高知屋の女将さんにシャッタを押してもらった。 |
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西へ西へと進む 側溝にはきれいな水がとうとうと流れ水郷地帯かと思わせる。 |
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四国の大河といえば 四万十川と吉野川だが この仁淀川(によどがわ)も 重要である。水質では全国一だとか。 |
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仁淀ブルーとも呼ばれるほど美しい水である。 | |
35番清滝寺は山の上である。 ふもとのタクシー会社がお接待として荷物の無料預かりをしてくれる。 ここにリュックを預けてお寺に登る。 |
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身軽な山登りだから助かる。 | |
清滝寺から下界を眺める。 土佐市は水の豊かな町だ。 この日の宿はビジネスイン土佐 |
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この日の歩行データ | |
遍路11日目 | 2020年4月9日 |
いよいよ今回最終の札所 36番青龍寺に向かって歩く |
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こちらに来た時、咲き出した桜も 散り始めた。 桜吹雪の中を往く。 |
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漁村らしく、こいのぼりに大漁旗が泳いでいる。 | |
途中、車が止まりビスケットと一緒に渡されたのは民宿の案内名刺。 コロナ禍でお客が減りオーナも大変らしい。 |
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峠のトンネルを越える。 本来の遍路道は峠越の山道で大変なのだが このトンネルのおかげで楽に行けるようになった。 |
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36番青龍寺は半島にある。 今は立派な橋を渡っていけるが むかしは渡船でしか行けなかった。 |
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青龍寺への階段を上る。 本堂は遥か上だ。 |
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36番青龍寺で今回の計画の札所は全部終えた。 | |
完歩を祝って宿は近くの観光ホテル三陽荘。 大浴場も立派だし料理も豪勢だ。 |
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こちらは朝食 朝からごちそうだ。 |
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この日の歩行データ | |
遍路12日目 | 2020年4月10日 |
次回の遍路に備えて更に西に 歩を進めておく。 むかしの遍路のように渡船で 鉄道駅のある町まで近づくことにした。 須崎市営の巡行船 地域のバス代わりである。 どうしても渡船を利用しなければならないコースではないが |
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一日3便だが料金も620円と安い。 | |
お客さんがいなくても途中の港には寄っていく。 岸に誰もいないとそのままターンして次に行くのでバスと同様だ。 |
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何かを養殖しているのか 筏の上に作業場がある。 |
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船を降り峠を越えれば 町も近い。 |
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須崎の市街地が近づく。 ここは住友系のセメント工場が連なり煙突や高炉が屹立している。 お昼の時間が来たので喫茶店「おとずれ」によってゆっくり休んだ。 今回はこの後、電車で高知駅に戻り一泊するので余裕であった。 喫茶のマスター達と世間話が弾んだがやはり話題は新型コロナであった。 |
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この日の歩行データ | |
さあ帰るぞ | 2020年4月11日 |
鉄道で須崎市の多ノ郷から高知駅に移動し駅前の高知ホテルで 最後の夜を過ごした。 折からコロナ禍で部屋から出ずに朝を待つ。 高知駅は閑散としていた。 |
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高速バスで三ノ宮まで移動 なんと乗客は我々2人だけだった。 |
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神戸の街も閑散としている。 マスクをし飲食せず、手すりも触らずで一気に抜ける。 この後、一斉に納経所がコロナ禍で閉鎖となり
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今回の遍路期間 3月30日から4月10日までの 歩行データは220qでした。 |
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今回の遍路もすべて計画通りに進み、楽しい体験でした。 歩き遍路は厳しいだけに素晴らしい。 お金も時間も、そして何より健康がそろって可能になる究極の贅沢かもしれません。 夫婦共に癌サバイバーである自分たちの幸せに感謝してレポートを終えます。 最後までご覧いただいた皆様ありがとうございました。 2020年4月吉日 南無大師遍照金剛 |
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