青山トンネル探検                           TOP PAGEに戻る

単独行専門の私だがひょんなことである鉄道マニア達と近鉄旧青山トンネル周辺を
探索したことがある。
国道165号線を西に進み四季の里の看板より右に坂を登ると近鉄東青山駅がある。
周辺は四季の里と称する公園となっていて行楽の家族づれであふれていた。

今ではほとんど見分けがつかなくなった線路跡を東にたどると旧総谷トンネルに
突き当たる。入り口には鉄柵が設けられていたが隙間から坑内に入り暗闇の中を進んだ。
やがて古い壁面に巨大な爪で引っ掻かれた傷跡があった。1972年ここで
特急電車同士が正面衝突し20余名の犠牲者を出した現場である。
当時此処は単線区間で途中で待機するはずだった東向き電車がブレーキ系のトラブルで
降り勾配を暴走し対抗車両とトンネル内で激突したと言われている。
この事故を契機に複線工事が一気に進み青山周辺の駅やトンネルや路線も場所を
大きく変えた。廃線となった部分はレールも枕木も撤去されやがて雑草に覆われていった。
しかしトンネルは廃墟となって今も残る。

西へコースを戻り今はハイキングルートとなった線路跡を進むと再びトンネルを見る。
ひんやりした内部はところどころコウモリがぶる下がっていた。
電車なら瞬間に通り抜けるトンネルも歩いてみると実に長い。
かってこの空間は数知れぬ乗客の喜怒哀楽を運んできたことだろうに。
その使命を終えた鉄路は誰知ることなく静かに時の流れに埋もれていた。

長いトンネルを出るとハイキングコースに合流したが再び藪に入り旧ルートを進んだ。
廃道となった細い道筋には朽ちた休憩所の跡があり錆びたコーラの看板が残されていた。
やがて視界に布引の滝が飛び込んできた。もう朽ちて落ちそうになった釣り橋もあった。
急坂を滝見台に登り林道を進む。再び廃道に入り古い道筋を昇り降りすると壊れた小屋や
廃屋となった民家があった。急な坂に突き当たり崩れかけた階段を延々と降った。
そこは旧東青山駅の跡であった。

ひび割れたコンクリートのホームには雑草が茂りもはや駅舎は跡形も無かった。
しかし1975年までここは青山山麓の交通の要所として村の人々にまた青山ハイキングの
基点として利用されていたのである。それに津から大阪に向う列車は必ず通過していたのだ。
駅跡の北側は急峻な斜面となっていて朽ちた売店跡や崩れかけた階段が残されていた。
戦後開墾したものの作物も満足にできず失意の中、廃村となった青山開拓村の入植者や
布引滝へのハイカーが往来していたのが今では信じられない荒れようであった。

更に西に山道を進むと2階建ての古いコンクリートの建物があった。
電鉄用の直流変電所で今では使われていない。
周囲は背高い雑草が入り口を覆い内部はおびただしい崩れたコンクリート塊が堆積して
いて脚の踏み場もなかった。
水銀整流器があったらしい空間は2階部分から地下まで通し抜かれ古い鉄道雑誌や新聞が
散乱していた。制御室らしい部屋にはヒューズや碍子が散乱し窓ガラスは割れつる草が
入り込んでいた。かっては此処に24時間、当直者が待機していただろうに。
裏口を出るとあたり一面割れた碍子が斜面を埋めその上に潅木が茂っていた。
横には渓流が澄んだ水を集め沢魚が群れをなして泳いでいた。

もう再びこの辺りが活気に満ちることは無いだろう。鉄は朽ち苔むしたコンクリートは
姿を隠しやがてうっそうとした茂みに埋もれてゆくだろう。
夕暮れの四季の里はひときわ明るく広々としてもう苦難の歴史は過去のものとなっていた。

(終り)



                                                                    
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