謎を解く
安楽古道は1965年(昭和40年)ごろまでは土山と安楽の集落の交流に使われていた。
炭焼き等の山仕事はもちろん婚姻による親戚間の行き来や茶の栽培での出稼ぎにも利用されていた。
毎年の田村神社の祭りには大勢が行き来した。安楽地区からは旧東海道(国道1号線)を使うより
文字通り安楽だった。
この調査をしていて謎が出てきた。石水渓から小山を乗り越した地点にある石標である。
大正三年に建てられたのは確かである。左京道とあるが左は小山であり道形が無い。
山仕事の尾根道はあるが交易に使われたとは思えないほど細道である。
では本来の京道は何処にあったのか?
この謎を解くため安楽地区池山の長老に現地を案内していただいた。
「この石標は道が崩れて転がっていたのでほうっておくと埋もれてしまうから立て替えたんだ」
「大正三年に田中音吉が寄付してたくさん建てたんだ。道の拡幅で無くなったんもあるが。」とのこと。

もうひとつの謎はそこを降り急流の沢を渡ってからのルートである。
明らかに交易にながく使われた雰囲気の道形が臼杵岳側にあり数10mで消えている。
これを尋ねるとふたたび沢に降り沢の左を登っていったという。
これで既に調べた道形が間違いなく安楽古道だと確認できた。

この石標は最初は右手の崩れた場所にあり
転がっていたのを移設したそうだ。
右手の掘り割れた小道は沢に降りる山道で
これが石標の右山道を意味したそうだ。
安楽古道の京道は直進して下っていたことになる。
現地を説明いただいた大正13年生まれの
長老 早川氏。
安楽の古道や山のことならこの人に聞けば
いいそうだ。
難所を避けて迂回したルートは
ふたたび沢を渡り登っていく。
旧道の場所を示す早川氏。
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