アーミッシュの人たち
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オハイオに来て最初にアーミッシュの人たちを見たのは街外れの道路だった。
濃紺の衣服と頭をすっぽりと覆った黒いフード。およそ場違いでまるで中世の
世界を見た思いだった。
アーミッシュとは17世紀に始まったキリスト教プロテスタントのー派で
初期にはアルザス,スイスなどに広がったが,現在はアメリカにみられるだけである。
アメリカへは1727年から50年にかけて多数がペンシルベニアに入植,そこからオハイオ,
インディアナ,イリノイ,ネブラスカなどの中西部に移動していった。
現在なおペンシルベニア・ダッチという独特の言語を話す。
特徴なのは信仰に基く生活様式の厳しい保守主義で,無地の質素な自家製の服を着て,
男はつばの広い黒い帽子をかぶり,ひげを蓄え,女は黒の靴下,靴をはく。
自給自足に徹し自動車,電気、電話などの近代的発明品を使わず,子弟の教育も
自分たちで行う。馬車を移動の手段に使いトラクター等は使用しないが,優秀な農業者である。
特に固まって村を作ってはいないがアーミッシュが多く点在する地域の道路には馬車に
注意の標識があり、ここに入ると必ずといっていいほど彼らの馬車を見ることができる。
広大な畑の一本道で馬車を走らせる彼らの姿は絵になる光景である。
すれ違って手を上げれば笑顔で答えてくれる。
アーミッシュの家は庭先に青い彼らの衣服が干されていて容易にわかる。
電気洗濯機も乾燥機も使わないからである。
アーミッシュの女性たちは夏には青い伝統的なドレスと白いフードで装う。
青く澄んだ空の下、自転車で並んで走り去る彼女らの姿は眼に焼き付いた。
農場の片隅にはアーミッシュの店があった。周囲いっぱいに木工細工のイスやテーブルを
並べ店内ではジャムや蜂蜜やパンが売られていた。いわゆる自然食品そのものである。
例の衣装の愛想の良い女性が子供をあやしながら店番をしていた。
我々の世界と彼らの世界の唯一の接触を持てる場である。
もっとも我々が彼らの脱文明社会にあこがれたところで決して仲間には入れないのだが。
しかしこのような異質な文化と共存しそれを何百年と続けてきたアメリカ社会の器の大きさ
には感動を覚える。同様のことがどうしてインディアン社会やアフリカ系住民に対して
できなかったのか。ここに人間の持つ良心と、同時にどうしようもない罪を思う。
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