ケニヤの旅 後半 前半へ |
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,5日目もサファリ | |
翌日は朝6時半から早朝サファリに繰り出す。 サンライズが美しい。 四方八方どこまでも続く大草原だ。
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早朝から草を食むヌーの大群 このうちいくらかはライオンの餌食になる。 でもライオンは必要以上は獲らない。 死骸にたかるハゲタカも平和共存していた。 |
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シマウマ達も朝ご飯らしい。 | |
車外に出て放尿する某君。 ライオンからは離れているらしい。 運転手が笑っている。 |
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サファリの草原に咲く美しい花。 ジャガイモの花に似ている。 |
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キリンも10頭以上は現れた。優美な風景だ。 のびのびと歩むキリンはいつでも絵になる風景だ。 |
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近くにあるマサイの村を訪問。 入村料1人1000シリング(1600円位)を払うとこの村では写真も遠慮なくどこでも撮れる。彼らにとっては大金だとのこと。 案内してくれた若者は27歳、長老の息子で妻が2人だとか。 |
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マサイと一緒に踊るわがメンバー。 でもマサイのようには飛び上がれない。 |
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どうだ!高いだろう! | |
マサイと一緒に記念撮影 | |
ハエが顔中いっぱいのマサイの赤ちゃん 地面は牛の糞だらけで衛生環境は悪い。 |
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マサイ村には学校もある。 英語や算数ができないと現金収入も得られないだろう。 見学後は少しだけど寄附もしておいた。 |
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サファリに戻りカバを観察する一行 数頭が川の中にいた。 餌は陸に上がって草を食べるそうだ。 |
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サファリカーの無線機はとても大切。 動物のいる場所の情報交換やタイヤがぬかるみに入ったときの救援に必須だ。日本のケンウッド社製だった。 |
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帰途少し雨が降った。やがて虹がかかりアフリカ像の群れが行く。こんな眺めを見れるなんて至福のひと時だ。 | |
6日目はナイロビに戻る | |
ロッジの食事はバイキング フルーツの生ものも多かったが誰も異常はなかった。 皆さんたくさん食べました。 |
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すてきなロッジだった。 全員で記念撮影。また来たいね。 |
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さらばサファリ、マサイマラ国立公園 親切で聡明な運転手と記念撮影 運転手は32歳新婚さんで妻は1人だって。 車は会社のだそうだ。 |
ナイロビまで戻る道 どこまでも広大な原野が広がる。 農耕にも工業にも利用されていない。 活用に不可欠な水と電力が足りないのだろう。 ケニヤには地下資源はほとんどないそうだ。 それゆえ内乱や戦争がなかったとも言われる。 |
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ナイロビに戻り市内を散策 仕事もなく、たむろう男があふれ、ゴミが散らばる お世辞にもきれいな町とはいえないし旅行者が単独で歩くには危険だ。でも昼間ならこのように集団で歩くのも可能だ。 ごちゃごちゃしたバラックの土産物屋で値切るのを楽しんだ。 |
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7日目は幼稚園とスラム街訪問 | |
スラムの近くのコイノニア幼稚園訪問。 ちょうどトイレの使い方訓練中だった。 お金持ちの子が通うキューナ幼稚園と同等の質の高い教育をしている市橋さんたちが創り上げた幼稚園だ。 |
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今回の来訪の目的のひとつ 日本から持参したピアニカ40台を贈呈 画期的な音感教育が今始まろうとしている。 スラムの子たちは環境の悪さから学力では劣っても音感や創造性は、素晴らしいそうです。芸能方面で自信をつけ将来の自立へと結びつけたいそうです。 |
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さら園長は、子ども達に言いました。 このピアニカは、衛生上あなた達の名前を入れるけど私が貸しているだけで、あなたのものじゃないの。大切に使わないとダメよ。ケニヤ人の先生達も目を輝かして新しい音感教育が始まろうとしています。 さっそく贈呈の記事と写真を日本の新聞社に送った。 |
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お金持ちの子どもが多いキューナ幼稚園の授業を見学です。 大統領の孫も通園しています。 日本人の子もいます。いろんな国籍、いろんな民族の子ども達が一緒に学んでいました。 自閉症らしい子が泣いて園庭に飛び出してきました。さらさんがなだめたらすぐに泣き止みました。 園庭で一緒に遊ぶいろんな民族の子ども達を見ていると未来の世界を見る思いです。 |
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お昼にスラム地区の幼稚園に戻りみんなで給食を食べました。豆とトウモロコシの煮物です。 ビックリするくらいおいしく、子どもたちの食欲もすごいです。 でもスラムでは1日1食、食べれたらいいほうです。 この給食により子ども達は成長できるのです。 |
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これがスラムの全景。 何百mもの間、バラックが続く。 地面はでこぼこして雨季には泥だらけになるだろう。 途中の至るところに人糞が残されていた。 |
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隆雄さんに連れられスラムの中を実際に歩きました。 スラムを歩くなんて、まず観光旅行ではできなかったでしょう。 会う人たちは、ちょっと警戒していたけど「ジャンボ」と挨拶を交わしました。 幼稚園へ野菜を運ぶのを仕事にしている女性の家の中も見せてもらいました。電灯もなく家具もなく窓もなく昼間も暗い部屋で煮炊きできるカマドがあるだけでした。 |
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あまりに貧しい人々の家、電気も水道もトイレもない。 安定した仕事があればこんな環境に住まなくてもいいはずなのだが。病気になっても医者にもかかれないだろう。 生まれた赤ちゃんのいったいどれだけが成人できるのだろう。 アフリカの病根は深い。 |
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空き地で遊ぶ子ども達。 市橋さんたちの運営するコイノニア幼稚園に通えるのはまだ一部です。特に貧しい家庭の子を優先して入園させているそうです。 |
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谷の向こう側にはお金持ちの豪邸が並ぶ。 隔離する石塀が作られていた。 隔離でなく仕事を与えないと問題の解決にならない。 治安も良くならないと市橋さんは言っていた。 |
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スラムの人に仕事を与えようとさらさんたちの提案で新しいプロジェクトが始まっていた。多量に仕入れた、しわくちゃの古着を分けスラムの人に200シリング(300円位)で買ってもらい、それを洗いしわを伸ばすなりして自由に売ってもらう。つまり付加価値をつけて商売をしてもらうビジネスだ。 | |
巧みなスワヒリ語で説明するさらさんの姿、「魂の語り」とでも言うかスラムの人との信頼が感じられた。 あるおばさんが今お金がないから、古着だけ欲しいといったが絶対に譲らなかった。結局その人はお金を工面して買っていった。 今飢えている人にパンを与えることはできるけど、それは問題の解決にならないと。 頑固なまでの意志と信念の強さ、それが市橋さんたちの活動の原動力だ。 |
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8日目はケニヤ最後の日 | |
ホテルの朝食はバイキング マンゴやパインのジュースがおいしかった。 欧州からの旅行者が多い。 |
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ケニヤも最終の日となった。 ワニやダチョウ等の野生動物の肉を提供するレストランに猫がいた。お客さんから餌をもらおうと下で待っている。 |
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次々運ばれる肉の塊。 ワニの肉は柔らかく美味だった。 |
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いよいよ日本に向け飛び立つ。 長い時間の旅が始まる。 |
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ケニヤ航空の機内食。胃に、もたれそうだし 運動不足で全部食べられなかった。 |
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タイ再入国でトラブル発生。 黄熱病の予防接種の証明書を要求された。 ケニヤ入国ではいらなかったのに。 結局バンコクの空港で接種することになった。 恐ろしく能率の悪い事務処理で3時間かけてやっと終わった。 今回のツアー最大のトラブルだった。 でも日本なら7000円以上かかる黄熱病予防接種証明がわずか1500円で入手できた。これでまたケニヤに行けるかな。 |
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12時間もある長い長いバンコク空港の待ち時間。 某さんはライオンのように眠る。 |
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女性達は元気だ。 タイ名物のマッサージにも寄るし最後の買い物をあさる。 |
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バンコクからセントレアはJALだ。 機内食はおかゆに和食。 さすが細かな心使いが嬉しい。 |
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9日目 日本帰着 | |
全員無事にセントレアに着いた。 楽しかったし有意義だった。 お金がたまったら、また行きたいね。 お土産はケニヤコーヒーがどっさり。 |
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あとがき:最後までご覧いただき光栄です。 ケニヤ最後の晩はパソコン修理の作業が残ったので私だけ市橋家に泊り込みました。 結果として市橋ファミリィの雰囲気をすみずみまで体験できました。 血のつながりがなくても、どこにでもあるひとつの家族でした。けんかもするし言うことを聞かないノア君は叱られているし、それでもそこには家族の愛があふれていました。 隆雄語録:ケニヤに17年住んでいるけど帰化するつもりはありません。私は日本人だしケニヤ人になれっこないんです。それより国籍に関係なく違いを超えて共に生きることが私達の使命なんです。 作成: 「市橋隆雄さんを支える会」広報 伊藤 amani@helen.ocn.ne.jp |