カルフォルニア ヨセミテへの旅 2003年8月8日から15日まで妻と北米カルフォルニアの旅をしました。 主な目的はヨセミテ国立公園のハイキングです。 現地での移動等サンノゼに住んでいる息子が案内をしてくれました。 |
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ヨセミテとは アメリカ合衆国カリフォルニア州中東部の大自然公園。面積3081平方km。シエラ・ネバダ山中にある洪積期の氷河時代につくられた巨大な氷食谷(U 字谷)を中心とした国立公園(1890指定)で,とくに高さ約1000m の絶壁をもつエル・キャピタン山と高さ600m の一枚岩からなるハーフ・ドーム絶壁は有名。ヨセミテ滝は上段の落差436m,下段の落差98m で,両者間の急流を合わせた高さは739m に達する。セコイアの原生林も残存し,高山部には小規模な山岳氷河もある。 |
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「ヨセミテ」その言葉を知ったのは何年前だろうか。なんでもすごい絶壁があってロッククライミングで有名だとか日本には無いような巨大な滝があるとかは知っていた。10年以上前に娘が学校からのホームステイをしたときに観光ツアーでヨセミテに寄ったらしく記念写真を見た記憶はある。 世代交代で仕事の責任も軽くなり夏期連休も丸々取れることになった。息子がカルフォルニアのサンノゼで働いているので妻と二人で息子に会いにいくのを兼ね、そこを基点にヨセミテ国立公園をじっくり訪ねてみたくなった。どうせ行くなら自由の無い観光ツアーではなく現地近くで宿泊して3日間のハイキングにすることにした。 現地での宿泊は息子がネットで予約してくれた。さて問題は航空券だ。お盆休みはシーズンオフの倍以上かかるのが常である。ネットで格安チケットを探すと往復13万程度で入手できた。これなら相場の半額に近い。でもうまい話には裏があってなんと往復とも香港で乗り換えであった。名古屋から3時間かけて香港に行き3時間も待機してまた名古屋付近の上空を通過してサンフランシスコに行くなど実に無駄なコースと時間の浪費だがこれもしかたが無い。夫婦で20数万円節約できるのだから。まあフライトでの無駄時間は寝ている時間帯が多いから考えようでは無駄でも無いだろう。 どうせサンフランシスコに行くなら人並みに有名どころの観光も兼ねることにし8日間の旅を計画した。 |
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さていよいよ出発の日が来たが大型台風が四国まで北上してきた。朝から不気味な雰囲気で風もだんだん強くなってきた。フライトが午前10時だから何とか警報が出る前に飛び立てるよう祈る気持ちだった。 幸い無事に名古屋空港を出発、香港に向け高度1万メートルまで上がったときはさすがにほっとした。眼下は一面に台風の雲である。若干乱気流はあるがたいしたことは無く台風の真上を通り過ぎ台風一過の洋上にでた。真夏の東シナ海はどこまでも白い雲と青い海だった。香港に着陸、ここでトランジットである。予想通り探知機で体温測定をしていた。でもSARS騒ぎのこの春だったらとてもこんなコースは取れなかっただろう。 空港の売店は商魂たくましく売り込みがしきりだったがたいして欲しいものも無くサンフランシスコ行きの便に搭乗した。もう日本語の解説も無いし日本人もいないようだ。中国語と英語だけの世界だ。シートの前のナビゲータは再び日本へ近づき名古屋の近くを飛んでいく。まあ無駄だけど気にしないことだ。 |
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飛行機の国際線はじっと我慢しかない。狭い席に縛られてわけのわからない映画を見るしかない退屈な時間だ。 JALなら日本の映画もあるが香港の会社であるキャセイパシフィックではカンフー映画程度である。 もう意識もうろうとただ時を過ごし運動不足の身体に機内食を詰め込むだけである。 これでインターネットでも楽しめればいいのだがエコノミー席では望むべくも無い。 |
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それでもやっとサンフランシスコが見えてきた。ゴールデンゲートブリッジが眼下に迫る。いい眺めだ。 空港での入国審査は簡単だった。ヨセミテハイキングだといったらヨセミテキャンピングだと入国カードに記入していた。別にキャンプまでは予定していないけどまあいいか。 息子の車で1時間ほど南のシリコンバレーの中心地サンノゼに移動。サンフランシスコと違って乾いた空気と明るい日差しの快適な街だ。IT産業の興るまでは一面の果樹園だったそうだが今では有名なIT関連の会社が点在する若く活気にあふれた国際都市だ。中国人、韓国人、インド人も目立つ。シリコンバレーという名称は日本でも有名だけど昔からの地名でなく半導体産業が発達した一帯なので近年マスメディアがつけた名前だ。 日系企業に勤める日本人技術者も多く日本食レストランでの寿司は高いけどけっこうおいしかった。 |
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翌日はサンフランシスコ見物に向かう。朝食によったカフェーで飲んだその場で大きなオレンジから絞ったジュースはさすがに新鮮で濃縮還元とは比べものにならないくらいうまかった。途中よった町でファーマーマーケットつまり朝市をしていた。花も果物も山積みされていてみんな買い物を楽しんでいた。こちらも行列に並んで美味しいパンにありついた。 | |
サンフランシスコでは観光客でごったがえしていた。荷物を減らすためハイキングシューズ等は持ってこなかったので靴の専門店で調達した。やはり革靴は安い。帰国するまでそのまま履くことにした。名物の急坂や爆竹がひっきりなしで破裂するチャイナタウンそれとゴールデンゲートブリッジに行き戦争中は砲台があったという丘の上でのんびりと眺めを楽しんだ。 | |
夕暮れには少し南のハーフムーンベイに移動し太平洋に沈む太陽とひとときを過ごした。 サンセットを見ようと何人かのグループも来ていてバーベキューをやっていた。夜の8時になろうか。ゆったりとした時間が流れる。日本では日の出を拝むのが普通だが西海岸のここではサンセットが一日の始まりである。 |
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ヨセミテへ向かう | ヨセミテはサンノゼより車で約5時間東の山岳地帯 ふもとの標高も1500m以上である。 |
翌日は早起きしていよいよヨセミテに向け出発。ハイウェイを行くとまもなく丘の上におびただしい数の風車が迫ってきた。何十基でなく何百基とつづく。青山高原のようなハイテクで巨大なものでなく、もっと古くからある小型のものでかなり使い込まれてきたようだ。ハイウェイをはずれて近くに行く。どこまでも続く黄色い牧草と風車。カルフォルニアらしい景色が続く。峠を越えて平地にはいると果樹園地帯だ。半端なものでなく見渡す限りの広大なものだ。ここで栽培される無尽蔵ともいえる果物、これでは狭い日本の畑では価格競争で勝てそうに無い。 | |
約5時間のドライブの後、山岳地帯に入った。延々と曲がりくねった、それでも幅の広い道路を進むと写真で見たヨセミテの岩山が迫ってきた。入口でかっこいいレンジャーの帽子とユニフォームの女性に20ドル払って1週間有効のパスをもらう。 両側には高さ1000mの絶壁がそそり立ち滝から落ちる水が半ば霧となって宙を舞っていた。パーキングに車をとめリュックを背負って循環バスに乗る。 |
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ヨセミテには野生のクマがいる。 食物の放置は厳禁だ。 |
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1日目は滝まで歩く | ヨセミテの見所はなんと言っても巨大な落差を持つ滝駐車場から見れる滝もあるが今回は奥にあるヴァーナル滝へ向かった。 |
もう時間は午後の2時を過ぎていて短時間でいけるミストトレールをヴァーナル滝に向かった。半ズボンに軽装のハイカーが多い。赤ちゃんを背負ったパパもいる。みんな1リッター以上のミネラルウォーターのボトルを持っている。乾燥した空気のここでは必需品だ。確かに不思議と汗をかかない。でものどが渇く。 | |
途中の川原では若者たちが水遊びをしてはしゃいでいた。気持ちいいことだろう。 | |
やがて遠くに滝が見えてくると急なのぼりとなった。 |
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あえぎながらも階段を登る。滝のすぐ横となり水しぶきが飛んできて虹ができている。レンズを気にしながら写真を撮った。 | |
やっと滝上に登りきった。さっき歩いてきた道が眼下に見え絶景である。8月だから水量は減ってきているそうだが迫力ある滝だ。休憩していると何かがポケットを探っている。リスがジーンズをかじっていた。中のピーナツが目当てらしい。ここでは野生動物に餌をやるのは生態系を破壊するから厳禁である。かわいいリスだが追っ払った。 | |
来た道を戻りビレッジの中心にある売店に入った。こんな山奥でもスーパーマーケットがありなんでもそろう。やはりキャンパーが多いからだろう。でも日本の観光地には必ずあるようなみやげ菓子類は無かった。夕暮れ迫るヨセミテを離れ1時間ほど離れた麓のドライブインに戻った。 夕食はホテル近くのレストランにした。どうもレストランの注文は苦手だ。味付け等いちいち細かい指定がいる。それにのんびりした田舎でなかなか料理が出てこない。こんなことは日本では考えられないが10時過ぎにやっと夕食を終えた。これでは夜食に近い。翌朝が早いのですぐに寝た。 翌日は6時から行動開始だ。ホテルのカフェテリアで軽い朝食を済まし再びヨセミテへ。ゲートでレセプトを見せるとレンジャーの女性がまた来てくれてサンキューと迎えてくれた。 |
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2日目は山登り | |
この日はグレーシャーロードを登ってセンチネルドームに向かう。どんどん標高が上げって気圧の変わりがすごい。途中の森は山火事の跡が続く。これは森林の再生を促すため人為的に起こした山火事でマネージメントファイヤーと呼ばれる。乾燥したこのあたりでは落雷による火災が太古から続いてきてそれにあった植生となり人為的に山火事を防ぐことはかえって森林をだめにするそうだ。そこで自然に近い周期で範囲を決めて山火事を実施するそうで最初に実験するには勇気が要ったことだろうと思う。 | |
登山道の入口についたが月並みのコースでは面白くないのでタフトポイントの絶景を経由し遠回りしてセンチネルドームに登ることにした。登山道を行くハイカーも何人かいるがみんな軽装だ。途中は高山湿地帯が続き枯れた大樹にコケが生長してトトロの森のような異次元に来た雰囲気だった。 | |
やがて開けたところは絶壁の真上、一歩先は1000m下の垂直の壁である。腹ばいになって頭だけ先に出すがあまりのすごさに長くは見ておられない。ためしにボトルのキャップの水を落とすと途中で消えていく。昨日歩いた道もはるか地の底である。 | |
ここで大峯山の山伏のようにブッシュ大統領を吊るして戦争を止めるか?弱いものいじめをしないか?と問いただしたら絶対イエスというだろう。まあそんなことはできっこないが。 | |
そこから登山道を歩いてセンチネルドームへ向かった。頂上が見えているので簡単にいけると思ったが、アップダウンが続いてなかなか大変である。空は抜けるような青空、空気はカラカラ、ボトルの水を何度か飲んだ。 | |
一気に最後の坂を上ったら360度のすばらしい眺望が開けた。ヨセミテの全て100km先まで見える。はるか遠くの4000m峰には氷河も見える。シンボルのハーフドームも手に取れるようだ。どこまでも続く岩山と森林、こんな絶景は一生に一度、体験できるだろうか。山頂にハイカーは多いけどゴミひとつ落ちてはいない。 | |
持ってきたパンにベーコンとチーズをはさんで昼食とした。至福のひとときであった。 こんな高所でもリスが寄ってくる。冬は人を寄せ付けない厳しい世界だろうに。 |
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巨木セコイアの森 | |
山から降り麓にある巨大樹セコイアの森を訪ねた。セコイアではヨセミテより南にあるセコイア国立公園が有名だがここもけっこう大樹の森が続く。意外と根は深く張らず幹が太いのでそれほど高木には見えなかった。 | |
面白いのは山火事が無ければセコイアの森は維持できないことだ。定期的に人為的な山火事を起こす管理が行われていた。 | |
その晩の宿は民宿だった。ガーデニングに手間暇かけているお家である。部屋に入ってまず大きな壁画に眼がとまった。ワシをイメージしたハーフドームの夕焼けである。見方によってはワシは数匹いるだろうか。近くのレストランで夕食としたが例によって料理が遅く食べ終わったときは10時を過ぎていた。 |
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泡風呂までついていて素敵な民宿だった。でも再び訪ねることはまず無いだろうからノートにお礼の言葉を残しておいた。 | |
最後の日は湖水を訪ねて |
ヨセミテの奥座敷、歩かないと行けない湖水があります。でもそれだけに価値があるそうです。 |
翌日はヨセミテ最後の日、ハイキングの後、昼過ぎには引き上げる計画である。ヨセミテの奥座敷というかあまり人の入らない静かな湖水メイレークを目的地に選んだ。広大なヨセミテでは車で1時間走ってもまだ中央部まで入れない。すでに標高は3000mを越えている。駐車場から登山道を歩く。思っていたより登りが続く。まるで3000m峰の登山だ。空気が薄いのであえぎながら少しづつ登った。 | |
やがて到着した湖水はそれは静かで湖畔のベンチでは老夫婦が読書をしていた。ここの小屋で泊まっているそうだ。もちろん電気など無い。俗世と離れた優美な余暇の過ごし方だ。湖水は岩山を映し静かなたたずまいだ。こんな別天地にしばらく逗留したいがかなわぬ夢だ。 昼食の後、いつかまた来れることを願って下山した。 |
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さらばヨセミテ、すばらしい日々だった。山岳地帯を離れどこまでも続く牧場を過ぎ果樹園を越えハイウェイに入った。喧騒とした車社会に戻った。途中単独事故による大渋滞に巻き込まれ事故見物となった。パトカーが中央分離帯の草むらを走り、やがて道路にヘリコプターが着陸し負傷者を運んでいった。テレビドラマの世界が現実に現れた。サンノゼに戻り夕食は韓国系のレストランで焼き肉料理にした。東洋系の若者たちで賑わっていた。以前より不景気だとはいってもサンノゼは活気がある。 | |
ワインの里を訪ねて | カルフォルニアの名産は最近ではワインも有名ぶどう畑と醸造所と試飲そして即売を兼ねたワイナリーを訪ねました |
カルフォルニア旅行の最後の日だ。おみやげ購入も兼ねてワインの産地ナパ地方に向かった。遠くに歴史的な大噴火をしたセントヘレナ火山が見える。日当たりの良いぶどう畑が続く。丘の上にはお城のようなワインの醸造所ワイナリーがある。試飲とワインの購入をする訪問者が多く観光地となっていた。 | |
ワイン樽の貯蔵所の窓を開けるとワインのいい香りが辺りに漂った。5ドルほど払って試飲を楽しむ。リッチな雰囲気だ。 | |
澄んだ空気と一面のぶどう畑丘の上にはお城のようなワインの醸造所ぶどう畑は特に棚はなく手の届く高さに横に枝が伸びていた。みんな小粒だが、たわわに実りもう収穫も近そうだった。 | |
これで全ての予定は終わった。サンフランシスコに戻りカニ料理で夕食とした。日本人も多いのでメニューが日本語でも書いてあった。フライトは深夜なので最終日の夜をゆっくり楽しんだ。渡米したときはリュックひとつだったが帰国では荷物が増えワインボトル6本は手持ちである。ボーディングパスを受け取ってもう一安心。後は狭い座席でじっと日本までの時間を過ごすだけだ。 何もトラブルは無くいい思い出になった楽しい旅だった。これも在米2年の息子がドライブやホテルの予約等、面倒なことは全部引き受けてくれたおかげだ。ありがたいことだ。感謝しているぞ。 作:仙の石 |
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