皆さん今晩は市橋隆雄でございます。きょうは週末の時間を取っていただきましてこの場にお集まりいただけたことを重ねて御礼申し上げます。それと私たちのケニヤでの活動を支援していただきまして本当に感謝しております。きょうは公開対談ということで内容も後で後悔しないようにいたそうと思います。(笑)
先月の23日に日本に戻りましてそれから東京の方でいろんなグループと話をして今回亀山に来て三重大学のサンガ先生とお会いしました。そして初めてお会いしていろいろ話をしておりますと非常にお互い共感をすることが多くて初めてなのに非常に不思議な気がしました。今回の講演を快く引き受けてくださり感謝いたしております。サンガ先生はコンゴ出身でありますけどコンゴともよろしく。(笑)
ケニヤで日本に行く前に子どもたちからパパ日本に行ったら駄洒落は言わないでねって言われていたんですが言っちゃいました。今夜のテーマですが私が先に30分話をさせていただいてその後サンガ先生にバトンタッチしてその後2人で対談をしながらまた皆様からもいろんなご意見とか感想をお聴きしながら対談を進めていきたいと思っています。ですから椅子もこのように、まあるく並べていただきました。
未来につながる人
今夜のテーマですが未来につながる人を育てる為にというタイトルです。今リストラ時代ですからこのテーマもですね、首のつながる人を育てる為にとでもしたほうがよかったサラリーマンの人もいらっしゃったんじゃないかと思いますけども。
未来につながる人間ってどんな人なんでしょうか。コンピュータ技術をばんばん駆使して外国語も話してですネエ、サンガ先生は9ヶ国語をしゃべれるそうですけど。
そして高度な社会に適合する人間が未来につながる人でしょうか。そうだとしたら僕も、ちょっと無理だなあと思うんです。未来という言葉ですけど皆さん何をイメージされるでしょうか。今景気は悪いんですがだんだん回復してきて景気も今よりずっと良くなってそして生活も便利になって今あるいろんな問題が解決されていろんな病気の予防薬や治療薬も発見されて人々が幸せになる、そういうことをイメージなさるでしょうか。そう思う方はいらっしゃいますか?でも僕はそういう人は少ないんじゃないかと思うんです。かえって未来というとなんか不安な材料がけっこう多いんではないかと思うんです。今は見えなくて隠れている問題がだんだん新たな問題となり、あらわになってですね、そして私たちの生活も厳しくなって来るんではないかとそういう予感もあります。未来というとどちらかというとわからないもの、予測ができないものとしてあるように思うわけです。ですから未来につながる人間というのは、なにが起こるかわからないそういう時代を生き抜ける人間だと思うんです。
それは社会の中でもそして人間関係の中でも何が起こってもへっちゃらでそれを生き抜いていける、それが未来につながる人ではないかと思います。それには皆さんお一人お一人自分の中に力がないとできないと思います。
アフリカの素晴らしさ
私が始めてアフリカの地に足を踏み入れたのは1976年にエチオピアという国からです。海外青年協力隊として野菜の栽培に行きました。
それから南のケニヤに来たのです。そのあいだソマリヤ・ウガンダ・コンゴ・タンザニアなど東アフリカの国々を訪れました。そして通算16年アフリカで暮らしてきました。アフリカの国々は皆さんお聞きになっているように開発途上国と呼ばれております。人間の歴史の中で、進歩を計るものさしとして早さというものがあります。今の時代なんでも早いものを求めている。通信機器でも交通機関でもファッションでも早さを求めている。そういう日本や欧米諸国が決めた物差しで計るとこのアフリカの国々は発展途上国と呼ばれていますが非常に歩みがゆっくりとしているわけですね。そして日本と比べて足りないものが多いのです。国々の中で内戦があるし部族間の争いがあるしそれによって難民が出ますし貧しい人たちと病気があります。ナイロビでは1週間水が出ないこともあります。このあいだ家に電話をしたら水を売っている人がいてそれを買って生活しているそうです。しかしそういうゆっくりとした歩みの中ではありますけども私が16年間関わってきた働きの中でいろんな人に出会ってきました。そのなかで先ほど言いましたようになにが起こっても平気でその中を生き抜く力を持った人たちに出会わせてもらいました。そしてその力を私自身もらってそれによって自分が今、生かされています。何千キロもはなれたこのアフリカの人たちがその力を今世界に向って発信していると思っています。サンガ先生も実際この日本に来られてそういうアフリカの力というか素晴らしさを皆さんの中へあかしてくださると思うのです。
今夜はそういう人たちを紹介しながら未来につながる人間というものを考えてみたいと思います。それは私たち一人一人がこれから21世紀をどういう風に生きていくか、どういう風に意味あるものとして生きていくかということに対するひとつのメッセージでもあると思います。これでなくちゃいけないというのではありませんが私がアフリカの人たちから受けて生かされている力を皆さんにもおわかちしたい、それが皆さんの中で何らかの力になっていただければと思います。
一人の女子学生
私は14年間ケニヤのデイスター大学という私立の大学で教えてきました。
これはケニヤで一番古い大学です。その大学にはアフリカのいろんな国々から学生が来ています。東アフリカからエリトリア・スーダン・エチオピア・ソマリア・ケニア・ウガンダ・ブルンディ・ザイール・タンザニア・ザンビア・マラフィ・モザンビーク・アンゴラ・ナイジェリア・ガーナ・ライベリア・シアラレオンそしてセネガル等の国々から学生が来ています。これらの国々は70年代から80年代そして今に続いていろんな問題を持っています。内戦がある飢餓がある・貧しさがある。そういう中で学生たちも彼ら自身そういう厳しい状況の中を生き延びてきた人たちであり彼ら自身、出身の国からのいろんな苦しみを持って大学で学んでいるわけですね。たとえばこのエチオピアでは74年に社会主義革命が起こって軍事政権ができました。その下でいろんな迫害が起こったわけですね。その迫害の中でもこの人は牧師ですが地下活動をし夜遅くまでスラムで集会を開き人々の指導をしてきました。またこのウガンダから来た人は内戦があったために家族共々1週間もかけて森の中を通って国境を越えてこのケニヤへ難民としてきて学生として勉強しています。あるいはこのライベリアという国では自分の住んでいた村にゲリラがやってきて自分の兄弟の手足を切る、森からばん刀を持った人がやってきてこいつは半そでがいいか長袖がいいか長袖がいいって言うと手首から切り落とす半袖がいいって言うとひじから切り落とすんです。そういう中を逃げ延びて宣教師に助けられてケニヤに来て勉強をしている学生もいるわけですね。その中で出会った一人の女子学生のことを紹介したいと思います。彼女はルアンダというサンガ先生の出身のコンゴの隣にある四国くらいの大きさの国から来ていました。1994年にルアンダでは2つの部族の争いで50万人以上が殺される大虐殺が起こりました。ちょうどその94年5月のある日その女子学生が厳しい表情をしてクラスにあらわれました。そして授業を始めようとすると立ち上がって言いました。皆さんどうか私の為に私の国のために祈ってください。昨日ルアンダにいる私の家族親戚が殺されたという知らせを受け取りました。どういうふうにその家族が殺されたかは私は後に95年にルアンダの農業復興のプロジェクトに行ってその現場を見ました。教会があってそこにいっぱい人がいてそこで殺されたんです。教会に逃げ込んだ人たちが手りゅう弾とか鉄砲で撃ち殺される。あるいはばん刀で切り殺される。槍で刺し殺される弓矢でいぬかれて殺される生きたまま井戸に投げ込まれて殺される等そういう殺され方をしたわけです。非常に悲惨なむごい殺され方をしたんです。彼女は前の晩は一睡もできなかったとわかる目をしてあらわれたんです。そして他の国からきた学生たちと彼女に為にまた彼女の国のために皆で祈りました。そのあと彼女は言いました。私は今、祖国に帰って家族がどうなったか見極めたい、でも今は帰れない。そして今、私の心の中は私の家族を殺した人たちへの憎しみでいっぱいですと。誰も何もいえない雰囲気がクラスの中に満ちてみな黙っていました。彼女は最後に言いました。私はこの大学で勉強を最後まで終えます。そして終えてからもう一度自分の祖国に戻リますといいました。そして今度帰るときは憎しみとか怒りではなく許しと平和を持って戻りたいと。そういいました。それから彼女は2年勉強を続けて平静を取り戻し祖国に戻り、このお互い殺し殺されあった2つの部族の和解と許しのためのプログラムにかかわっています。そして目の前で家族を殺された親や子どもたちがいろいろなトラウマにかかっているのでカウンセリングをしながら仕事をしています。私はルアンダのこの一人の女性との出会いを通して人間の尊厳とは何か人間にとって自由とはどういうことか考えさせられたわけです。
よく言われることですが人間というのは環境の産物だ遺伝の産物だと。人の寿命も遺伝の中に組み込まれていて変えることはできない。人間は社会また経済的な産物に過ぎないと考える人がいます。そういう考えから出てくるのはアフリカが開発途上国なのはあそこは気候が良くていつも農産物がとれて物を生産する必要がなかった、ものを産み出す必要がなかった。それに比べて北半球にある先進国は非常な寒さがあり土地も狭い、だから技術を発達させて暮らしを豊かにする必要があったという考え方があります。あるいはもっと皆さんの身近で起こることですが何でおまえオレを怒らせるんだというような言い方をしたことがありませんか。僕はあるんですけど。自分の感情をコントロールしているのは他の人だと言う。他の人のせいにする。今自分がこのようになったのはお前のせいだ。学校のせいだ会社のせいだ、社会のせいだというわけです。しかしこのルアンダの女性から教えられたことはそうではない、この女性はもっと違うメッセージを私たちに語っていると思います。それは人間は環境や社会の奴隷じゃないということです。状況の奴隷じゃないということです。この彼女は胸も張り裂けんばかりの非常な悲しみの中にありながら自分が今、何をしなければならないか勉強を終えることそして祖国に戻ること、戻るときはどういう気持で戻るかそして自分が何をすべきか、そういうことを見取っているわけですね。もう悲しみから逃げるんじゃなくてそれを負いながらその中で前へ向かって歩んでいくこれがこのルアンダの女性の姿です。
ですから私はこのように信じています。
人間であるということはどんな状況になっても、もうこれしかできない、他のあり方はできないんだということは決してないんだということです。人間であるということはどんな厳しい状況にあっても他のあり方ができるということなんですね。そういう状況にの中でも自分の態度を自分で決めることができる存在だと思います。それが人間に与えられた尊厳だし人間にとって残された自由だと思います。ですからリストラに遭ってどうしようか病気になってどうしようか学校からドロップアウトしてどうしようかと考えるわけです。確かにそれは普通の一般的な目から見ればマイナスかもしれません。しかしそれはまた他のあり方ができる、他の人生を生きる機会でもあるのです。更に豊かな人生を与えられるチャンスでもあるのだと考えることはできないでしょうか。このルアンダの女性はそのことを私に示してくれました。アフリカでなくても日本でもそういう生き方をしている人たちを私はたくさん知っております。ですから何があっても自分がどうあるべきか確立することそれが先ずその苦境を生き抜いていく一つの力となるのではないかと思います。
お互いを「掘り出す」
それからもう1人の女性を紹介したいと思います。スラムの写真を見てください。
ナイロビは近代的な都市でビルがたくさん建っていますがこういうスラムが隣接して街の中にあります。私は教会を運営していますがそこに集まる人たちを動員してスラムに住み貧しい人たちへの職業訓練とか子どもたちへの教育のプログラムとかやっています。
またスラムだけではなくてケニヤの社会のニーズに答える奉仕を行なっています。
私はスラムを戸別訪問して住んでいる人と話し合ってどういう問題を持っているか必要なことはないかとか教会に来ないかとかそういうことを話すわけですね。その中で出会った一人の女性のことをお話したいと思います。この女性は40代後半です。ある女子高の給食係をしているそうです。名前をガトトというんです。私が訪ねたとき彼女は自分の主人のことについて話しました。その人は今、職がない仕事を探そうともしない。私が稼いできたお金を持ち出しては酒を飲んで暴力をふるう。荒っぽい性格で私を散々苦しめてきた。私はそういう夫の元で長年耐えてきた。これからもそういう夫と何とかやっていきたいと言いました。たいへんだなあと僕は思ったんですが彼女が言ったことはそんなに私を苦しめる夫からも時にはほんのわずかなほんのわずかな芥子粒ほどの善意や、やさしさが流れ出るのをこの数年間に発見したと。そして彼女が言いました。それで私はこんな夫を毎日掘り出さなくてはいけないんです。「掘り出す」と言いました。想像するにこの人はほんのわずかな善意を掘り出すために毎日自分のご主人を見つめそしてまるで金を掘り出す人であるかのように忍耐強く耐えて掘り進まなければならなかったんだと。私はこの女性の言った掘り出すという言葉を忘れることができません。私たちはこのお互いを掘り出さなくてはいけないんじゃないかと。自分の夫、自分の妻あるいは自分の子ども一人一人違うわけですね。そして友人同僚を掘り出さなければならないと。一緒に生きるって言うのはこの掘り出すという作業をやることではないかと思います。ところが私たちは何をやっているかというとそこに娘がいますので後で聞いてみるとわかるかもしれませんがしょっちゅう「もうパパは…」て言われているんですが。私たちは掘り出すことではなくて埋めてしまっているんではないかと。あるいはもう掘り出す前から掘らない。少しは掘ってみるがすぐ硬い岩にぶち当たる。そうするとああ駄目だ他を掘ろうとあきらめてしまう。自分に気に入らないことが相手の中にある。あるいは受け入れられない。相手が抵抗する。すると逃げてしまう。そしてそんな掘るなんて手間のかかる疲れることなんかやっておれないと、だんだん人との関係が希薄になって難しくなって孤独が生まれてくる。そういう生き方を私たちはやってしまっているのではないかと。私たちはけっして独りで生きれるわけではありません。何らかの他人との関係の中で毎日を生きているのが私たちの生活です。家庭でも職場でも学校でも、町でもやはり一緒に生きるって言うことは「掘り出す」という作業をすることではないかと思うわけです。国際協力の分野では日本からも莫大な金額がこのアフリカの国々の為に使われているわけです。学校を建てたり病院を建てたりあるいは職業訓練校を造ったり農業プルジェクトをやったり灌漑施設を設けたり、しかしそのときに援助をする日本人と援助を受けるアフリカの人たちとのあいだにどれだけ人間的な心のつながりというものができているか、そういうことをチェックしていくとやはりそこは非常にまだまだという感じがするわけですね。モノをたくさん与えれば与えるほどお互い人間として掘り出す努力をしていない。穴埋めをしているような気がしてならないわけです。ある専門家の方々が自分のオフィスで同じ職場のケニヤ人から「おまえが何でいるかわかっているか?おまえがそこにいるのは日本からお金をもらうためだよ」って言われたんですね。それでその人はもう愕然とした。自分がそこにいる意味は単に金が来るためだけか。これは非常に象徴的にあらわしていますけどモノを与えるだけが国際協力であり国を越えて一緒に生きるということではないんですね。やはりお互いを掘り出して自分も掘り出される。そういう関係がないと中身のない国際協力になってしまうのではないかと思います。最近非常に愛という言葉が良く使われます。LOVEですね。そういう言葉がこれほど多く語られ読まれ歌われ映画になったりしている時代はないと思います。しかしその内容は何かって言うとひじょうにロマンティックな「愛してるワー」とか「好きだわー」というのじゃなく、「掘り出す」という努力をすることじゃないかと思うのです。「人間の大地」という本があります。犬養道子さんがお書きになりましたその中に「愛とは先ず狭さを破ること」とあります。視野の狭さ心の狭さを果敢に破って広く出ること広く出て初めて異なった世界、異なった他者、他の人とのかかわりを持つことができるわけです。国際的にはそういえますけど、この亀山という街の中で自分の狭い視野を破って広く出ること。これが亀山を新しいコミュニティにしていくんじゃないかと思います。新しいコミュニティを創るのは一人一人のそういう掘り出す努力をどれだけ根気良く熱心にやるか飽きないでやるか。それがこの未来につながる人間関係を作っていくと思います。この貧しいスラムの中で出合った1人の夫人がそれを私に教えてくれたのです。最後にもうひとつお話したいと思いますがそれは違いを越えて生きるということです。
違いを越えて生きる
私はケニヤの大学で教え幼稚園で教え教会をやっていますけどそこには様々な人達が集まっています。国籍が違います。人種も違う言葉も違う習慣も違う、そういう人たちが集まっています。デイスター大学にはアフリカの20カ国の学生が来ているしアメリカからの学生も来ているし韓国からの学生も来ています。その中でお互い違った人が一緒に生きるということが起こっています。それから教会もケニヤの人だけではなくてウガンダ、ナイジェリア、イラン、アメリカ、マダガスカル、ジンバブエなどいろんな国の人達が来ています。幼稚園では120人の子どもがいますがその子ども達の親は世界の25カ国から来ています。違う国籍の人達が集まって一緒に生きている。本当にそこには豊かな社会ができているのです。違いがあるって言うことは素晴らしいことなんですね。自然を見ても同じモノはありませんね。何一つとありません。人間を見ても同じ人間というのはいないのです。クローン人間でも違うんですね。たとえ顔かたちは似ていても。ですから花ひとつとってもその花びら一つ一つ全部違うと思います。木も全部違うと思います。同じクリの木でも枝ぶりが違うし同じモノはひとつもない。だから違っているということがそこに美しいものを創っている。ハーモニーを生んでいると言えるんです。そのように世界は創られているんですね。違いがあるって言うことは元々人間にとって非常な祝福であり良い事であったわけです。それがいつのまにか崩れ違いがあることが呪いのようになっている。悪いことのようになっている。人種があり民族国籍があり国が違う部族が違うために不和があり断絶があり誤解がある。そういう状況にあるわけです。しかしその違いが今ある断絶を埋めて更に豊かな社会を作っていくものであるということを信じて努力する人たちがいます。サンガ先生もそうです。私もその端くれです。そしてこの亀山の街の中にも違いを持ちながら新しく楽しい共同体を創るために努力し骨をおっている方々がいるわけです。
私たちが今、救援を手がけているサンブル族はケニヤの北部の遊牧民です。2年前からの干ばつで食べるものがなくてたくさん家畜が死んで子どもは病気にかかり非常に貧しい人達です。この人達に対して私たちの教会として母子衛生のプロジェクトを始めています。そのプロジェクトに関わる人たちはサンブルの人達だけでなくて他の部族の人がみな協力してこの人たちの為にプロジェクトをやっています。私の家にもそういう現実があります。
これは家族の写真です。私と妻と長女のハンナとヨシュアとエリヤは私たちの子どもですがこのリベカとノアはケニヤ国籍です。両親がいませんために私たちは養子にしました。日本へ帰ってくるとこのチョコボールみたいなノアが電車の中でパパって呼ぶんです。そうするとまわりにいる人が一斉に僕の顔を見るんです。この人はどういう人だろう。奥さんのほかに女の人がいてその人のあいだにできた子どもかなあなんて。これも違いを越えてひとつの家族として生きる、親がない子どもたちですけど、ひとつの家族として重荷を負い責任を取り合っていくことが私たちの家族の中でも実現しているのです。よく地球家族ということが言われますけど違いを持った人々が違いを乗り越えていく。違うということが共に生きる生活を豊かなものにすることにもちいられる、そういうコミュニティを創るためにサンガ先生も努力しているし皆さんもやっているし私もやっている。何が起こるかわからない未来にむかって、違いを越えて生きる努力を私たちがあきらめないでやりつづけるならそこに、この平和という贈り物が贈られて来るんだと思います。この未来につながる人を育てる為に先ず自分自身がどうあるべきか他の人と一緒に生きる関係でどうあるかということをお話させていただきました。私は人間と人間という関係でお話しましたがこれからサンガ先生が人間と環境ということがどうあるべきか人間と自然の共存ということについて未来に向かってお話していただきます。
地球と一緒に生きる
皆さん今晩は。先ほど市橋さんが21世紀に向かって私たちはどうすればいいのか特に人間と人間の関係について話されました。世界のあちらこちらの国々で戦争が起こり経済の面では貧しい国と豊かな国の問題があります。人間と人間との考え方がどこか崩れてきたのではないかなと思います。
先ほどの話でも、あるルアンダ人女性の生き方、またケニアのある女性の生き方あるいは市橋さん自身の家族の生き方等、私たちはお互いそれぞれ同じ家族で生まれても違う人間ですね。それを乗り越えてハーモニーを持ってやっていくことがこれからの時代に必要ではないかなと思います。
ところで私たちは生きていくにはどうしても自然に依存しなければならない。食べていくにも住むにも仕事するにもです。皆さんはこの日本の中で自然環境を変え畑ができるように土地を耕しその地域の環境とかに合わせて生きてきたわけです。西洋的な考え方では人間は力と技術を持って自然を支配するという傾向がありますが日本では古くから自然に合わせて生きるという考え方がありました。例えば京都では昔の人は遠くにある山も自分の庭の一部として考えるのです。自然に中に溶け込んでどうやって一緒に調和をもってやっていくかという考え方です。特に私たちはこの20世紀のあいだに私たちの先祖が集めてきた知恵を失い速いテンポの西洋文明に乗せられてきたようです。そのおかげで日本は経済も発展したし清潔で健康も得られたしプラスのこともいっぱいありました。でも私たちが地球を支配するのでなくて地球と一緒に生きるということ。そのことが私たちの未来につながっていくだろうということを忘れてきたのではないでしょうか。
先ほど市橋さんが未来について語られましたが未来とはどのようなものかどのようになるのかちょっと皆さんに聞きます。この部屋で亀山出身の人は手を挙げてください。けっこうたくさんいますね。でも1割か2割の人は亀山出身ではないのですね。でも亀山に住んでいますね。僕自身も日本出身ではないけれど日本に20年は住んでいます。未来というものはぜんぜんわからないのです。いくら人生のプランをたてていても計画していなかったことが未来になるんですよ。自分の人生は大学に行ってヨーロッパに行ってどうこうするという計画であったものがある日、想像もしなかったことが起こって自分の人生が変わってしまうのですね。例えばひどいケースだと自分が楽しくドライブしているときに事故が起こって、もし脚が駄目になってしまうと今までと全く違う人生になってしまうわけですね。未来というものを私たちはできる範囲で一生懸命予測しているんですけど予測できなかった部分も、ものすごく多い。私たちは大人になったのですが私たちの子どもたちはどうなるか私たちの孫たちはどうなるか人間と人間の関係、私たちとまわりの自然の関係をもう一度考えてみる必要があるかもしれませんね。
ところで今私たちの暮らし方はどうなっていますか。完全に無責任だといっても過言ではないかもしれません。自分の財産がどんどん増えたらいいとか自分が生きている限り良かったらいいとか。でも今のままではまわりの水が汚染されていくし自然も壊されていく。でも自分の子どもや孫は可愛いと思っていますね。今のままでやっていくと子どもたちがどのような環境に生きるかどのような生活をやっていくのか未来の想像はしにくいかもしれませんけど、ひどくならないようにしなければなりませんね。その意味で僕は今日は環境の面からの話をいくつかのスライドを使って紹介したいと思います。
これは僕の大好きな絵なのですが何を言っているかというと私たち地球は生きているんです。この地球には目もあるし鼻もある。舌も苦しい苦しいと言っている。地球を単に惑星としてだけで見たらそれは命の無い物体です。でもこの宇宙の中でみれば地球は生きものです。なぜかっていうとその上に乗っている私たち人間でも微生物のような人間でも生命をもっています。煙突がいっぱいありますね。たくさんの煙が出ています。これは私たちの出している経済的な活動です。今まで経済だけを信じてやってきた私たち、技術を信じてきた私たちがこのかけがいのない大気をどんどん汚してきました。それから水も汚してきたし土壌も壊してきたし森も壊してきた。経済を支えるためにやってきたんですけど同時に生命を支えるものも一緒に壊してきました。未来はどのようなものになるかですね。これだけ苦しくなっている地球は後どれだけもつか想像できますか。
このままで私たちが暮らしていけるのはそんなに長くないですね。これは皆さんを脅かすつもりではないんです。周りのことを見たらわかるんです。日本には四季があるのが自慢ですね。でも最近はどうなっていますか今年の春は皆さんちゃんと楽しめましたか。冬からもう梅雨に入ってしまったんですね。春秋という季節がどんどん短くなっている。消えていくんですね。これは熱帯出身の僕としては普通で熱帯では春も秋もないんです。夏からすぐ冬に入るんです。冬からすぐ夏になる。中間の気候はそんなにないんです。今はこの地球環境の変化のため、どんどん熱帯化しているということです。
それはどういう理由かというと大気を汚染して温暖化の問題が出てくる。その問題の一番大きい原因は二酸化炭素を出す石油等化石燃料です。それだけではなくメタンガスというのも大きい温暖化の要因です。そのガスは2酸化炭素の20倍の温室効果の力を持っていて速いスピードで増加しています。メタンガスはどこから出てくるか年間110万トンは水田からです。私たちが生活するためにつくっている農業から温暖化のガスが出てくるのです。だから水田を止めたらいいとか、広げたらいけないかとか専門家とか政治の関係者はすごく困っています。これは私たちが生きるためにもつながっている問題ですね。他には湿地からも。これは私たちが存在する前からあったものです。家畜からも出ます。家畜は人間よりも多いですね。その家畜を育てる為に私たちは熱帯雨林を壊して餌を生産しています。でもその家畜が年間で80万トンくらいメタンガスを出している。それが温暖化につながる。
他には植物を燃やすときに58万トン。埋め立てのところで40万トン。シロアリも植物を分解してメタンガスを出しています。このようにいままでわからなかったものでもそれぞれの働きで大気を壊しています。これから考えていかなくてはならないですね。この地域の衛星データを見ると山のほうにゴルフ場がいっぱい開発されて土壌を壊している。この地域の土壌をうるおす森を私たちは開発のために壊している。人間が生きるためにやっている。これは僕の研究室で調べてきたのですけど1987年の状況と1991年のあいだにこの地域の土壌とかの分布がどのように変わったか。落葉樹林が針葉樹林に変わったりゴルフ場に代わったり畑がゴルフ場に変わったりして自然を壊しているということですね。森があるから地下水も豊富で光合成で大気もきれいになるのにそれを切り払ってゴルフ場にしてしまう。昔からの自然の働きを無視して現在の経済的なプラスだけを考えているのが今の文明ですね。特に僕の国コンゴではコンゴ盆地といわれるように南と東は高地でその間をたくさんの川が流れています。面積は日本の7倍位あります。コンゴ川は長さが4700kmもあります。アフリカの中でも水資源の一番多い国です。地球規模での熱帯雨林を調べるとブラジルが世界の44%を占めインドネシアが5%コンゴが2%です。この3つで世界の熱帯雨林の51%を占めます。これからの熱帯雨林の未来を考えるならこの3つの国から全体像が見えると思います。ここでも西洋化のプロセスでたくさんのものが壊されています。スラムでは電気も水道もない。木を切って燃料として利用している。木を切って毎日運ぶ姿が見られます。
「アフリカ村おこし運動」
たくさんの農産物を作るために森を伐採して畑にする。アフリカでは毎年野焼きをします。乾季になると森に火をつける。なぜ火をつけるか。村人に聞いてもわからない。この衛星写真で赤いところは燃えたところ。白いところはまだ植物が残っているところ。これでは植物も壊されるし2酸化炭素も増えていく。温暖化の元にもなっている。このような状況で未来はどうなるんでしょうか。そこで私は未来を考えるにはただ村人に自然を守ろうというんじゃなくもっと全体的に物事を考えることにし「アフリカ村おこし運動」というのを始めました。研究だけでなくて環境も大切にしよう。環境を壊したら未来がない。若い人たちといろんな研究をして環境にやさしい開発を考えていくというプロジェクトを村人と一緒にやっていくやり方です。市橋さんのいるケニヤでも同じと思いますがアフリカでは土地はいくらでもあります。これはそのプロジェクトの農場で上はピーナッツ下はトウモロコシです。この研究場は10ヘクタールくらいあり、研究生たちは農業の仕方を勉強しながらここで収穫されたものをセンターの運営費にしています。大人たちにもこうして技術を教えます。これは未来を創る子どもたちの教育の為に日本の協力者の支援で創った学校です。去年の8月に協力者の皆さんと日本から行ってこの学校を訪問することができました。この学校の地域では30Km以内に学校がないのです。日本では考えられないですね。それで村では学校ができたというので子どもたちはすごく喜んでいます。それぞれの教室の上に名前が書いてありますね。協力者の名前をそこに付けています。これは街の方にできている学校です。ここは中学校の1-2-3年で若い人に環境の事も教えていくつもりです。ここに来ている子どもたちはストリートチルドレンです。街じゅうに特に女の子たち今まで家族がなくその辺で寝ていた子どもたちを集めてこの小さな小屋で12人の子どもたちが生活しています。この小屋でも彼女たちには天国です。今まで路上で動物みたいな暮らしをしていた子どもたちがここに来ると希望を持った子どもたちになります。私自身もアフリカに行くとこの子どもたちと一緒に夜は休みます。
眼が純粋で未来をすごく明るく見ています。この子どもたちに良い環境を提供し素晴らしい未来を渡すのも私たちの義務ではないかと思います。これは大人たちに公衆衛生の話をしています。たくさんの子どもたちが水が汚いとか住むところがちゃんとできていないとかでたくさん死んでいきますから大人たちに水の大切さと、どうすればきれいな水が飲めるかを教え、それだけじゃなく村に技術を使って井戸を掘って水を得る。それが子どもたちの健康につながります。ここは学校を創った村で50mくらいの深い井戸を掘ってきれいな水を出しています。
僕の話は皆さんに何がいいたいかというと私たちが今生きている地球は、いままで西洋文明を中心にきて私たちは今行き詰まっている状況ではないかと。このままでは危ない。このままでは危険で何かしなければならないということですね。そのことがさっきの市橋先生の話にあった違いを認めるということです。今まで中心的ではなかった人たちにも目を向けて見なければならないというのがポイントですね。特にアフリカのほうではいままで無視されてきたアフリカの文化の中のいいものをピックアップしてこれから国際的な文化が創られていくといいなあと思います。中心的な文化じゃなくても人間はこの地球に生きるためにそれぞれの地域で生きる知恵を集めてきた。今度それらを全部あわせて私たち人類の財産として活かさなくてはならないということです。これは人間との付き合い方でも自然との付き合い方でもいえるので今から討議にしていきたいと思います。
聴衆と対談
これから対談ということですが皆さん講演をお聴きになってこの点がわからないとかここをもっとクローズアップしてほしいとかございませんか。
学生>ストリートチルドレンというのはどのくらいいるのですか?
サンガ>もうたくさんいます。2000人以上です。でも私たちが世話をしているのは本当にわずかな人数です。でもここで5歳から15歳の女の子にしたのは理由があります。女の子だから外でレイプされたりするので優先的に孤児院に入れました。でもまだまだたくさんいますよ。
学生>彼らが臓器移植に使われるとか聞きましたが?
サンガ>コンゴでは犯罪はすごく少ないです。暴力にあったり武器を持ったりすることはめったに無くそんなことに使われるのははっきり言ってないですね。
その意味でその子たちをもう一度社会に戻す意義はすごく大きいです。
学生>その子たちは何を食べているんですか?
サンガ>例えば何か頼まれてお金をもらっても皆で分け合います。貧しいけど皆分け合うんですよ。グループで分け合って何か買って食べあう。そのことは彼らから学ぶひとつのことではないかと思います。
市橋>ケニヤでもストリートチルドレンは多いです。どうしてそうなるかというと両親が分かれて母親から捨てられる。両親がエイズで亡くなる。そういう子達が街に出てくるのです。彼らは観光客などのものを盗ったりすることがあります。
ですから日本人がケニヤに行くと車の窓を開けないでくださいって言われるんです。それからケニヤではストリートチルドレンで死ぬ子達がいます。それは親がエイズに感染していて子どもたちも死んでいきます。何を食べているかって言うことですがレストランから出た食べ残しのものをあさって食べたりしています。
学生>政府はどうしているんですか?
市橋>政府は何もしませんね。だいいち病院へは行きません。ですからストリートチルドレンの世話をしているいろんなNGOが世話をしている子どもたちはお医者さんに行きますけどそこから外れている子どもたちはお医者さんにいけません。病気になって死んでいくだけです。
市民>貧しさ悲惨そして温暖化という切り口でお話されましたがその根本の原因は市民の改革など吹き飛んでしまうほどの植民地主義、植民地政策にあるのではないですか。
市橋>植民地政策の中で育てられてきた人々のメンタリティとして権力志向もあると思います。非常に多くの問題や環境への無知がありますがひとつ大事なのはアフリカの指導者の問題があります。その人たちは高等教育を受けているのですが本当に自分の国の悲惨さに目を向けてその人たちを救う政策をやっているかって言うと非常に疑問です。
自分の国にあるいろんな人材や資源を自分の権力を維持するため自分の銀行のお金を増やすためにもちいている。アフリカで教育を受けるということは非常な特典であるのですがそれをただ自分の生活を豊かにするためにもちいている。
教育を受けた人が精神の乏しい専門家、道徳的な面で感覚の無い人たちによって社会が悪くなる。国のために献身的に働く指導者たちを育てる教育が必要なんです。
植民地政策ということですが確かにあると思います。アフリカ諸国は1960年代に続々と独立し、もう40年近くたっているんです。人間で言えば大人ですよね。ジンバブエで農園から白人を追い出したりしていますけどその大統領は宗主国、いわゆるイギリスなど先進国がアフリカを助けるのはヒストリカルオブリゲーション、自分達が搾取したんだからそれを返すのはあたりまえだと言うんです。そういうことはあるだろうけど一人前の大人がしかも独立して40年もたって、まだお前たちが悪いんだとは言っておれないと思うんです。自分たちで国を作り上げていこう人たちもいます。そこはやはり国を指導していく人の姿勢がカギを握っていると思います。ですからアフリカでは大統領が誰になるかって言うのが非常に大きな問題です。そういう大きな国の流れの中で一個人としてどう生きるかって言うことで大きな流れにまかす人もいます。いやそうじゃないって自分の思う道を進もうとする人もいます。そうしないとアフリカはよくならないと思います。少数であっても始めていかないと良くならないのです。サンガ先生の活動もそうした流れのひとつで私はこうするんだ、と使命感をもってやる人が増えていくこと。それが全体を変えることにつながると思います。
サンガ>植民地主義についてアフリカだけなのか、それとも世界的なのか、いかが思われますか?
市民>私はアメリカでも植民地から脱していないと思います。
今は軍隊を派遣して植民地にできる時代ではないですがお金という麻薬のようなもので植民地にしているのではないかと。大統領にしたって教育にしたって本当にその民族の風土にあった民族に見合う生活をその国の言語で教育する必要があると思います。
サンガ>今、西洋化という言葉をつけましたが長い地球の歴史の中で見て、ある時期にヨーロッパが強い国になって資源を求めて世界のあちこちに植民地を作ってヨーロッパにモノが流れた時期があります。ある時期は奴隷としてアメリカに、その後は資源を求めて。現地の民族のことなど関係なくヨーロッパの都合で国境が決められアフリカに国が作られたのです。その後の1960年代の独立のときは教育が利用されたのです。西洋の教育を受けた色の黒い白人を作っただけでした。その人たちに国を任されたのです。
それはまだ終わっていないんです。例えばケニヤ人でケニヤの大統領でありながらケニヤ人の言うことでなくイギリスが言うことをきいている。多国籍企業という、お金の力で先進国が欲しい物をやる。これはアフリカだけでなく少しの人だけで世界の経済を動かしている。でもこれはあまりにスケールの大きな話で私たちの今できる範囲で何ができるかそこからスタートすればいいではないかと思います。
市民>社会の安定は市民の教養程度の高さによるのではと思います。底辺の方々の一般教養道徳が大切だと思います。トップの人をあてにしたら駄目だと思います
サンガ>一般教養はとても大切だと思います。自分の目で自分の頭で判断することですね。それが目的とされるんですけど実際のことになると日本の実態を見て驚くんですがこれだけ識字率の高い国、これだけマスコミの進んでいる国でも皆さんはどれくらい世界の事を知っているかということですね。自分の地域のことだけでもどのくらい知っているか。テレビで何を見ているでしょうか。教育は社会に責任を持って貢献できるような人材を作る手段として有用です。教育というのはただ頭を賢くすることではなくて人間として生きていけるような教育でないといけないと思います。私が今、コンゴで作っている学校ではまず現地の文化を大切にしていく、その現地の文化はその地域に一番あっているからです。その地域に生きていける手段です。国によって文化が遅れているとか進んでいるとかいう意識はぜんぜんありません。その地域の人たちが長い歴史の中でどうやって生きていくかそれを大切にするのです。国際化とは日本人でありながら世界を知っていくことなんです。世界に溶け込んでもアメリカのこととかヨーロッパのことだけを知っているのは強くないです。僕自身日本に来てからアフリカのことを良く知ることができました。
市橋>日本を愛する日本人であることを誇りに思うこと。人と比較して自分がえらいんだとか他は劣っているとかそういう風にとらえるんではなくて日本で培われ日本人として今まで自分が身に付けてきたものを国際社会の中で世界を豊かにするために分かち合っていく環境問題にしても日本人の知恵を使って貢献していく自分を愛していながらそれを外に向かって出していく、そういう姿勢が同時に必要だと思います。自分達の文化を尊重するって言いながらそれを他と比較して優れている劣っているとか、そういうのは駄目ですね。
市民>今日の講演のテーマは「未来につながる人を育てるために」となっていますがまだ私には結論がわからないのですが。
ODAでは他国の金で一部が不正な儲けをしていると言う事があるのか知りたいです。
海外青年協力隊といった人たちの実態はどうなんですか?
市民>私はベトナムから来ている研修生たちを仕事で雇っているんですが前回市橋さんが日本にこられて講演されたとき異国の人をどう扱えばいいのかお尋ねしました。「人と人とのつながり、それは国の違いがあっても人として接すればできる」と答えられました。それから1年半たちまして20人のベトナムからの皆さんと接してきました。皆さん日本の文化を学びすごく暖かい人たちです。毎日の生活も非常に熱心な人たちです。本当に感謝しています。
市橋>未来につながる人を育てるのは私たち自身に責任があります。どういう人に子ども達を育てるか、またどういう風に人と接していくか、自分がどう変わるか。そういうことになると思います。自分をどういうふうに確立するかということです。
ODAのあり方というのは先ほど言われたようなところがかなりあります。
政府レベルでの援助は税金が使われますからこれをやった、あれをやったと目に見える形でやられるわけです。建物を建てたりモノを残すのです。私が以前ルワンダの難民の子ども達のための伝染病の予防ワクチンをくださいと当時の大使にお願いしたらそれはだめだといわれました。それは薬をやっても見えないからです。政府の援助はそういうものなのです。それでサンガ先生や私たちはNGOによって本当に必用なところに援助をするようにしています。政府のODAからもれるところがたくさんあるからNGOや個人レベルでカバーしていかなくてはならないのです。
海外青年協力隊も週刊誌等にいろいろ書かれていますけれども一生懸命にやっている人もいれば個人の経験を積んで就職に役立てるのが目的だけの人もいてそれは個人レベルのことで全体としてどうとかはいえないと思います。ただ日本としては、そういった青年達が世界の人達とどのように一緒に生きるかという使命感を持っているか持たせるかが大切だと思います。
鶴見(アフリカ村おこし運動事務局長)>アフリカにも日本にもすごくいいところがあるんです。サンガ先生が言われたように永く欧米文化に追従してきて壁にぶつかっている、そういうのを感じます。日本もいいところがあるのに壁にぶつかり危ないところに来ている。アフリカにはまだそれが残っている。だからアフリカと私たちが協力したらこれからの未来を人類が生き残っていく知恵を創れるんじゃないか。それを一緒に引き出しましょう、そういうことで私はアフリカ村おこし運動を手伝っています。かならずそうなれるとアフリカに行って確信しました。日本も捨てたもんじゃないし、今までの知恵、もっと掘り起こして若い人たちに大事なものを伝えていかないといけない。発言し自分が必要だと思ったことを行動することだと思います。
以上 2002年5月11日亀山市総合保健福祉センター「あいあい」にて収録
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