素晴らしき日々             TOP PAGE に戻る


まるでホームステイ     


48歳の誕生日を迎える頃初めての海外を体験することになった。
北米オハイオでの駐在打診をひとつ返事で引き受けたのは人生も後半となり
仕事の上でも後輩に任せる時期が来ていると思ったこともある。
見知らぬ土地での赴任当初は不安や緊張そして失敗続きだった。
でもやがて大陸に住む人々のおおらかで自由な生き方が気に入りここなら定年まで
いても良いと思った。
当面単身赴任ではあったが趣味の登山で単独行に慣れていたこともあり孤独は
さほど気にならなかった。
渡米早々に当時急速に普及しはじめたインターネットをやろうと近くの電気店に行った。
コンピュータ先進国と言ってもそこは田舎町で日本ほど品数もなかった。応対した店員と
片言英語でなんとかやり取りした。
この店員との出会いこそすばらしいオハイオの日々の始まりだった。
彼は情報工学を専攻する大学生でアルバイトでパソコン売り場を担当していた。
大学で日本語を勉強始めたといってひらかなを書いてみせた。一度私のアパートで
夕食でもしようとEメイルでやり取りし彼が来たのはハロウィンの晩だった。
妻がいると言うのでびっくりしたが次週は妻を連れて来ると約束した。
しかし今から思えばこちらは東洋から来た英語もまともに話せない正体不明のそれも
妻子を日本に残しての単身赴任者。異様でうさんくさい中年男と思われても仕方のない
状況だった。 親子ほど歳の違う我々だがそんなことみじんも感じさせない若夫婦の訪問は
楽しかった。ほとんど毎週の夕食会で英語の聞き取り力も向上してきた。
こちらが作る料理は玉ねぎの天ぷらや鶏飯それに現地調達の材料による怪しげなすき焼き
だったが彼らは珍しさもあってか気に入ってくれた。
感謝祭の日には彼らの実家に招待されターキー料理をいただいたり両親からも
歓迎された。
クリスマスの日に再び彼らの実家に招待された。こちらは様子も分からず何も
持たずに出かけたのに皆からたくさんのプレゼントを贈られ感激した。
何もプレゼントが無くてすまなかったと友人に後で謝ったら「気にしないで。あなたは
プレゼントを受け取り喜んでくれた。そのことが何よりのあなたからのプレゼントです。」
とわかりやすい英語で言ってくれた。
こうして週末はいつも土曜日は独り州立森林公園へハイクに出かけて気ままに歩き回り
日曜は朝から友人たちの教会に出かけ礼拝の後は一緒に昼食を作ってディナーとした。
教会での知り合いが増えるとともに日曜の午後は野外でのピクニックなどに出かけテンプラ
など日本料理を持参してみんなで楽しんだ。
こうして半ばホームステイしているような生活をつづけすっかり気分はオハイオの人になった。
別れは悲しかったが彼らとの友情は世代を超えてその後もつづいている。

仕事はのんびり

仕事はほとんど残業もなく日本より楽だった。それに日本でよくあった幹部だけの宴会や
休日奉仕もなく会社を出た瞬間仕事を離れられるのはありがたかった。
ただ米人社員の組織内での区分けつまり一般労働者と幹部社員の徹底した区別というより差別
には最後までなじめなかった。私としては当然のように職位の上下にとらわれず常に対等に接してきた。
人間味あふれた一般作業者との仕事は楽しく下品なスラングもいっぱい教えてくれ洋画を観る
時に役に立っている。愉快な仲間達とは帰国後も時々EMAILのやり取りを続けている。

休日はハイキング三昧

大陸は雨が少なく2ヶ月間雨が降らないこともあった。休日は森林公園へハイキングが日課となった。
平坦な地形が多いからあえて坂の多いコースを選んで一日に10−15kmは歩いた。
日本の山のような崖っぷちも絶壁もないから安全ではあったが物足りなかった。
でも雑木林と言うより巨大なオークやメープルに覆われた広大な森林は自然そのもので
あった。日本でもそうだが紅葉は寒暖の差が大きいほど美しく色づく。
大陸では一日の温度差が激しくある日一斉に紅葉が始まる。その色も鮮やかで特にカエデの
一種のメープルではかって見たことがない見事な色合いを楽しめた。
独り歩いているとシカやターキーそれにリスたちをふんだんに見ることもできた。
猟期には時々銃を持ったハンターに出会った。もしも間違って撃たれたら大変とオレンジの
チョッキと帽子を必ず着用して歩いた。
道に迷ったことも何度かあったがあせらず歩いていると思いがけない場所に出たりして
それなりに面白かった。
夏は日本並に30度近くに気温は上がったが湿気がないので快適だった。冬はしばしば零下
10度にも冷えた。
外に出られない日はインターネットで遊んだ。米国では電話代を気にせず何時間も楽しめる
しなにより思う存分日本の情報が得られた。やがて自分のホームページまで作り上げた。

青い空にメープルの紅葉

郷に入らば

食事にはさほど困らなかった。あえて日本食にこだわれば不自由だが郷に入らば..の格言
どうり現地の食材で済ませた。肉はもちろん食品は多量に安く出まわっていたから果物も
チーズもたっぷり食べれた。
気に入った食材は
ベーコン:  これは毎日パンにのせて食べた。
レタス:     生でも食べたが肉と煮込みもした。
キャロット:米人は生でかじっていたがウサギのような真似はできず煮込んで食べた。
オリーブ:  最初はなんてまずいと思ったが慣れたらやみつきになった。
蜂蜜:       とにかく濃厚で味がよい。パンに塗り料理にも多用した。
キノコ:     天ぷらに良し、すき焼きやカレーの具に良しで欠かせない食材だった。
ビーフ:     とにかく安い。日本の5分の1程度の価格だから自分でステーキを焼いた。
           最初は普通に焼いていたがレアーの魅力を発見してからレアー党になった。
アイスクリーム:高級品でも安くたっぷりあるから毎日のように食べた。

まあご飯を炊くことはほとんどなくパンとポテトが主食でたまに炊くご飯は
カシワご飯として米人家族とのディナー用だった。
新鮮な魚は望めないからせいぜいサーモンの安いときに焼く程度であった。



TOP PAGEに戻る