我が家の耐震工事 地震だーつ

きっかけ

診断

亀山地震

設計依頼

準備・解体

工事開始

完成

費用

私のプロフィール

2007年4月15日昼下がり、ちょうど日曜日でめずらしく我が家で妻と昼食を終えた頃だった。
地の底から響くような音が響いた。今のは何?と妻と顔を合わした。
それから数10秒も経っただろうか。大音響とともに飛ばされるような衝撃が南のほうからやってきた。
ほんの一瞬だが、来たーっ、東南海地震だと思った。このまま我が家は倒壊する。しまった遅かったと頭の中を思いが駆け巡った。でも衝撃はそれだけだった。テレビは普通に映っている。停電していない。この時点でたいしたことないと思った。外の電線は大きく揺れていたがまもなく収まった。外に出ると自治会長も出てきて被害の確認を始めた。

やがてテレビからは続々と地震速報が流れてきた。亀山は震度5強だとか。
直ちに東京の娘に携帯で連絡しこちらは無事だと伝えた。まだ娘宅では地震の件は知らなかった。
アメリカにいる息子にもメールで無事を伝えた。まもなく息子の妻の実家(島根)から携帯に大丈夫かと連絡が入った。この頃から携帯はラッシュでつながりにくくなったようだ。正直なところ会社を退職していてよかった。もし在職中なら何より会社の生産設備など操業の心配をしなければならないところだった。

家の被害はわずかガラスのコップ1個が収納庫の扉を開けるとき落下して割れただけだった。
テレビでは亀山城多門やぐらの石垣が崩れたとヘリコプターからの映像が繰り返し流されどうやら亀山が地震の中心地だったようだ。私の活動拠点の東町「ねこの館」でもたいした被害はなく棚の物品も不思議なほど落下していなかった。でも空には何機かのヘリコプターが舞い、どんどんテレビ局の報道車が集まってきて喧騒とした様子でお城近くには近寄れないくらい状態が日没後も続いた。

後でわかったことだが自宅の近くのお寺の墓地では墓石の倒壊やズレがけっこうあったし、鉄骨作りの民家の瓦が全部はがれたそうだ。ある専門家は多くの家は開口部が南に位置しているので東西の揺れに弱いが、今回の地震は南北方向に1度だけ揺れたので震度の割りに被害が少なかったのではないかと言っていた。
確かに南北方向に置かれた棚ではほとんど落下していなかった。