私は市橋君と、小学校1年生から、中学校3年生までの9年間で、6年間同じクラスで勉強しました。 高校3年の時の彼からの年賀状に「人知るもよし、知らざるもよし、我が道を行く成り」と書かれていました。それを読んで私は私なりに、自分の人生で努力していこうと、決心しました。 昨年彼が帰国され、彼の生活、考え方を聞いたとき、私は自分の事しか考えずに生きてきた自分に、恥ずかしさを、覚えました。 是非、この会の趣旨に一人でも多くの方に、ご賛同していだき、市橋君の活動を成功させ たいと思っています。 皆さん、よろしくおねがいします。 片岡国輝 |
人との出会いとは実に不思議なものである。 もうはるかな昔40年前になるだろう。小学校時代の市橋さんは背も高かったし、ソフトボールやその他運動では群を抜いていてクラスでも目立った存在だった。 私が結婚し子育てにそれなりの平穏な日々を過ごしている頃、彼は海外青年協力隊としてアフリカに渡り、そのあまりに違った世界、戦争と流血、飢餓で消えていくおびただしい命の中、私腹を肥やす独裁者たちを見ていた。革命と内乱という個人の力ではどうすることもできない状況で、挫折し帰国を余儀なくされたが、その困難で絶望的な状況にもかかわらず力強く生きている民衆の瞳に、人生観を覆す衝撃を受けたそうだ。 私は一企業の組織のなかにすっかり入り込み、ささやかな趣味と子育てに明け暮れて歳月は経ち、いつのまにか中高年と呼ばれる歳になっていた。 帰国して、私が通っている地元の教会を、牧師となりケニヤでの宣教活動をしていた市橋さんが訪れたのは驚きと感動であった。
20世紀は全世界的に戦乱と大量虐殺の世紀であった。21世紀になっても地域紛争、及びその結果としての悲惨な生活環境や飢餓は絶えそうにない。 2000年11月 伊藤幸一 |