講演会(講演記録)を聞いて(読んで)下さった方へ
こんにちは。
先日の講演会にお来し下さり、アフリカの話を聞いていただきましたことを心よりお礼申し上げます。
ナイロビのスラムに住むひとりの夫人を訪ねたときのことです。
彼女は「夫は仕事に行かず酒に溺れ暴力をふるい金を取ってゆく。夫はその悪い性質のため私を死ぬほどに苦しめることが度々ある」と話しました。
そうなると暴力をふるう夫とは離婚ということもありうる訳ですが、この婦人はこう付け加えました。「自分はそんな夫のもとで数年間耐え忍んできた。最後まで耐え忍んでゆこうと決心している。」そして更に付け加えて「私を苦しめるそんな夫からも時にはほんの僅かのケシ粒ほどの善意が流れ出ることがあるのを、この苦しみの数年の間に発見した」と。
もちろんその僅かながらも流れ出るケシ粒程の善意を見出すためにこの婦人は毎日ちょうど金を掘り当てようとする人のように長い間探し求め発見するまでじっと目を凝らし深い所まで掘り進まなければならなかったのです。
この婦人は最後に言いました。「そんで私はこんな夫を毎日いわば掘り出さなくてはなら
ないんです。」
私はこの「掘り出す」という言葉を忘れることができません。そうです。私たちもお互いをいわば「掘り出」さなくてはならないのではないでしょうか。自分の夫を、妻を、子供一人一人を、友人をそして隣人たちを掘り出してゆかなければならないのではないでしょうか。
共に生きるということはそういう地味で忍耐のいる(しかし掘り出せた時の大きな喜びを伴う作業です。無関心は共に生きることの最大の敵です。
講演を通して今まで遠かったアフリカの人々を隣人として近くに感じていただければ幸いです。
私たちの働きはアフリカの人々を隣人として掘り出してゆく作業です。と同時に私たちもアフリカの人々によって新しく掘り出されてゆくのです。
驚きと感動と喜びがあります。
この作業に皆さんにも加わっていただければというのが私たちの祈りです。
皆さんの日々の歩みが確かで喜びにあふれたものとなりますように。
感謝をこめて。
2000年11月
市橋隆雄 (ケニヤ、ナイロビ)
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