単独行もまた楽し                                                                 TOPページに戻る

                                                                                     

40歳を越えた頃から毎週のように山歩きをはじめた。それ以前にも子供たちと
ファミリー登山で富士山や立山に登ったことはあったが子供たちも中高校生になり
親離れ始めたのが単独登山を始めた動機であった。
独りで山に入るのは最初はちょっと不安があったが回を重ねるに連れその魅力の虜と
なった。とにかく誰に気兼ねもなく自由気ままに歩けるのがいい。休みたいとき休み
歩きたいとき歩ける。コースも自分のそのときの体力で自由に決められる。
それでも万一の備えに小さな無線機か携帯電話は常にリュックに入れておいた。
主に鈴鹿を中心に日帰りコースがほとんどだったがいくつか印象に残った山行き
もあった。

可愛げない猿

安楽越の林道で1mほどの猿に会った。写真を撮ると突然怒り出し牙をむいて今にも
飛びかかる姿勢だ。
引っ掻かれたらたまらないからこちらも大声を出し両手を上げて威嚇の姿勢を
とった。相手との距離わずか1mでにらみ合いが続く。
こんなとき杖でも持っていたら鉄砲のように構えれば逃げたかもしれないがあいにく
何も持っていなかった。
かかってきたら奴の顔面に足蹴りをかましてやるぞとすきを見せないように睨みつけた。
それにしても可愛げのない猿だ。たいていなら逃げていくのに。こんなのをヤクザ猿とでも
言うのだろうか。幸い1匹だけで良かったが。
結局この憎たらしい猿、勝ち目なしと思ったのか糞を放出して離れていった。

あわや雪に埋没

入道岳は四季を通じて安全な山歩きが楽しめるはずだった。
しかしその日は前日の大雪で麓から雪を踏んでの登りとなった。
難渋しながらやっと二本松尾根を登りきった。
頂上付近は強風の中視界は100mもなかった。
池の谷を降りようと進むと新雪が吹き溜まりとなり肩まで雪の中に埋まった。
かろうじて頭部の埋没をピッケルで防ぎながら泳ぐように谷を下った。
何度か沢に落ちながら雪だるまのようになってやっとのことで小岐須林道に降りたった。

マムシ渓谷

会社の仲間で石水渓でキャンプをしていた。
蛇がいるというので見ると何とマムシだ。それっとばかり板切れやシャベルで押さえ込み
頭をちょん切って皮をむき焼いて皆で食べた。焼きマムシは骨っぽいが香ばしく美味である。
それだけならどうってことはなかったけどそれから出るわ出るわ次々マムシを発見。
キャンプどころかマムシ捕りになってしまった。
結局日没までに計10匹のマムシを捕らえてすべて焼きマムシにした。
しかし皿に盛り上げられた多量のマムシはとても食いきれなかった。
石水渓がマムシ渓にならなければ良いが。

鎌尾根はゆっくりと

初冬の頃宮妻渓谷から鎌尾根に登った。水沢岳を過ぎた頃から遥か東に富士山が見え出した。
御岳も南アルプスの山々もくっきりと見える。
締まった浅い雪の中ゆっくりと迫ってくる鎌の先端を見ながらの尾根歩きは楽しい。
鎌ヶ岳の頂上から眺める何処までも透き通った地平線。まさに至福のひと時であった。

快晴の雨乞山頂

冬が去り鈴鹿スカイラインがやっと開通した4月早々稲ヶ谷より雨乞岳に登った。
雪解けで沢は増水していて渡るのに難渋したがやっと山頂に到着した。
雨乞名物の背を越す笹はまだ雪の下で何処でも自由に散歩でき快適だった。
北の端から見ると遥か能郷白山らしき山々までくっきりと見えていた。
素晴らしい眺めをもう一度と翌週も登ったらすでに山頂の雪は解け笹に覆われていた。


足元はヒルだらけ

初夏の頃、霊仙山へ登ろうと時山集落から林道を入りソノドに向かった。
うっそうとした谷はヒルが多い。脚を下ろしたとたん一斉に落ち葉の間から無数のヒルが
首を持ち上げ頭を振り出す。こんなときはすばやく歩を進めるしかない。
数分おきに靴に引っ付くヒルを落としながらやっとソノドの頂上についた。
霊仙に向かう静かな長い尾根歩きは誰にも会わず自然に溶け込むような快適さだった。
登山者で賑わう山頂から少し外れた場所で休憩し遥か遠くに見えるソノドに続く稜線を、
よくぞここまで来たと疲れも忘れて見とれていた。

おどかしやがって

晩秋の頃、青川渓谷から冶田峠に向かった。猿が食べたようなアケビの殻を
見ながら登る峠道は静かで鉱山で賑わった往時をしのびながら冶田峠に着いた。
地図を地面に広げ巨大な御池岳の山塊を見ながら休憩をした。
再び歩こうと地図を除けたとたん下に2匹も蛇がいた。
寒いので動きは鈍く最初からいたのに気づかなかったようだ。
まったくおどかせやがって。

静かな御在所岳

何年か前強風で御在所のロープウェイが運転中に滑車が外れ立ち往生したことがあった。
幸い一般観光客でなく下山中の山上施設の従業員だけが乗っていたので深夜に山腹に
緊急脱出できた。
でもこの事故でロープを張り替えることになり紅葉シーズンにもかかわらず1ヶ月余りも
営業を停止せざるを得なかった。
ここ幸いとロープウェイの真下の本谷から登ることにした。
素晴らしい紅葉と静寂の中の登山は楽しかった。
山頂には耳障りの音楽もなく登山者だけの世界であった。みんながこのままロープウェイが
停まっていたら良いのにと言いあっていた。
好奇心から緊急脱出した場所を見てみたくなりロープの真下に沿って下山した。
その場所は急な勾配の狭い場所で笹が倒されていた。強風と暗闇の中での脱出は訓練された
従業員であっても恐怖だっただろう。犠牲者が出なかったのはただ幸運であったと思われた。


命辛々

加太不動滝から東海自然歩道を鳥越峠に登り旗山に向かった。
途中ルートを失い猛烈なガレ地帯に入った。
こんなすごいガレは初めてだった。とにかく歩けないほどなのだ。
やっと尾根に上がり一面の笹原から見おろす、甲賀の村は美しかった。
南方へ直下降したら採石場にぶつかり迂回したら災害後の杉の倒木でこれまた
歩くこともできない。
命からがらやっとのことで加太越に降り立った。

まさか人に逢うとは

風越峠からハライドに向かった。コースはなく藪漕ぎとなった。
藪の中突然、単独行の登山者にあった。
先方もびっくりしていた。同類がいるものだ。
強風の中ハライドから見る青岳や釈迦ヶ岳は迫力があった。
この日は最後まで緊張を強いられる荒れたコースだった。

積載オーバー

朝明渓谷からイブネクラシへと入った。防護眼鏡を着けての猛烈な藪漕ぎだったが
所々姿をあらわす裏から見る御在所や雨乞岳はその姿を少しづつ変え楽しかった。
朝明に戻るともう日没間近だった。おばさんグループが数人バスに乗り遅れて
困っていた。こちらは軽4バンだからとんでもない積載オーバーだけど無理に詰め込んで
四日市駅まで運んだ。まあおまわりさんに見つからなくて良かった。
しかしオバタリアン登山者は心臓も強い。

ある晩秋の日に

暖冬でまだ紅葉が残る12月始めだった。いつものように仙ヶ岳に登ろうと林道に入ったら
老人夫婦がいて私に仙ヶ岳への道を尋ねる。事情を聞くと初めてだという。
これでは不安なので道案内を引き受けることにした。70歳を越えているそうで足元が
不安だったが、ゆっくりしたペースでやっとのこと登頂できた。
彼らの喜びはひとしおだった。細心の注意を払って日没間際に下山したときはこちらもほっとした。
もうあの人達が仙ヶ岳に登ることはないだろう。冥土の土産になったと何度も言われて
感謝された。その秋最後に残った紅葉は夕日に一段と輝いていた。


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