|
ミツマタ 三椏
ジンチョウゲ科
中国名 黄瑞香
日本では室町時代に中国より移入され、主に紙幣の原料となる。
ミツマタは冬の季語であるが、ミツマタの花になると春の季語になる。
花言葉:心の美・淡泊
4月9日の誕生花 |
今年も坂本の奥深く野登山のふもとにミツマタが咲き乱れています。
何十年も前からかわらず繰り返されてきた自然の営み・・・でも多くの人に知られるようになったのは2003年からなのです。
このいきさつを知る一人としてここに書き留めておきたいと思います。
亀山の北部、野登山と仙ヶ岳は標高こそ1000Mに届きませんがその歴史と風格は他の鈴鹿の山々に勝るこそ劣るものではありません。野登山はその形から鶏足山と呼ばれ頂上に鎮座する野登寺は1000年を越える歴史があります。高所に珍しい杉の大樹に囲まれたその本堂は時代を超えて人々の畏敬を集めてきました。亀山の最高峰、秀峰仙ヶ岳は古くは修験道の山としてまた近年はその変化に富む山容が岳人達に愛されてきました。
この二山を結ぶ尾根を仙鶏尾根と呼びその深く沈んだ部分から南に降りて坂本に至る山道が国土地理院の2万5千図に記載されています。現在は踏み跡も薄く廃道に近いのですがその途中にミツマタの群落が広がっています。地元の林業関係者以外には通る人もなく一般の登山ルートに使われることもないマイナーな場所です。
こんな辺ぴな場所になぜ先人達はミツマタを植えたのだろうか?
誰もが持つ疑問です。
坂本集落の古老の話では戦後、製紙会社が買い取るというので和紙原料として植樹されたらしいが結局使われることもなく半ば野生化していったのではないかということです。あの急斜面への植樹はそれは大変なことだったでしょう。それが時代の流れで換金にはならなかったけど人々の心をいやす場になるなんて想像もしなかったでしょう。
ミツマタは過度に日の当たらない、ほど良い水はけの場所に適合した植物でその条件に合う場所で自然と群落になったと考えられます。枝が3つに分かれることでミツマタと命名されその分岐の数で成長年数がわかります。
花の終わった後には小さい種子をつけこれで子孫を増やしていくようです。
花期の終わりのミツマタ
成長は遅く人の身長程度でも4-5年以上かかっています。沢沿い等では大きく成長し幹も太くなっていますが谷ひとつの違いでも群生は見られず植生には興味が湧きます。
2001年の1月市民活動ネットワーク「きらめき亀山21」から生まれた「亀山の自然を愛する会」で坂本棚田保存会の星合さんからミツマタのことを聞きました。私はその場所は仙ヶ岳登山の下降路として何度か通ったはずですが花期でなかったので杉と雑木の森としか記憶にありませんでした。12月頃探索に行くと既におびただしい数の花芽が見られ春にはすばらしい眺めになると確信しました。
その後春までに数度、下見を繰り返し「きらめき亀山21」の場で早春にミツマタを見にいく参加者を募ったのです。
星合さんからは餅つきをして歓迎するとのお話もあったんですが今回は初回だからとお断りし案内だけをお願いしました。
2002年の3月18日自然観察クラブの中学生も含む約30人が坂本の林道入口にそろいぞろぞろと奥へ進みました。ほとんどの人が始めて通る細い道でした。30分後現地に到着するとその見事なながめに歓声が上がりました。山全体が黄色い花で覆われているのです。花に埋もれてお弁当を食べひとときを楽しみました。
これに参加した皆さんから口コミで次第にうわさが広がり翌年の春(2003年)には盛大にミツマタ祭りが開かれました。新聞にも紹介され林道も整備されて大勢の人が押し寄せました。
このときは花の数が前年の約半分と少なく淋しかったのですが初めての方には楽しんでいただけました。
群生地が知られると残念なことに車で林道をはいり根こそぎ引き抜いていく人も出てきました。
ミツマタは良質の和紙の原料として知られていますが成長が遅くあの山のミツマタを乱獲したらたちまち絶滅するでしょう。やはり和紙工芸用には成長の早いコウゾや休耕田に植えたミツマタを使うべきです。
ミツマタの花期は2−3週間と長く早春のシンボルフラワーとして地域興しに活用し、あの素晴らしい一帯をそのまま次の世代に残すことはそれを広く紹介した私たちの責務だと思います。
伊藤幸一 (自然観察指導員三重連絡会会員)
|
青い空の下
ミツマタの花に埋もれて
家族でハイキング |
戻る |