旧道安楽峠   誰も通らないが今なお残る安楽古道

東海道を往来する旅人にとって鈴鹿山脈は箱根と並ぶ難所であった。標高約1000mの山々が約50Kmに渡って連なり特に伊勢側から京都方面に行くには険しい坂を登らなくてはならなかった。特に冬季には積雪により更に困難だったことだろう。東海道は今の国道1号線に沿っていたがその少し北に間道として安楽越があった。関所等が無く安楽に越えられたのでその名がついたと伝えられている。

ある冬の日、亀山市の景勝地、石水渓から安楽越への林道を車で走っていた。ふと左側の車窓から冬枯れの樹林越しに道形が見えた。あそこには知らない道があるようだ。車道ができて半世紀も前に消え去った安楽越の旧道かもしれない。「若い頃は毎年田村神社の祭りに通ったものだ」と語る坂本集落の古老の話を思い出した。
豊臣秀吉も3万の軍勢で安楽越から伊勢に攻め込んだ記録もある。千年以上東西の交易に、また軍事に利用されてきた道である。わずか数十年で消え去ることは無いはずだ。急に興味がわいてきた。

コブシの咲く頃、独りで石水渓の太閤石付近から入ってみた。ここは以前にも急坂を登り山越えして石水渓開発小屋の辺りまでは歩いたことはある。この部分は今でも踏み跡がはっきりしていた。しかしそれより上に向かう大半の部分は今どうなっているのだろう。沢沿いに進むと苔むした石とはっきりした道形が上に上にと続いていた。剪定はさみでイバラと笹を刈りながら探索を始めた。おそらくは車道の工事で埋められたのだろう。道形が消え車道にぶつかるところもあった。それでも多くは、かって道だったことをもの語るように落ち葉に埋もれながらも道形を形づくっていた。

何度か訪れルートを地形図に書き込み写真に撮った。暑い日には旅人の喉をうるおわせたであろう沢の流れは今でもこんこんと流れていた。凍てつく冬の日は北風をさえぎった谷間の樹林は往時のままだろうか。
砂防ダムの工事で埋められた付近はゴミが堆積していた。それでも大半の旧道は健在だった。笹やイバラに覆われているが道形は残っていた。ついに近江との国界、旧安楽峠に立つとそこには滋賀からの風が吹き抜けていた。

この付近は近年第2名神の工事で大きく様変わりしてきた。石水渓も道が拡幅されバスも出入りするようになった。しかし幸いにして安楽越の旧道はそのまま残った。これは私たちの歴史的な財産でもある。脚にきつい階段歩道も立派な標識も要らない。昔のままに笹刈り程度の整備を続け安楽古道として次世代に残ればそれでいい。老夫婦でなかよく、また子どもや孫を連れて石水渓から旧道を安楽峠に登り車で車道を戻ってもいい。足腰に自信の無い人は車で安楽峠まで登り、古道を下るルートもいいだろう。時空を越え自分達の祖先が何百年も歩き続けた道をいま静かに振り返ってみよう。               作成:仙の石      リンクは自由に 写真も自由にお使いください

これが安楽古道    先人たちの英知とエコロジーな道 
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(愛知厚顔作)  伊勢津彦さんの古道歩き記       TOPへ