ねこさんの夫婦でチャレンジ 歩き遍路 その6 2021年秋
2019年の春、かみさんの一言がきっかけで、お遍路を思いつき夫婦で歩き遍路にチャレンジした。
電車、バスで徳島県に入り1番の札所霊山寺から山越えてやっと18番の恩山寺手前まで歩いたところで、
かみさんの膝が猛烈に痛み出しそこで断念、ホウホウの体で自宅に帰り着いた。
その反省から毎朝6時から7時過ぎまで早朝のウォーキング約6kmで
脚を鍛え2019年秋には18番恩山寺から難所の鶴林寺、太龍寺を無事にクリアし
徳島県最後の札所薬王寺を済ませ、さらに高知県との県境まで歩き切った。
そして2020年春、折から新型コロナウィルス騒ぎが日に日に酷くなるころ
高知県の東半分を歩きちょうどコロナ禍で納経所が閉鎖になる直前
予定のコースを終えることができた。
2020年秋には折からGOTO TRAVEL真っ盛りの頃、高知県須崎から足摺岬、更に
宿毛を抜け愛媛県大洲まで歩き切った。
そして2021年春、コロナ禍は依然として収まってはいないが
難所久万高原から愛媛県東部と香川県に入る旅に出た。
距離も日数も過去最大となったが無事に歩きとおすことができ結願を秋の楽しみに坂出駅で終えた。

そして2021年の秋、急速にコロナ禍が収まる11月に結願への旅に出た。

今回(赤の線)は坂出駅から歩き出し79番から結願の88番大窪寺
更に香川県から徳島県に入り1番に戻るルートです。
準備
11月になると雨の季節も終わり晴れの日が多くなりました。
雨具は欠かせないけど、その分リュックの重量がかさみ
高齢者には深刻ですからレインコートからポンチョにして
軽量化しました。民宿やホテルのランドリーが使えるので
着替えも最小限としました。
地図もあらかじめスマホで撮影し紙ベースは持たないようにしました。
こうしてリュックの重さを5kg少々に抑えました。
遍路1日目  2021年11月15日
朝6時過ぎに家を出、駅まで歩きました。
2km程度なのでこれからの距離と比べれば
軽いです。
大阪を過ぎてからのこと、通り過ぎた区間で
運転見合わせだそうです。
危うく最初からつまづくところでした。

岡山からマリンライナーで瀬戸内海を渡ります。
いつもながら巨大な構築物を造り上げた関係者に
頭が下がります。

 

前回の到達先、坂出駅です。
今回はここから白衣に着替え歩き遍路のスタートです。
坂出市街地を抜け79番天皇寺へ向かいます。
天皇寺の手前にある八十八名物のところてんです。
此処は欠かせません。
夏場だと更に美味しいでしょうが大満足でした。
80番国分寺まではけっこうありました。
時刻も5時になったのでお参りは翌朝にして
先に国分寺横の旅館えびすやに入ります。
女将さんが外に出て迎えてくれました。

此処の女将さんは話し好きでとても明るく
遍路相手の仕事が大好きのようです。

午後2時からの歩行でこの距離は
けっこうハードでした。
遍路2日目 2021年11月16日
朝出発の前に、旅館えびすやの女将さんに
撮っていただきました。
前方にこれから登る五色台の山塊が見えます。
だんだん道が狭くなり登りとなりました。
急な登りで何度か休みました。

最後の登りは急な階段、あえぎながら登りますが
なかなか終わりません。
やっと上がると舗装道路です。
同年輩の単独男性が重そうなキャリーを転がしながら
通し打ちをしていました。
階段ではたいへんだろうなあ。
81番白峯寺に向け細道を進みます。
左は自衛隊の演習場で除草作業の隊員も見えました。

せっかく登ったのに、この後、延々と坂を下ります。
コロナも下火となって白峯寺は紅葉を見に
たくさんの人が来ていました。
お寺のアイドル猫ちゃん
とても人懐っこい仔で参拝客に抱かれても平気です。
82番根香寺へは快適な古道です。
こんな遍路道は貴重な遺産だと思います。
お接待の缶ジュースなどが置かれています。
有難く頂戴しました。
それにしても車道から遠く坂の途中まで運ぶのも
たいへんだと思います。
地元の皆さんのご奉仕に感謝、感謝です。

あとでわかりましたがこれは「景子ちゃんの接待所」なんです。
病と闘う6年の生涯、絵本で触れる「景子ちゃんの接待所」…父のお遍路を縁に開設 香川

 高松市の四国霊場第八十二番札所・ 根香ねごろ 寺に向かう山中に、6歳で病没した少女のことをお遍路さんに伝える「お接待所」がある。悲しみを乗り越えたいと四国巡礼を始めた少女の父親の思いに、地元ボランティアの男性が触れ、一昨年に設けた。接待所にあるのは、少女の懸命で前向きな人生を描いた一冊の絵本。お遍路さんが疲れを癒やしつつ、命に思いを致す場となっている。
「読売オンラインより」

 「お一人様一本ご自由にどうぞ」。根香寺まで約2キロの香川県坂出市の山道沿いに、休憩を促す紙が貼られ、缶コーヒーや水などを入れた8個のケースが置かれている。「景子ちゃんの接待所」だ。

 高松市内に住む公務員国方卓さん(55)が2021年10月に始めた。無人で、仲間3人と飲み物を多い日で90本も補充する。

 歩き遍路の経験がある国方さんが接待所を設置したのは、約10年前に、大手自動車部品メーカーに勤めていた鈴木 中人なかと さん(65)(愛知県豊田市)の講演を聞いたことがきっかけだ。

 鈴木さんの長女、景子さんは3歳だった1992年に小児がんを発症。95年に小学校に入学し、毎日病院で輸血を受けるなどしたが、同年7月に亡くなった。

 抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けても恥ずかしがることもなく、車いすで通学して「勉強頑張らなくちゃ」と笑顔を絶やさなかったという。「最期まで懸命に生きた娘から教わった命の尊さや周囲に感謝することの大切さを、多くの人に伝えたい」。鈴木さんは全国の学校などで「いのちの授業」と題した講演を始めた。

 しかし、死別の悲しみは癒えなかった。二十三回忌の節目に合わせて2018年、気持ちに区切りをつけたいと四国遍路を始め、3年後に終盤となる香川まで到達した。

 講演に感銘を受けた国方さんは21年に、鈴木さんが巡礼で地元の香川に入ったことをSNSで知った。「お接待をしてあげたい」と高松市内で出迎え、労をねぎらった。その時、人生に迷い、時に苦しむお遍路さんに思いをはせた。「きっと景子ちゃんがお遍路さんを励ましてくれる。そのお手伝いをしたい」と接待所を設けることに決め、「景子ちゃん」と名前を付けた。

接待所に置かれている絵本「6さいのおよめさん」
 接待所には、鈴木さんが14年に出版した絵本「6さいのおよめさん」が置かれている。同書では、「お嫁さん」に憧れていた景子さんが、ウェディングドレス姿で光の差す方へと歩む様子が描かれており、「“いのち”は当たり前にあるんじゃない。きせき なんだよ」と呼びかける。

 絵本の傍らには自由に書き込めるノートがあり、「これからの生き方を教えていただいた」「限りある命を大切に生きたいと思う」といった言葉が並ぶ。

 昨年11月に接待所を訪れた名古屋市の男性(67)は、11年前に妻をがんで亡くし、親友も末期がんという。「精神的につらくなり、お遍路を始めた。親友に接待所のことを話したい」と語った。

 鈴木さんは国方さんの心配りに感謝しながら「接待所が、命を大切にしているかと自分に問いかけ、身近にいる大切な存在を考えるきっかけになってほしい」と願う。
根香寺の紅葉も見頃です。
たくさんの人が訪れていました。
鬼無の町に降ります。
長く緩やかな遍路道でした。
鬼無は盆栽の町です。至る所に盆栽の育成地がありました。
遍路道は入り組んでいて地図ではわからずグーグルマップが
役立ちました。
途中で80代のおばあさんが呼び止め
お接待だといただいた手作りの人形
最近は歩き遍路さんが少ないから寂しいと
言っていました。

車で通りかかった30代くらいの女性からは
こんな袋に入れたお菓子をいただきました。

大きな川の堤防に沿って延々と歩き
83番一宮寺を経てやっと今夜の宿
「きららの湯」に着きました。
温泉施設で食事も自由に選べたので豪勢な夕食です。
温泉も快適で疲れた脚を癒しました。

宿泊は同じ敷地内に別棟で設置されていて
ゆっくり休むことができました。

この日の歩行データ
けっこうきつい一日でした。
遍路3日目 2021年11月17日
大都会、高松市に向かい一直線の広い道を進みます。
遍路道は並行してあるのですがこちらのほうが
車道や自転車と分離していて安全です。
高松といえば栗林公園
せっかくなので寄りました。
大勢の人が訪れていました
広い公園を満喫し更に進みます。
独特の平たい形の屋島が見えてきました。
この日もたくさん歩いてきたので登るのは
きついのでリュックをこの日のホテルで
預かってもらい身軽になって登山です。
道も細く急な登りになってきました。
何度か休みながら登ります。こんな石が置いてあり助かります。

やっと屋島寺を打ちました。
広い敷地にはたくさんの観光客がいました。
時計はもう2時を回っています。
眺めの良いレストランでピザで遅い昼食としました。
ここは瓦投げができます。
こんな的に瓦がくぐれば念願がかなうそうです。

売店で高齢だけど元気のいい女将さんにつかまり
言葉巧みにお土産品を買わされ?宅配にしました。
まあ何処かで買うつもりでしたので手間は省けました。

84番屋島寺から85番八栗寺へは急峻な崖降りですので
自分たちは安全な往路を戻りました。
この日はふもとのビジネスホテルで宿泊しました。
この日の歩行データ
遍路4日目 2021年11月18日
この日は屋島の隣の山の中腹にある85番八栗寺からです。
奇怪な形の山塊で遠くからでも目立ちます。
こちらは昨日の屋島ほどきつくはありませんでした。
地元の80代の男性と話しながらお迎え大師に着きました。
お迎え大師像前で記念撮影です。
八栗寺より上には奇怪な岩塊が鎮座しています。
八栗寺からの降りは車道ですが車にはほとんど
出会いませんでした。
静かな道を海岸線まで降ります。
平賀源内の生誕地、志度に着きました。
生家横の銅像の前で休んでいたら隣の家から
高齢の男性が出てきて2000円のお接待を受けました。
有難く受け取り次のお寺に寄進しました。
お昼の場所を探していて見つけた路地奥のお店
牡蠣料理の専門店のようです。
牡蠣ご飯とフライそれはそれは別品でした。

86番志度寺です。
立派な五重の塔が目立ちます。
87番長尾寺に向かってまっすぐな道を進みます。
遠くには翌日越える標高770m女体山が見えます。
ほんとうに越えることができるんだろうか少し不安です。
87番長尾寺に着きました。
この日はすぐ横の民宿ながお路に泊まります。
同宿したのは他に男性2名
通し打ちの方で楽しく情報交換ができました。
この日のデータ
遍路5日目 2021年11月19日
いよいよ結願の日です。
長尾寺横の宿から緩やかな登りが続きます。
やがてダムが見えてきました。
前川ダム近くの遍路交流サロンに寄ります。
遍路資料館を見せていただきました。
地域のNPOが発行している四国88箇所完歩の証明書
四国八十八箇所遍路大師任命書をいただきました。
合わせて歩き遍路同行二人バッジとDVDもいただきました。

88番大窪寺へのルートはいくつかあります。
天候が悪ければ車道を選んだのですが、幸い好天です。
きついけど自然いっぱいの女体山方向に進むと
遍路途上物故者慰霊碑があります。
此処については佐藤孝子さんの建立レポートを参照ください。
ここまで来れた感謝の気持ちを込めてお祈りをしました。
長い登り坂をどんどん行くと階段道に達しました。
此処からは休みを頻繁に取りながら登ります。
これは旧遍路道ではなく登山コースです。
崖が崩れた後、補修された場所など
関係者の苦労がしのばれる道です。
両手を使って岩をよじ登ります。
いよいよ頂上です。
高度計も770mを示しました。

降りはとても長く感じられ滑らないように細心の注意を
払って降りました。
途中階段の落ち葉を竹箒で掃除している若者がいました。
多くの人の奉仕で維持されていることに感銘を受けました。
女体山コースはきついけど大窪寺が置かれた場所を
身体で感じることができました。

遂に88番大窪寺です。結願です。
大勢の人が訪れていました。

この日の宿はすぐ近くなので遅い昼食を
お寺前の店で食べました。

この日の宿は大窪寺すぐ近くの民宿八十窪です。
3時過ぎに宿に着くとうわさ通りの朗らかな
女将さんが歓迎してくれました。

夕食には結願祝いの赤飯など至れり尽くせりです。
同席した90代の先代女将さんも苦労した昔話を
聞かせてくれました。

この日のデータ
距離は短いが700m級の岩山登山のきつい一日でした。
遍路6日目 2021年11月20日
大窪寺の紅葉はピークです。
朝もう一度、大師堂にお参りしました。
此処には原爆の火が今でも燃え続けています。
人類のもつ愚かな業を感じ世界の平和を祈りました。

大窪寺からは10番切幡寺付近まで歩きます。
讃岐の国から阿波の国へ長い長い降りです。
この写真は前後して歩いている方に撮ってもらいました。
農村地帯が延々と続きます。
車で通りがかった2人連れのアマチュアカメラマンが
写真を撮らせてほしいというので夫婦遍路のモデルになりました。
長い降りには休憩場所がほとんどありません。
唯一あった公園とトイレです。
切幡寺が近いです。高速道の陸橋が見えました。
高知からの戻り、バスの車窓から見たとき、
気の遠くなるような距離感から自分たちは
ここまで来れるんだろうかと思った場所に
遂に来ました。
これで徒歩で四国一周ができたのです。
この日は切幡寺近くのビジネスホテル八幡
横のレストランでそれなりに豪勢なお祝いです。
この日のデータ
遍路7日目 2021年11月21日
10番付近から1番霊山寺に向け戻ります。
この部分は逆打ちになりますので表示が見えず
歩きにくく感じました。
歩き出したばかりの遍路さんたちと出会うと
自分たちの3年前を思い出します。
見覚えある場所を懐かしく思いました。
遂に1番霊山寺に戻りました。
山門にあった人形は売店側に移されていました。
この日は霊山寺近くの板東駅から電車で徳島に戻り
駅前のダイワロイネットホテルで泊まりました。
設備の良いホテルでランドリーの状態が部屋の
テレビでモニターできました。

ホテルの中のコンビニのお姉さんはとっても感じの良い人で
私らの雰囲気を察したのか、両手で幸せをいただきますなんて
ジェスチャをしました。

この日のデータ
遍路8日目 2021年11月22日
今回の行程中、唯一の雨天となりました。
でもこの日はバスと電車で高野山への移動なので
幸いでした。
ちょうど大阪まで戻る遍路ツアーのガイドの男性たちからも
結願のお祝いの言葉をいただきました。

徳島駅前から高速バスで大阪難波へ
電車で高野山のふもと九度山まで行きます。
この日の宿は九度山の民宿玉川亭
昼間は地元の産物を活用したレストランをしているので
充実したメニューです。
この店の店長はうさちゃんです。
うさぎ店長 げんじろう だって。
とってもいい仔でした。

通常は一組しか宿泊できないそうでお風呂は
車で近くの温泉まで送迎してくれました。
オーナ夫婦は家族的なもてなしで楽しい宿でした。
部屋には古風な鎧が置いてありますが
子どもさんへのお祝いで夜に動くことはないから
安心して寝てくださいだって。
遍路9日目 2021年11月23日
いい宿でした。
出発にあたりオーナの奥様に撮っていただきました。
この日は歩いて高野山に登ります。
空海の時代からある由緒ある古道、町石道です。

スタートはここ慈尊院、此処から1町約109m毎に
180、179とカウントダウンしていきます。

九度山は柿の名産地、どこまでも柿畑が続きます。
これが町石、こんな重い石柱をどうやって
高い山まで運んだのだろうか?
だんだん高度を上げると見晴らしがよくなりました。
登りばかりでなく降りもあります。
とにかく距離が長いのです。
でも歩きやすい快適な道です。
途中のトイレ
山の中とは思えないきれいなトイレでウォシュレットです。
落ち葉を踏みしめてどんどん行きます。
急な登りや下りを繰り返します。
車道を何度か横切ったり並行して登ったりを
繰り返し高度を上げていきます。
紅葉も見頃です。
標高800mを越え急な登りの後、
突然のように現れた大門
感動の一瞬です。
遂に来ました、高野山
この日の宿は宿坊西南院です。
意外と他のお客さんはいませんでした。
当然ながら食事は精進料理
有難くいただく健康的な食材です。

お風呂は一度に10人は入れる大きなお風呂
でも私らだけでゆっくり入れました。

この日のデータ
距離も上がった階段も記録破りです。
遍路10日目 2021年11月24日
朝6時半から勤行にでました。
その後は食事。

大きな門前町、高野町を奥へ奥へと歩きます。
奥の院に近づくと墓が延々と続きます。
奥の院、御廟の入口です。
これより神聖な領域で写真も撮れません。
御廟に遍路結願の報告とお礼のお参りをし
全ての行程を終えました。
この後は白衣を脱ぎケーブルカーと
電車で帰宅しました。
この10日間の歩行距離は183qでした。

3年間かけて四国一周をし
総歩行距離は1400qに及びました。
88箇所の札所を最短距離で歩けば
1200q以下のようですが
自分たちは宿から宿へ更に駅へ遠回りも
しましたので実測は1400qを越えました。

苦楽を共にした自作の金剛杖は
床の間に飾り最後は棺に入れてもらいます。
お寺で納経の際にいただいた御影は
専用のファイルに入れて記念にしました。

何処までも果てしない車道歩きでは常に車が恐怖でした。
終わったとき、一番ほっとしたのは交通事故に会わずに終えられた安堵感でした。

区切りが終わる度、次の計画を立てるのも楽しみました。
参考にした書籍やネットサイトはたくさんありますが一部を下記に上げます。
   
四国八十八箇所歩き遍路50日モデルプラン 竹本修 著 四国遍路 辰野和男 著  
わたしの四国歩き遍路の旅 宇野恭夫 著 私のお遍路日記 佐藤光代  著
旅をふりかえる旅 清水翼 著 八十八箇所巡礼の歴史と文化 森正人 著
   
参考サイト   
とある歩き遍路の道しるべ    掬水へんろ館 つれづれ花暦 動画サイト tobotobo aruku 
 
この3年の間にも遍路事情にはいろいろ変化がありました。
最初の頃は3人にひとりくらいは外国人でしたがコロナ禍ですっかり変わりました。
宿も閉鎖になったところも多くあります。

案内マップ 便利になったのは案内マップです。
最初は紙ベースの地図を参考にしていました。
当時出回り始めたスマホのアプリも使ってみましたが誤差が大きく使いにくかったです。
それが2年目からはGoogleMapのアプリが紙ベースの地図より遥かに使いやすくなりました。
近くにいる地元の方に道を尋ねるのも遍路では普通で、それが魅力でもあります。
でもいつも人がいるとは限らず、また表示がふんだんに貼られた遍路道とは違い宿への道は分かりにくく
GoogleMapは便利でした。
お接待 歩き疲れている時に「お接待」をいただくとたちまち元気が出ます。
四国ではいつも車にお接待用の菓子等のグッズを積んでいる方も多いようでこれはすごいことです。
所要日数   各年春秋と全6回3年かけた区切りでしたので70日くらいかけました。通しで歩けば50〜60日だったでしょう。
健脚の高齢者だと若者並みに40日ほどで一周する人もいますのでかなりゆっくりペースでした。
ちなみに夫婦ともスポーツマンとは縁遠い身体です。
 
出費 所要日数の多い歩き遍路中の出費では人により大きく違います。
3年間で延べ70泊した私らは一人当たり数10万円使いましたが野宿をしたり素泊まり中心の人たちは遥かに少ない出費だったはずです。
  3年間で靴はすり減ったので4足ほど替えました。
私らは毎朝のトレーニングで既に700kmは歩いて
足になじませてから本番に入りましたので仕方ないです。
幸い深刻な靴擦れはありませんでした。
膝へのショックを軽減するのにインソールは入れてあります。
靴は高級品でも安物でも減りに変わりはなかったので数千円のハイキングシューズを山道、舗装路の区別なく履きました。
遍路笠 遍路笠は最初は被るのにちょっと抵抗がありましたが実際は実に便利でした。日焼け防止に、少雨なら雨除けに雨天でも視界が広く蒸れないし歩き遍路の必需品でした。
しっかりとかぶれるようさわやか笠フィットを使用しました。
宿の宿泊予約   ビジネスは楽天経由のネット予約、民宿は電話が基本で特に宿の数が少ない焼山寺からの下降点、
室戸岬手前や雲辺寺手前は1か月前に予約しましたがその他は1〜2週間前でした。
洗濯  民宿、ビジネスホテルともに大抵はランドリーがありましたので下着と靴下は毎日洗えました。
民宿ではお接待として全てやってくれるところもありました。白衣は各区切り中に1回程度洗いました。
これにより着替えは1着だけで済みリュックを5kg程度に収めることができました。
食事  民宿泊の場合は夕食と朝食は宿で取りました。
食事込みで7000円程度が多かったです。
ビジネスホテルの場合は夕食は近くのレストランで朝食はホテルのサービスを利用するか歩き出してからルート沿いのコンビニでの菓子パンなどでした。
昼食は大半がコンビニで時にはルート沿いの食堂も利用しました。
トイレ事情  食べることとトイレは最重要です。
歩いていても常に次は何処で食べ何処でトイレにしようと考えていました。札所が少ない区間ではコンビニで少額の買い物をしトイレを借りました。それ以外では公園やガソリンスタンドでもお借りしました。
結局使わなかったモノ   レスキューシート、サーチライト、
非常食のカロリーメイト(1度だけ使った)
 
雨具   カッパは重いのでなるべく持ちたくはないのですが、そうもいかないので途中からでも予報を見て雨の心配が無くなったら自宅に返送しました。
雨の少ないシーズンは軽量なポンチョだけ持参しました。
遍路傘はいつもビニルカバーを付けておき少雨の時には便利な傘になりました。

歩き遍路は厳しいだけに素晴らしい。
お金も時間も、そして何より健康がそろって可能になる究極の贅沢かもしれません。
夫婦共に癌サバイバーである自分たちの幸せに感謝してレポートを終えます。
最後までご覧いただいた皆様ありがとうございました。
     2021年11月吉日 南無大師遍照金剛                                       ねこさんの自分史