花鳥風月 初夏編

春から夏にむかう頃しだいに緑の濃くなる山々。
亀山の西端、滋賀側の斜面には天然のしゃくなげが群生しています。
園芸種のしゃくなげほど華麗ではありませんがひっそりとした
尾根に咲く様に逢うとうれしさも格別です。
          
♪茶摘歌を聴く♪      ♪夏は来ぬを聴く♪

笹百合(ささゆり)   ユリ科

道の辺の 草深百合の 花咲(ゑみ)に 咲(ゑ)みしがからに 妻といふべしや (万葉集)


万葉集には、百合を詠んだ歌も多く、古来より人々に親しまれた植物の代表でもあります。
残念なことに、最近はめっきり少なくなり、山で出会ったときのうれしさは、また格別のものです。
花姿を、歩く女性に例えたのも、この花なればこそと、うなずかざるを得ません。
葉が笹に似ることから、笹百合の名が付けられたとされますが、当地は昔から笹百合が多く産しました。
今後も野に置いて楽しみたい花です。
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50代 男性
子どもの頃、初夏の裏山には笹百合がいたるところに咲いていた。
緑深きなかにくっきりと咲く百合は今でも心の原風景である。
父もこの花の香りが好きでたくさん採ってきて玄関に飾った。
もっとも過ぎ足れば及ばざるが如しで、匂いがきつすぎ母や姉には不評だった。
大人になるといつのまにか笹百合は裏山から消えていた。
仙ヶ岳に登る途中、見つけた一輪の笹百合に懐かしさと共に
いつまでも残れよ此処にと祈らずにはいられなかった。

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春竜胆(はるりんどう)  リンドウ科

とにかく可憐で素晴らしい色彩の花に目を奪われ、その場に立ち止まり、
思わず見とれてしまう程の花です。ぜひ一度ご覧になってください。
明るい林地の少し湿気のあるような場所を好んで生えています。
草丈は5cmほどの小さな植物で、葉がロゼット状になります。
花の時期は5月の下旬で、秋咲のリンドウと少し違って宿根草ではなく
植物の命は2年とされ越年草です。仲間にセンブリがあります。
根を干したものを竜胆といい、薬用とされますが、この種は根茎がありません。
竜胆は俳句の季語(秋)として使われ、次の句は有名です。
竜胆の 日を失ひし 濃紫   誓子





野花しょうぶ

本種の仲間には、あやめ、かきつばたがあり、いずれもこの季節に開花しますが、自然の群落は本当に少なくなりました。
花色は紫から赤紫、花被片は6個、外側の3個が大きく、野にあって一際目を引くものです。
「いずれアヤメか杜若かきつばた」と美人の例えとされますが、どれがどれやらなかなか分かりませんが、区別は外花被片の模様と色によることが、比較的分かり易いと思われます。
本種から改良され、園芸種として古くから各地で栽培される花しょうぶは、本市や三重県の花に指定されており、古典園芸植物としても伊勢、肥後、江戸などの特徴ある種が保存されています。
さて、野花しょうぶですが野花菖蒲と書くように、野生で花の咲く菖蒲という意味があります。
日当たりの良い湿地という条件さえ整えば生育に支障はありません。でも最近このような湿地が減少しており、個体数も激減していることから、自生地の保護が早急に必要となっている植物のひとつです。
余談ですが、万葉集の菖蒲はサトイモ科のショウブを指すもので、よく似た葉姿ですが全く異種のものです。
5月の端午の節句に菖蒲湯に使われ、根茎が健胃剤ともなります。

【あやめ・菖蒲】
網状の模様、これを綾目と呼ぶようですが、葉のつき方を文目とも言います。

【かきつばた・杜若】
中央部に白班があります。この仲間では一番水を好み、水辺に群落をつくります。
別名「書き付け花」とされ、花の汁を染料としたことによります。

【野花しょうぶ】
花そのものが赤みが強く赤紫色で、中央部に黄色の斑紋が見られます。



杜若(かきつばた)         アヤメ科

 杜若は、いずれアヤメかカキツバタと、美人のたとえもありますよう、古くから鑑賞用に庭園の池辺に植えられ、愛培されている多年草です。水湿地に生え、地下茎が横走り群生することから、京都上賀茂の太田の沢の群生のように名所も多く、今花の真っ盛りですので、ぜひ観賞いただく価値は十分かと存じます。
 アヤメの仲間で、近隣に産するものは、カキツバタ、ノハナショウブが
ありますが、この見分け方は、外花被片の中央基部がアヤメ・・・黄色で青紫色の網目模様、カキツバタ・・・披針形の白色の班紋、ノハナショウブ・・・披針形の黄色の班紋となっていますので、よくご覧ください。
 「かきつけばな」とされる由縁は、花をこすりつけて染料として利用したことによるもので、これえが訛(なま)った物とされます。
 万葉集にも数多く詠まれていますが、伊勢物語には
  から衣きつつなれにしつましあれば 
             はるばるきぬるたびをしぞ思う

と詠まれています。



本石南花(ほんしゃくなげ)        ツツジ科 常緑低木

 自然の春を演出する代表な花ですね。日本のツツジの仲間で最も豪華な花を楽しませてくれます。本市の山間部にも群生が見られますが、地形的にかなり険しい場所に限定されます。
 5月ごろ、枝先に紅紫色の花を多数咲かせ、花冠は直径5センチほどの漏斗状で先は七裂し、葉は枝先に輪生状に互生し、長さ10〜15センチの狭長楕円形。非常にしっかりした革質で表面に光沢があります。
 昔から庭木、また盆栽として人々に愛培されてきましたが、低地ではなかなか栽培が難しく、それが人気を持つ要因の一つなのかもしれません。花色は産地により、白色から淡紫色、そして黄色と、変化に富んだ固有種が見られ、全国の花の名所には必ず登場しています。お隣りの滋賀県日野町には有名な群生地があり、今がちょうど見ごろです。通常の仲間全体を石南花と総称されますが、当地に産する種は「本石南花」ですので、お間違いなく。

       石南花や朝の大気は高嶺より   水巴
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50代 男性
4月の終わりになると今年の石楠花はどうだろう、と鈴鹿の山に登ってみる。
この花は安易にいける場所に生育することはあまりなくそこそこ登山を必要とする。
亀山と土山の境界線の尾根を歩くと不思議と切り立った土山側にだけ群生していたりする。
やはり本格的に見ようとしたら鈴鹿では雨乞岳と綿向山の尾根だろう。
当たり年には尾根全体がピンクに染まる。
ところが裏年だと惨めなくらい開花しない。
花の開花は人間の都合など関係なく太古の昔からわが道を歩んできたのだろう。

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鴇草(ときそう)朱鷺草(ときそう)     らん科 多年草(落葉)
 園芸店ではおなじみの野草でうすが、野生の状態を見ることはまず稀(まれ)なものです。
 発見できたのは、石持草の写真を撮るため湿地の中を歩いていたときのことで、全くの偶然のまさに未知との遭遇でした。モウセンゴケと共存しているようですが、どちらかと言えば酸性の土壌を好むようです。
紅紫色または淡紫色の2cm前後の小さな花を咲かせることから花色を、日本の特別記念物で国際保護鳥の朱鷺の羽の色にちなんで命名されたようです。正式には、鴇(国字)が使われますが、通常は朱鷺とされるようです。
 最初の発見から約2週間、5回も通ったのですがいまだに開花せず、広報の締め切りに仕方なく蕾(つぼみ)を撮影しました。大きな蕾の方は間違いなく朱鷺草と思われますが、小さくやや上向きに開きかげんな方は、ひょっとして山朱鷺草かも知れません。
 決して珍しく、鑑賞価値の高いものではありませんが、見つかるとほとんどが採取られ、野生種は絶滅の危機に瀕(ひん)しています。花はやはり野に置くに限ります。貴方もぜひ近くの自然を探索してみてください。当地にはまだまだ未知の自然が残されています。
 草丈約10〜20cm 開花はちょうど今ごろです。



乳茸刺(ちだけさし)       ユキノシタ科(多年草)




 今、当地の山間で花盛りのこの花は、升麻(しょうま)と総称される仲間の1種で、やや湿った山野を好み、草丈四十から八十センチにもなる比較的大型の野草です。
淡紅色か白色のごく小さな五弁花を円錐状に多数付け、茎は細く硬く葉もしっかりしていることから、切り花としえ花壇で栽培されるようです。
 姿形がよく似たバラ科の下野草(しもつけそう)と混同だれがちですが、全くの別種です。
 和名の由来は、食用の茸(乳茸ちだけ)をこの茎に刺したことからとされます。

写真は季節の花300より





稲(古代米)      イネ科

古代より人々の生活に一番深いかかわりを持つ植物の一つとして遺跡の発掘等でしばしば発見され、総称して「古代米」とされますが、たくさんの種が確認されています。
 総合環境センターでは、川合町の朝熊英文さんのご指導とご協力により、9種の古代米が栽培されておりまして、黒・紫・青・緑のお米がこの秋にも収穫を迎えます。
 このかかわりの深さは、万葉集や古今和歌集、伊勢物語、枕草子、源氏物語にも登場しています。

   恋ひつつも  稲葉かき別け  家居れば   は、万葉集、
   秋の田のいねてふこともかけなくに       は、古今和歌集 の一節です。

 主食としての五穀は米・麦・粟(あわ)・黍(きび)・豆とされますが、万葉集には麦・粟・稗(ひえ)が
登場するものの、源氏物語には、これらが見られません。
 また王朝の貴族社会は、お米を粥として常食したらしく、後者にはお粥が頻繁に登場します。
 この秋、総合環境センターでは、古代米の試食会などを計画しています。周辺の環境整備として、自然を体験できるゾーンを造成中ですので、ぜひご期待ください。野の花や昆虫、それから淡水魚類と野鳥の観察、多種の樹木など、休憩所や散策路を利用しながら、お楽しみください。


蟻通ありどおし   アカネ科 常緑小低木

やや乾いた日陰の山地に見られたものですが、最近はなかなか見られず、神社やその周辺の林に生育しているのが確認されています。
高さ50センチ前後、初夏に漏斗状の四列した白い花を咲かせ、小さな球形の赤い実を付けます。
棘が蟻を刺し通すほど鋭いことから、この名が付いたとされますが、大阪府泉佐野市長滝の大名持命(おおなのもちのみこと)を祭る蟻通神社に、蟻に糸を結んで幾重にも曲がった玉に緒を通した仏典の故事があり、この故事も影響しているのではないかと思われます。

有通(ありどほし)一名とりとまらず、駿河にてねずみばなと云、江戸にてありどほしと云、九月実生なりて翌年まで持ゆへありどほしといふ

このように紹介されています。
葉は対生。卵円形で革質。合生する托葉(たくよう)の葉脇に、枝の変形した1〜2センチの刺針がある。
この属は日本から中国にかけて産し、9種が知られている。
ところで枕草子には、「蟻通の明神、貫之が馬のわづらひけるに云々」とありますが、この一節は紀貫之家集からの引用とされます。
また、紀貫之が蟻通明神に和歌を手向た和歌の徳を称えた謡曲が「蟻通」です。
この作詞・作曲者は、申楽談義に、世子作とあることから世阿弥と考えられています。
内容的には霊験能のうで、貫之個人に対する祝福の形をとることであり、それは結局和歌の道の讃美で、「高砂」などとも通じ、祝言の意にかなっているものです。
蟻通しは、味わいのある植物で庭木にもよく利用され、樹木の伐採などで日照条件が変わると、草丈が詰まり、結構観賞価値が高まるようです。
写真は野村の忍山神社参道で撮影したものです。





霞山椒魚(カスミサンショウウオ)
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今、野山は新緑に包まれています。俳句では春の山を「山笑う」と表現すると教えていただきました。
まさに山の様相は優しく微笑むように感じられます。
この季節、霞山椒魚の産卵が始まります。生体は通常陸上(林内の落ち葉の中など)で生活し、ミミズや小昆虫を食べていますが、産卵は田んぼや溝などの水中で行われます。
長さ8cm 程度のバナナ状の卵塊には、50位の卵が入っており、約4週間で孵化し、体長1cm 少しの幼生が誕生します。不思議なことに、分布は中の川水系に限られ、鈴鹿川水系では確認されていません。
山椒魚この滝に棲む神代より(季語は夏)この句は、特別天然記念物の大山椒魚を指すもので、昭和30年代には当市でも生息が確認されましたが、現在は絶滅したものと考えられています。
本種は、江戸時代の学者シーボルトにより世界に知られることとなりましたが、1826年関町坂下でその生体が見つかったことは、あまり知られていません。「生きた化石」と称されるのは、100万年前の化石と変わりないことに起因するもので、人間の赤ちゃんと勘違いされたように、短い手足と大きな頭、長い胴体などの骨格は、見違うのもうなずけます。
亀山市には、この霞山椒魚の他に、ヒダサンショウウオ、ブチサンショウウオの生息が、モニタリング調査で確認されています。
春の里山には、偶然の出会いがあります。散策し、もし卵を見つけられたら、それはそれは貴重な発見です。
周囲をゆっくり見渡してください。きっと、オタマジャクシに似た小さな幼生と対面できることでしょう。
卵が大きいのは、吸水して大きくなるもので、はじめからではありません。
体長7cm から12cm 程度。イモリに似ていますが、褐色または黒色でわき腹に13本のしわがあります。(肋条ろくじょう)
夜行性ですので、産卵期のこの時期以外はまず見つけることは難しいと思われます。

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