2007年ケニヤの旅 2007年9月14日〜9月22日 |
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今回のルートは名古屋>ドバイ>ナイロビの往復。 往路と帰路が少し異なるがこれは気流の関係で選択したのだろうか。 所要時間は名古屋>ドバイ 約10時間。ドバイで5時間待ちの後 ナイロビまで約5時間だった。 時差は6時間だが赤道直下のケニヤは北米やヨーロッパより遠い。あらためて地球の大きさを思う。 |
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今回は夕闇迫る伊勢湾を津からセントレアへ。幸い台風も遠くに去り穏やかな海だ。 参加者は女性2名男性4名の計6名。 内男性2名は前回参加者で引率役だ。 |
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今度ははじめて使うエミレーツ航空だ。 アラブの飛行機で機体も新しい。 エコノミーだから席が狭いのは仕方が無い。燃料単価の上乗せでケニヤ往復で約18万円だった。 |
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早速機内食。リッチな航空会社だから、うわさどおり食事は充分すぎるほど質も量もいい。 | |
中国>タイ>ビルマと、はるか1万メートルの上空を飛んでいく。スピードは約900KM毎時。 | |
夜間飛行だから星空のイルミネーションが機内を飾る。天井にLED(発光ダイオード)を埋め込んであるしゃれた機体だ。 | |
約10時間の後、アラビア半島のドバイに到着。 機外はムットするような熱気。 夜間でこうなんだから昼間は恐ろしい暑さだろう。 それにしても巨大な空港だ。 |
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ドバイの空港の中はアラビアの雰囲気。 こんな休憩用のテントもあった。 |
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ドバイはアラビア半島の都市で最近急速に成長した。その経済を支えるのはかってはオイルマネー、今では人と物流の中継地点として地の利を生かした国際都市。住民も大半が外国人である。
空港内部は国際色豊かで東洋と西洋、中東とアフリカ。いったい何ヶ国の人々が行き来するのだろうか。 |
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富の象徴、黄金のやしの木の下では装飾品のショップが客を集める。 | |
乗り換え時間が4時間以上でエミレーツ航空の利用者には無料で食事のサービスが提供される。 明瞭な表示が無く、この場所を探すのに一苦労した。 あきらめかけた頃、偶然発見。 ようやく食事にありつけた。 |
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ドバイのお土産はなんでもある。 黄金のパッケージのチョコレートが定番だ。4個買うと1個おまけだとか。 |
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夜明けのドバイからいよいよケニヤ行きの飛行機に。 今度は一回り小型で約5時間の旅だ。 |
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機内食もたっぷり。 でも味付けは日本人にはちょっとなじめない。 |
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キリマンジャロ登山の日本人も何人かいた。一路サウジアラビアの砂漠の上を飛ぶ。 混乱続くイラク、イスラエルのすぐ近くなのがうそのようだ。 |
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ケニヤ、ナイロビ空港に到着。 市橋隆雄さんの出迎え。 荷物チェックはまったく無しでフリーパスだった。車のパーツからパソコン部品までたくさん持ち込むので心配していたが、じつにあっけなかった。 |
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市橋家での夕食。 楽しく話が盛り上がる。 |
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参加者6名全員と、お手伝いさんも一緒に記念写真 | |
ナイロビのホテルにチェックイン。 プールもあっていいホテル。 何より警備員が20名以上いて安全なホテルだとの事。 |
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翌日は日曜日。 教会兼幼稚園では早朝からスラム地区の子ども達に食事のサービスがある。 このあと子ども達は子どもだけの礼拝に出る。 |
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市橋さらさんは絵本を見せながら 子どもたちへお話をする。 今日はマザーテレサの生涯についてだった。 やさしい英語でかたっていた。 スラムの子どもたちにとって英語を理解することは 将来、仕事を得るためにも大切である。 |
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礼拝の始まり。 賛美歌も全身で表現し歌うのでにぎやかである。 ケニヤでは英語とスワヒリ語が使われる。 市橋さんたちもこの両方を使いこなす。 |
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市橋隆雄さんはここの牧師である。 今日の英語での説教はこんな趣旨だった。 人生には思わぬ不幸や出来事がある。それは信仰をもって防げるものではない。しかしすべてをありのまま受け入れることで、その不幸も意味のあることだとわかるときが来る。神を信じることで災いを乗り越える道をあたえられる。 |
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ナイロビは花と緑が多い。 気温も日本の春のようで少しも暑くない。皆が、長袖である。 これも赤道直下ながら標高が1700mもある高地だからである。
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幼稚園からの帰路は歩いてみた。 この通りは高級住宅街で家の周囲には生垣の花が美しい。 しかし安全を守るため塀の上には鋭い金具が設けられ街路の出入り口は委託会社の警備員が24時間遮断機を上げ下げして監視する日本では考えられない社会だ。 |
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ナイロビ在住の日本人が集まって恒例の夕食パーティ。 家族の子ども達もやってきて日本人でいっぱい。 |
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翌日から2泊3日のサファリツアーに出発。 アフリカの大地溝帯を望む。 人類発祥の地といわれている。 |
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やがてケニヤの穀倉地帯を通過。 どこまでも麦畑が続く。 ちょうど収穫の時期でコンバインが動き 大型トラックが行き来していた。 |
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未舗装の悪路が延々と続く。 このときは雨の後であまり砂ほこりは立たなかった。 |
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途中の町、ここで車に燃料補給。 仕事にあぶれた男達がたたずむ。 それでもこの時期は、景気が良さそうで活気があった。 |
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早くもダチョウに遭遇。 もうマサイマラ国立公園も近い。 |
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これがサファリのホテル、 ロッジというのが妥当か。 テント張りで寒くないかな? でも大自然の中、ナイロビのホテルより快適だった。 部屋に鍵がなくファスナーだけなので女性たちは最初は不安がっていたが何もなかった。 |
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食事はバイキング形式。 特に不自由は無い。 パンもフルーツも豊富だし好きなものを選べる。 |
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夕方からのサファリに出た。 これはトピの群れ。 |
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ヌーもシマウマも入り乱れている。 でも仲よく草を食んでいる。 |
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これがサファリカー。 天井が持ち上がる。 動物がいる場所を運転手が無線で連絡しあっている。 |
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ライオン発見 たいてい群れでいる。 |
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サファリカーが集まってきた。 | |
クローズアップ! こんなのが日本にいたら怖い。 |
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オスは近くでおとなしく寝ていた。 腹は満腹のようだ。 ねこ族のオスはなまけものでもある。 |
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ホテルの夕食でのマサイ族のダンス。 天井に届くジャンプが特徴だ。 |
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大草原に夜が明けた。 今日も天気は良さそうだ。 |
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早朝から気球でのサファリもある。 乗るのは高価(約4万円)なので見るだけ。 ゴンドラは大きく一度に10人は載れる。 |
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早くからキリンのお出まし。 実に優美な散歩だ。 |
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水牛も、朝の食事か。 | |
アフリカ像の群れも出てきた。 | |
無数のシマウマが草原をうめる。 なぜかマサイ族は乗馬の対象にできなかったらしい。こんなにいるのにもったいないことだ。 |
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ライオンに食べられたヌーの骨。 まだ今朝のものらしく肉片が残っている。 あとはハゲワシがきれいにしてくれる。 |
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これは満腹して寝そべるチーター この季節、ヌーが何処でもいて食料に不自由は無いらしい。 |
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いっせいに移動するヌーの大群。 草を求めてタンザニアとケニヤの間を行き来する。数匹のシマウマが入り混じり先導したりしておもしろい。 |
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川には無数のヌーの死体が浮く。 川を渡れずにおぼれたのだろう。 そこにハゲワシが集まる。危険を冒してまで餌を求めて川を渡る。死んだ仲間は鳥や魚の餌になる。大自然の厳しい掟をかいま見た思いである。 |
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ワニもヌーが餌だ。 満腹したのか岸辺で寝そべる。 |
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これがタンザニアとの国境 でもあるのはこの標石だけ。 これなら行き来も自由だ。 |
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一人1000シリング(約2000円)払ってマサイ族の村訪問。 火起こし実演、踊り、小屋見物にショッピングと観光用メニューになっている。 マサイ族の火起こし(動画) |
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ホテルのマサイのウエイターと一枚。 牛一頭と家あげるから嫁においでと言い寄ったとか。 |
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帰り道はカラカラに乾いてほこりがすごい。昭和30年代の日本の道だ。 | |
キューナ幼稚園の園舎 お金持ちの子どもが集まる幼稚園だが造りは粗末である。 |
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子ども達の絵 イギリスからきた先生の指導で 年齢以上に進歩した絵になっている。 |
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説明する園長の市橋さらさん。 家族でケニヤに在住して19年になる。 |
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スラム地区の幼稚園コイノニア幼稚園に移動した。 スラム地区といっても子ども達にはキューナ幼稚園と同レベルの教育を受けさせている。 子ども達の絵も色鮮やかだ。 |
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ライオンズの寄付で購入した電熱式陶芸窯。毎週子ども達に陶芸の体験をさせている。 |
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スラムのお母さんの自活を目指したミシン教室。 ミシンは古く故障も多いそうだ。 日本から不用のミシンを送ってやりたいが税金が法外なのでお金で寄付して欲しいとのことだ。 |
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音感教育の補助にと一昨年、日本で集め 贈呈したピアニカの演奏 卒園した小学生も演奏に参加した。 ナイロビに駐在していた女性の指導で 技量も向上したとのこと。 |
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子ども達の通園路を歩いてスラム地区に入る。 | |
園児の家庭を訪問。 壊れた建物の内部を区切り片面はぼろ布で覆った電気も水道もトイレも無い家である。 |
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隆雄さんはここでは信頼されていて自由に話ができる。
観光旅行では絶対入れない場所である。 |
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赤い屋根の建物がコイノニア幼稚園 中央の斜面の畑地がコイノニア幼稚園の増築予定地2000坪。 ここを購入し園舎を増築するため1坪1万円の寄金を求めている。 |
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ナイロビの繁華街のマーケット ここは値段交渉次第で安く買える。 |
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ケニヤ最後の晩 市橋家で夕食をいただく。 |
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コイノニア幼稚園のスタッフの朝の礼拝 今日帰途につくわれわれの安全も祈っていただく。 |
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お昼は日本食のお弁当。 ナイロビ在住の某婦人の作る素晴らしいお弁当である。 |
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帰りもエミレーツ航空
日本に向け長い旅が始まる。 |
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機内食 けっこう贅沢だ。 |
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ドバイで4時間の乗り継ぎ 女性たちは最後のお土産の購入に余念が無い。 |
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もう日本も近い。 中国上空から韓国へ 眼下には中国の工業地帯が見える。 近年大きく変わった中国である。 |
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最後の機内食は和食になった。 懐かしい醤油味である。 8日間の楽しく有意義な旅は終わった。 |
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今回は私としては一昨年に続き2度目の訪問となりました。 前回の経験が生きて準備から実行までたいへん楽に進みました。 現地のネット回線も2年前と違って常時接続となりましたがまだまだ動作が不安定でした。 それでもスカイプで日本とつながり短時間だけど直接話せてあらためてインターネットのすごさを実感しました。市橋さんたちの必要とされる仕事(ミッション)はまだまだ山積みです。 卒園後の子どもたちへのフォロー、コイノニア幼稚園の増築用地購入建設、親の自立への手助け等など。 資金も要ります。それに、より多くの皆さんの理解と協力なのです。自分にはやりたくてもできないことを代わってやってくれる、そんな人、市橋さんたちをご支援ください。 2007年9月23日 伊藤 |