このサイトのQRコード 亀山みそ焼きうどん秘話
若い日の思い出 作:ねこさん
私が学生時代を終え社会に出たのは1967年(昭和42年)だった。
ちょうど高度成長の時代が始まろうとしていた。
高度成長期とは、毎年10%という今までにないスピードで所得(物価も)が上がり、企業は生産に追われ造れば売れる時代であった。
大半の人が3C(カー、クーラー、カラーテレビ)を買える時代になった。
1970年に開かれた大阪万博はそんな時代を象徴する国民的イベントになり猫も杓子も何時間という長蛇の列を我慢して並んだ。
その頃、私は自動車関連の工場の設備担当で、生産が止まる土曜、日曜はほとんど出勤して設備の新規設置や改造をしていた。お昼になると工事業者と近くの国道沿いにある焼肉店、亀山食堂や亀とん、亀八食堂に行くのが常だった。汗と油にまみれた作業服同様に壁に貼られたメニューは油煙で読めないほどに汚れていたがまったく気にはならなかった。
亀山周辺には国道1号線が通り大型トラックの定期便が昼夜、休まず行き来していた。
トラックの運ちゃん相手に焼肉店が次々でき、どこでもホルモンなどの安い肉を提供していた。
店の人は肉とキャベツのぶつ切り、それにこげ茶色の味噌ダレをドバッと鉄板に載せるだけ、後は各自で勝手に焼くのである。
数分もすればキャベツと肉から水分が出てくる。やがて肉の色が茶色くなるかならないうちにご飯の上に載せて食べ始める。
肉体労働の身には、こたえられない至福のひと時である。しゃべるのを止めて黙々と口に運んだ。
どんぶり飯が空になるころには鉄板上のキャベツも肉も姿を変えたように味噌ダレと一体化していた。
そこに玉うどんを載せ再びかきまぜる。うどんが肉のエキスを吸いこんだ味噌ダレと混じり、これまた極上の味覚となる。
よくこんなに食べれるものかと思うほど腹いっぱいに食べ、再び午後の仕事に向かうのであった。
味噌ダレ誕生秘話
味噌ダレの誕生時期は正確にはわからない。確実なのは、もはや戦後ではないと言われた1965年(昭和30年)以降、従来の鉄道輸送だけでなくトラック輸送が増えたことと関係がある。国道1号線は旧東海道に沿って東西を結ぶ交通の要であった。
鈴鹿越えが難所であったことは江戸時代と変わらなかった。大型トラックは、くねくねした細い急坂を、黒煙を吐きながら登りきり狭く暗いトンネルに入っていった。トンネルを出れば難所も終わり近江の国だった。
冬になるとたびたび路面が凍結し大渋滞を引き起こし、その列は亀山市街まで続くこともあった。
今も昔も亀山は峠越えの前の休憩地点として好都合だった。
亀山の国道沿いにはトラックの運ちゃん相手の食堂が次々開店した。当地でホルモン焼きという言葉が使われだしたのもこのころである。ホルモン>ほる(捨てる)もの の意味で食用の役に立たず廃棄物にされる肉の部位である。臭く汚く内臓の中でも食用の価値のない厄介モノだったようだ。一斗缶(20リッター石油缶)に入れられ捨てられるホルモンを塩で、もみ洗いすれば食べれるのだがそのままでは臭みも強かった。そこで香辛料で強く味付けした赤味噌で焼くことが考案されたようだ。
この方法が昭和30年代に国道沿いの亀山の焼肉店で広まり、みそダレも各店独自の味になっていった。
赤味噌とは東海地方、特に名古屋近郊に独自の味噌で、豆を原料とし米味噌と比べ、赤黒い色を呈している。
全国ブランドの八丁味噌もこの類だが高価なので、当地のスーパーでは、どこでも安い豆味噌が赤味噌として売られている。
この赤味噌に混ぜる香辛料は唐辛子、日本酒、みりん、にんにく、ゴマ、豆板醤、ラードなどその配合は各店の秘伝とされる。
実際に、何とか自分で作ろうと試みた人は多いが、同じ味の味噌ダレは、なかなかできるものではない。
家庭で職場で愛用された味噌ダレ焼肉と焼きうどん
独特の味噌ダレでの焼肉がうまいとの評判は特にブルーカラーと呼ばれた工場労働者の間では周知であった。
焼肉店で食べた後、味噌ダレを土産に買って家での焼肉に使う人も珍しくなかった。
また、職場のキャンプなどでは、味噌ダレにホルモンやボツ、うどんまで一緒に買い込み手づくりの大きな鉄板を囲んで野外で楽しむことも多かった。ただ当時は焼肉店はトラックの運ちゃんの店のイメージが強く、家族連れで行くことはなかった。
ところで味噌ダレでの焼きうどんが一般化したのは鉄板での焼肉だったことが幸いした。
亀山以外では網焼きが多くタレも醤油系である。無駄な油を落とす網焼きは、それなりに旨いのだが網焼きでは焼きうどんに展開はしなかっただろう。
地域に知れ渡った特製味噌での焼きうどん
亀山で食べられている鉄板焼き肉と焼きうどんが広く知られるようになったのは「亀八食堂」の存在が大きい。
「きてよ、きてよね」のCMを長く三重テレビで流し続け、一度でも来た人は、この店の大雑把で、無愛想な、いいかげんさに驚き、強烈な印象を受ける。味をどう感じるかは人それぞれではあるが、概してまた来たいと思うだろう。
トラックの運ちゃん専用だった「亀八食堂」は、CMの効果もあったのか客層も広がってきて夕食時には女性や家族連れが多くなり安く美味しいファミレスのようになった。しかし鉄板は客が代わってもヘラで掻き取るだけ、湯呑みはワンカップ大関の流用品という大雑把さは変わることはなく、それがまた店の個性でもあった。
寂れる焼肉店
1995年(平成7年)から国道1号線は亀山の北部にバイパスが開通し定期便トラックの多くは旧国道には入らなくなった。
繁盛した焼肉店の客数も激減した。それでも根強い愛好者は旧道沿いで食事を取っていたが往時の繁栄は戻らなかった。
当地にも「さがみ」「さと」等、チェーン店のレストランが進出し従来からの飲食店のいくつかは経営者の高齢化もあり廃業に追い込まれていった。
市民活動団体のプロジェクト
亀山では特に2001年以降は時代の流れに沿って福祉、環境保護などの分野でいくつかのグループが市民行政協働のもとに活動していた。2007年度から始まった環境資源マッププロジェクトは市民と行政の協働作業で実施し「土の道再発見」をテーマに市内各地を調査し2008年度に小冊子の発行で完結した。このメンバーは市民側4名行政側2名の計6名いたが2008年春に、調査も終わり「次は何をしようか?何か面白いことをやらないか。」と話が進んだ。その場で市職員のYさんから富士宮でB級ご当地グルメによるまちおこしが大きな効果をあげているとの話があり、亀山でも同様の企画で何かしてみようとなった。
さて、何をご当地グルメにするか?市役所職員のFさんが亀八食堂で食べられている「焼きうどん」にしたらどうかと提案があった。
市役所近くの食堂「京屋」でも裏メニューではあるが、これに近い「みそ焼きうどん」を希望する客に提供もしていた。
「それは面白そうだ」と全会一致で味噌焼きうどんでのB級ご当地ぐるめを広めることにし名称を「亀山みそ焼きうどん」とした。実はこの焼きうどんは半世紀も前から食べられていたが、今まで名称は無かったのである。
まずは試作から
まずは自分たちで「亀山みそ焼きうどん」を試作することになった。2008年7月のことである。
問題は味噌ダレである。
あとは普通の玉うどんとキャベツと豚肉だから簡単である。亀八食堂では専用味噌は売ってはくれるが造り方は教えてくれない秘伝のタレである。Yさんが工夫して作った味噌ダレは、こんな構成であった。
基本になるのは赤味噌である。ただここでいう赤味噌は東海地方だけで売られている豆味噌のことで、八丁味噌に近い種類である。
八丁味噌は生産地が指定されたブランド品で高価だが赤味噌は当地のスーパーでは安く多量に売られている。
材料(8人分)
うどん |
8玉 |
赤味噌 |
100g |
エバラ焼肉のタレ |
50g |
砂糖 |
35g |
日本酒 |
0.1カップ |
豆板醤 |
適量 |
豚肉(こま切れ) |
240g |
キャベツ |
適量 |
ラード |
適量 |
塩 |
適量 |
コショウ |
適量 |
何度か作るうちに配合もコツを覚えてきた。新しく気づいたこともある。
味噌は生きもののように味覚が変わる。2-3日の熟成でまろやかになり美味しくなる。
ラードも重要であった。
味噌とうどんは反発しあって味噌がうどんから離れてしまうがラードが添加されると、なじむのである。
またラードが入ると味もまろやかになる。
隠れグルメとしてスタート
こうしてレシピができたので農協祭のイベントやアートイベントに出展して200食程度の販売を始めた。
「なにそれ?」「亀山名物がみそ焼きうどん?そんなん知らんよ」と言われる期間が1年くらい続いた。
「亀山みそ焼きうどん」という新しいメニューをどうやって地域に周知させるか?
ここで新しいグループが結成された。
「亀山みそ焼きうどん”B級グルメ仕掛け活動の会”」短縮して「B活の会」である。
ちょうどその頃、婚活、就活などの言葉も流行しておりタイムリーな名称であった。
この当時の主要メンバー9名の構成である。
F(男50代 市職員)Y(女30代 市職員)M(女50代 自営業)H(女60代 定年退職者)N(男60代 定年退職者)OD(男60代 定年退職者)U(男60代 定年退職者)I(市職員 給食おばさん)O(女40代 商工会議所)
市職員も職務を離れての個人参加であり飲食店関係者もいなかった。もの好きな市民有志の集まりである。最終目標はB-1グランプリ出展だとYさんが言ったが、ほとんどのメンバーはそんなもの雲の上のことだと思った。
NHKテレビから初めての取材もあって、なかばヤラセっぽかったが亀山のB級グルメとして取り上げられた。
F氏の提案で、あえて隠れグルメとして面白さを売り込むことにした。
したがって、この頃の手づくりのノボリ旗には「亀山隠れ名物 亀山みそ焼きうどん」となっていた。
まちおこしには地元の飲食店のメニューに入れてもらう必要があった。
国道沿いの焼き肉店「亀八食堂」「亀とん食堂」などは焼き肉店であって、うどん店ではない。
「どうせ遊びだろう。うちは関係ないから勝手にやってくれ」という雰囲気だった。
そこでF氏が中心となって亀山飲食店組合に協力をお願いすることになった。
飲食店組合の代表だった「うえだ食堂」のおじいさんは高齢で体調もすぐれなかったが、どうも市職員であるF氏の打診を不景気の飲食店の救済に亀山市が乗り出してくれたと誤解したようだ。
事実は、そんなことはまったく無かったのだが昔の人の感覚なら無理ないことである。
生き返ったように、元気になったおじいさんは組合員の店舗に走り回って「みそ焼きうどん」を始めようと説得し、奮闘したのである。
こうして飲食店の組合員を招集して「亀山みそ焼きうどん」の造り方講習会が2009年7月に青少年研修センターで開かれた。
これにより従来からの焼肉店に加えて10店ほどが新しく「亀山みそ焼きうどん」を始めた。
この夏の亀山納涼祭には自治会グループによる「亀山みそ焼きうどん」もブース販売された。
岡山県津山に勉強に行く
この夏(2009年)のお盆休みに岡山県津山市の津山ホルモン焼きうどんの活動を見学に9名が出かけた。
津山は以前から津山ホルモンうどんをB級ご当地グルメとして、B-1グランプリにも出展している大先輩であり年間8億円の経済効果もあると報じられていた。 市担当者との面談では下記のようであった。
1、津山は40人体制(内30人が市関連職員)、津山ホルモン研究会の名称で活動、但し市予算は一切使わず。
2、PR活動として、県内の祭りやイベントでは市内の飲食店経営者に委託、県外イベントには市職員が積極参加。
3、現在市内に24店舗のホルモンうどん店(マップ掲載店)あり。
津山の駅前にはシャッター街も目立ったがマップに載っている飲食店にはノボリ旗が掲げられ実際に食したが、感想としては亀山のみそ焼きうどんのほうが個性的な味覚だった。
B活の会から亀山みそ焼きうどん本舗へ
2009年秋にうまし国おこし三重の指導もあり、全国展開に備えて「B級グルメ亀山みそ焼きうどん仕掛け活動の会」(B活の会)から「亀山みそ焼きうどん本舗」と改名した。
本舗と決まるまでにはいくつか案が出た。隊、研究会、協会などである。
結局、他に使われていない本舗となった。ただ今でも何処に店があるのか?と聞かれることがあるので「まちおこし市民グループ 亀山みそ焼きうどん本舗」と称することもある。
これによりB-1グランプリ出展に必要な愛Bリーグ加盟も可能になった。
また「亀山みそ焼きうどん」の商標登録も考えたが、現状では困難とわかり、かめみちゃんと組み合わせ「亀山みそ焼きうどん かめみちゃん」を商標登録する手続きを進め2011年1月にはこれも達成できた。
この関係では亀山商工会議所のOさんが積極的に動いてくれた。
資金調達はチマチマと
イベントブースに出展するのはいろんな費用が要る。
だから出展料が不要の公的機関が主催のイベントに限っていたが、材料費以外にもガス代、保健所への臨時営業申請料、交通費などなど必要経費は多々ある。1食300円程度で販売が多いから、食数が200以上は無いと持ち出しになりかねない。売れ残ったら悲惨である。食材の購入量の予測は常に気を使った。何度かのブース出展でほんとうにチマチマと資金を貯め自己資金を増やしていった。
公的資金の補助は後での報告が面倒なこともあって受けるつもりは無かった。
ただ、三重県が募集した自立支援のプロジェクト「うまし国おこし三重」からは支援の趣旨に合致したノボリ旗や鉄板、着ぐるみ「かめみちゃん」の製作支援を受けた。
シンボルキャラクター決まる>地域への浸透
2009年は夏から秋に向け地域のイベントに連続出展して「亀山みそ焼きうどん」の名前を広めた。
まだ調理機材も充分でなく鉄板は借り物だったしノボリ旗も手づくり、味噌ダレの味も安定しなかった。
出番が増えると共に次第に隠れグルメのイメージは薄れ積極的に宣伝するようになった。
同時にシンボルキャラクターの考案も始めた。シンボルキャラクターは当初メンバーで案を出し合ったが所詮素人でなかなかいいのが出来なかった。カメを基本にするのは一致していたが、爬虫類の宿命で頭が小さくどうしても、かわいいのができない。
そんなときメンバーの関係者の夫さん(イラストレータ氏)が引き受けてくれ素人離れしたキャラをデザインしてくれた。頭が胴体よりはるかに大きく、それであってカメだとわかり、頭にはみそ焼きうどんを載せた斬新な作品である。
キャラクターができたので愛称を募集することになった。新聞やイベントで募集した結果、市内外から多数の応募があった。
スタッフで選考した結果、「かめみちゃん」に決定した。提案者は市内に住む女性(70代)で亀山の味(み)の意味から名付けたそうだ。
命名式は中日新聞にも報じられ、この頃から本格的に地域のメディアが取り上げてくれるようになった。
みそ焼きソングもあると楽しそうなので歌詞を考えた。最初の案はこんなのであった。
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♪みみみ、みんなのみ
そそそ、ソングのそ
ややや、ヤングのや
みそやきだー
シュシュシュ、カチャカチャカチャ
ジュジュジュ、カチャカチャカチャ
はーい、みそ焼きうどん、できあがりー
しゃきしゃきしゃき
ジャブジャブジャブ
キャベツ、たっぷり
秘伝のみそよ
シュシュシュ、カチャカチャカチャ
ジュジュジュ、カチャカチャカチャ
はーい、盛りあげ盛り付け、できあがりー
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更にかめみちゃんソングの歌詞も考えた。
こちらは全国展開を視野においてご当地亀山を紹介する歌詞である。
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♪かーめみちゃん、かめみちゃん 頭に何をのせてるの
亀山名物 みそ焼きよ
うどんすくって 右手でシュ 左でポイ
キャベツたっぷり ヘルシーよ
かーめみちゃん、かめみちゃん みそ焼きうどんはどこの産
伊勢は亀山 東海道
海までひょい 山までひょい 畑でちょい
水はきれいで おいしいよ
かーめみちゃん、かめみちゃん みそ焼きうどんがたべたいな
いーらっしゃい いらっしゃい
うどんすくって 右手でシュ 左でポイ
キャベツたっぷり ヘルシーよ
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歌詞はできても誰に作曲を頼むか?そんな時、耳寄りな情報があった。
市内の若いシンガーソングライターみきこ。さんが、ライブ活動で、東町でのアートのイベントに来たのだ。
その場でF氏と私が本人に会いダメモトで依頼してみた。 彼女のセンスで歌詞は若干手直しされ、2ヶ月ほどで子どもから大人まで親しみやすいノリの良い歌が出来上った。
完成版の歌詞である。
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亀山みそ焼きうどんソング
作詞:亀山みそ焼きうどん本舗&みきこ。
作曲、うた:みきこ。
みみみ みんなのみ
そそそ ソングのそ
かめやま名物 みそ焼きうどん
みみみ みんなのみ
そそそ ソングのそ
かめやま名物 みそ焼きうどん
じゅじゅじゅ かちゃかちゃ
うまあじ みそあじ このおあじ
じゅじゅじゅ かちゃかちゃ
あまから ぴりから くせになる
はーい みそ焼きうどん できあがり
みみみ みんなのみ
そそそ ソングのそ
きゃべつたっぷり 秘伝のみそよ
みみみ みんなのみ
そそそ ソングのそ
きゃべつたっぷり 秘伝のみそよ
じゅじゅじゅ かちゃかちゃ
つるんとたいらげ もういっぱい
じゅじゅじゅ かちゃかちゃ
しあわせいっぱい くせになる
はーい もりあげもりつけ できあがり
はーい みそやきうどん できあがり
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「かめみちゃんソング」もまもなく完成した。
ただみそ焼きソングの陰に隠れてあまり出番が無くマイナーな状態が続いた。
こちらが日の目を見たのは1年後のB-1グランプリ姫路大会で振付が付いてかめみちゃんダンスが披露されてからである。
いよいよ市外進出へ
2010年が明けてまもなく伊勢市で三重県主催の駅伝大会会場へブース出展することになった。
最初の頃、鈴鹿で小規模に出たことはあったが実質上は初めての市外進出である。
軽トラに機材を満載し県営グラウンドの片隅で販売を始めたが「こんな亀山名物しらんな?」の声ばかりだった。
それでも出来たてのみそ焼きソングをガンガン鳴らし、みきこ。さんにはライブで熱唱してもらい何とか200食ほど完売した。
この様子は中日新聞尾鷲支局がコラム「波の詩」に素敵なコメントと共に報じてくれた。
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三重県ご当地グルメ大会へ
2010年4月に四日市で第2回三重県ご当地グルメ大会があり出場することになった。
この大会は第1回は、うなとん対決として津市で開催され、その時は津のうなぎが四日市とんてきに勝った。
四日市での大会に参加したのは、「四日市とんてき協会」、「津ぎょうざ協会」、「名張牛汁(名張商工会議所)」、「熊野さんま寿司(熊野商工会議所)」それに「亀山みそ焼きうどん本舗」であった。
亀山みそ焼きうどん本舗としては初参戦でもあるし、他のグループと比べれば成り上がりモノでもあった。
普段は寂れた諏訪のアーケードも、その日は四日市祭りもあって人であふれた。
音量いっぱいにみそ焼きソングを流し他を圧倒する作戦も効果を上げ600食を完売し準優勝を獲得できた。
これにより一気に亀山みそ焼きうどんの知名度が上がり大手のコンビニや食品メーカーから商品化の話が舞い込むようになった。
三重県ご当地グルメ大会は、その後も名張、亀山、松阪で開催されている。
こういった相互の連携、情報交換が、成果を結び2011年秋のB-1グランプリ中日本・東海支部大会で上位4位を三重県勢が独占獲得することにつながった。
進む商品化
このころになると、中小、大手の食品会社から商品化の話が来るようになった。
コンビニ業界ではいち早くサークルKサンクスから月限定で販売された。
この商品は好評で短期間であったが亀山みそ焼きうどんを広域に広めた。
スーパーではマックスバリューからは、お弁当タイプが販売された。
愛知県の製麺メーカーセントラル製麺からは味噌とうどんのセットの商品が出た。
これの味噌ダレは桑名のヤマモリが製造し価格が安かったこともあって愛好者も増え東海地区のスーパーで販売されている。
四日市の「いとめん」からも伊勢うどん用の麺を使って同様の商品が出た。
こちらはお土産用にパッケージに高級感を持たせている。
これらはいずれも、かめみちゃんマークをつけた亀山みそ焼きうどん本舗監修の製品で本舗のスタッフは次々持ち込まれる試作品の対応に追われた。
冷凍商品も
肉も野菜も入った冷凍の亀山みそ焼きうどんも静岡県の昭和ミートから出ている。
これは業務用で主にスナック等に販売され一般消費者の購入は困難だが別の利用方法もある。
これが最初に活用されたのは亀山で開催されためざそうバリフタウン 車椅子レクダンス全国大会の昼食である。全国津々浦々からの数百人の来訪者に亀山のご当地グルメを提供しようとしたが、ちょうど姫路のB-1グランプリの日に重なり、機材も人手もまったく無かった。そこで活用したのが、冷凍タイプの亀山みそ焼きうどんだった。大鍋で沸騰させた湯にパックのまま放り込み一度に多量に調理できた。
肉も野菜も入っていて紙皿に盛るだけでよかっし味も好評で、伊勢うどんより気に入ったとの声もあった。
余っても長期保存でき単品販売も出来るから今後もイベント用には活用できそうだ。
マップの制作
亀山市内の亀山みそ焼きうどんの提供店を案内するマップの制作は暫定版も含めいくつかつくられた。
当初は観光協会の案内マップに追記したものだったが次第に本格的なものになってきた。
2010年4月の四日市での三重県ご当地グルメ大会に間に合わせた第2版は市内24店舗の概観写真も記載し
よくWORDでここまでできたと感心するYさんの力作で、その後のマップの原型となった。
第3版は記載を希望する各店舗から5000円ずつ集め2011年1月に1万5千部発行し市内27店舗とその料理の写真も入れた。
第4版はB-1グランプリ姫路用に簡易版を2万5千枚印刷しB-1豊川での優勝の記事も記載した。
日の目を見たもの、見なかったもの
鉄板でのみそ焼きは焦げが頑固に付きやすい。焦げが焼きつくと熱が伝わらず、うまく焼けない。
一回焼くごとに焦げをヘラでそぎ落とさなければならない。B-1用に作ったヘラは柄を延長した。
これにより熱い思いをせずに力任せに一気にそぎ落とせた。
味噌の調合は大変である。量が少ないときは、それほどでもないが多量になると混ぜて熟成させるのも容易ではない。そこで考えたのが写真(右)の器具。
ハンドルを上下しバケツの味噌ダレを撹拌する。しかし出番は無かった。B-1グランプリには味噌ダレも500kg以上必要で専門メーカーが一気に調合してくれた。結局このツールは使わず捨てる運命となった。
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日の目を見なかった味噌かくはん器
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全国放映のインパクト
テレビ局の取材も次々やってきた。たくさんありすぎて書ききれないが、特にインパクトが大きかったのは萩本欽一の「日本元気化計画」と「秘密のケンミンショー」である。
特にケンミンショーは3日間の取材を受け、全国放映でもあり反響も大きかった。放映直後は亀八食堂には行列ができ、在庫のうどんが無くなったそうだ。市役所や観光協会には何処で買えるのかと問い合わせが殺到した。
特技の持ち主たち
本舗はいろんな特技を持つ人材がいる。ここに紹介してみよう。
給食おばさん みやびさん
本舗のメンバーには学校給食のスタッフがいる。
この人のヘラさばきだと、うどんが生き物のように味噌となじんで芸術的である。
身体に力を入れている様子もなく、さすがである。
こちらから動画で見れる。
ヘラさばきの達人 あっちゃん
若手の川森篤さんは2010年12月からの参加で、それまでは鉄板焼きの経験もなかった。
東北岩手での焼きうどんサミットに向けて本人みずから特訓してコツをマスターしたようで、今ではヘラを使いこなすスペシャリストである。関町にある川森食堂の将来を担っている。
よっしーさん
富士宮焼きそば学会の渡辺氏の講演に感動しご当地グルメでまちおこしを発案した。本業は市職員である。
行政の内部に詳しいので当時の三重県知事が始めた「美し国おこし三重」の自立支援事業を活かして鉄板やノボリ旗などの機材の購入にあたり何も無い立ち上がりからB-1グランプリに出られるほどに成長できた。
本舗の顔 峰ちゃん
本舗代表の峰子さんは、本業は衣料品店の女将さんだがテレビの露出は最多である。
レポーターが驚くほど自然体でインタビューに応じており遠慮勝ちの人が多い亀山には珍しい貴重な存在である。
東町商店街活性化の中心人物でアートイベントの代表でもある。
ねこさんこと幸一
この秘話の作者。元電気・機械の技術者、定年後は市民のショップねこの館の代表。
権力に媚びず、時流に流されずゴーイングマイウェイで、ねこのように自由気ままである。
ホームページを制作し全国に亀山みそ焼きうどんを宣伝している。
携帯番号も全国公開なので「亀山みそ焼きうどん」の問い合わせの窓口でもある。
みそ焼きうどんソング(原型)、かめみちゃんソングの作詞者でもある。
代表の峰ちゃんとは同姓で、他所からよく夫婦と思われるが実は他人である。
みきこ。さん
亀山市出身で亀山みそ焼きうどんソングの作曲と歌を担当している。
本業はOLでアマチュアのシンガーソングライターである。
1オクターブ高い美声でかわいく歌い、グルメ大会の会場でも、かめみちゃんとのいいコンビとなっている。
最近のライブでは美樹子の名前で出ている。
ねこさんとのコンビでバリアフリーのまちづくりがテーマの新曲 バリフタウン賛歌の作詞・作曲者でもある。
ボブさん
2011年秋の豊川大会から参加の新人でブログにツイッターに強力な、助けびと。
写真満載のブログで食べ歩き記録も充実している。本業はプロの報道カメラマンらしい。
けんちゃん
本業は新聞記者。亀山みそ焼きうどん本舗のまだ有名でないときから関わってきた。
厚木、豊川、姫路とB-1グランプリの取材にも出かけ素敵な記事に仕上げてくれる。姫路出展記念か結婚記念?に、こんなデコチョコをプレゼントしてくれた。
かめみちゃん
着ぐるみの「かめみちゃん」 軽く小さくキャリーバッグに入って、何処にでも出張している。
バッテリでファンをまわして膨らませるエアー着ぐるみで夏でも暑くないのが特徴である。
子どもたちにも絶大な人気で、フワフワなので時々もみくちゃにされる。
この着ぐるみ、上海製で、当初は乾電池でファンを回しており5分しか持たなかった。
今では、ねこさんの改良で1時間は連続使用できる。
個性を出した店舗
市内には新しくみそ焼きうどんをメニューに加える店も増えてきた。
個性的な店をあげてみよう。
その他にもフランス料理風、陶板焼きセット、中華風、牛肉使用などバラエティに富んできた。
いのしし肉入り
関ロッジ |
英国紅茶とセット
アールグレー |
たまごを載せて
レストランサツキ |
カレーじゃないよ
韓国風の文明館 |
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愛Bリーグ加盟
B級ご当地グルメの祭典B-1グランプリ出展も夢で無くなってきたので「愛Bリーグ」加盟の手続きを進めた。
まず準会員になり、半年以上活動実績を積んで正会員になると全国大会であるB-1グランプリの出展資格ができる。
2010年初めから中日本支部団体の推薦を受けてその年の秋には準会員に登録された。
それから半年、厚木でのB-1グランプリの実地見学や東北岩手での焼きうどんサミット参加で対外経験を積んだ。
2011年1月に愛Bリーグに正会員への昇格申請を出し、審査の結果を待つことになった。
3月には東日本大震災で愛Bリーグも混乱をきたし、結果は遅れたが5月末に正会員への昇格が決定した。
2011年4月には三重県ご当地グルメ大会で優勝を飾り秋のB-1グランプリ支部大会(豊川)、その後のB-1全国大会(姫路)へと準備を進めた。 焼きうどんサミット
全国5大焼きうどんがある。九州小倉焼うどん、津山ホルモンうどん、埼玉鳩ヶ谷ソース焼きうどん、岩手町焼きうどん、それと亀山みそ焼きうどんである。
この5大焼きうどんが終結しての焼きうどんサミットが2010年12月に岩手県岩手町で開催された。
岩手町は人口5千人の小さな町であるが東北新幹線の新しい駅もできてこれからの期待される場所である。
また寒冷の地を活かしてキャベツの産地でもある。
岩手町の主催者から出展打診が来たので、またとない機会と喜び、かなりの自己負担ではあったが5人で参加した。
できたばかりの「かめみちゃん着ぐるみ」も持参した。
東北の皆さんは親切でいたれりつくせりだった。旅館も設備は粗末だが、心からのもてなしが感じられ快適だった。
当日は通常の2分の1の分量で800食を提供し、現地のお手伝いスタッフもいたので無事に役目を果たせた。
サミットだから順位はつけなかったが他の焼きうどんも賞味でき、優劣つけがたい味覚に感心もした。
終わってからの懇親会も楽しくほんとうに参加してよかったと思った。
三重県のご当地グルメ
三重県のご当地グルメはたくさんあるがB-1グランプリの参加基準を満たすグループは多くない。
愛Bリーグでは
・まちおこしを目的とすること。
・非営利団体であること。
・特定の店のメニューでないこと。
などが条件であり食品業界や飲食店組合が主体のグループは対象外である。
現在、相互に連携しているのは、四日市とんてき協会、隠(名張)牛汁協会、津ぎょうざ協会、Do
it
まつさか、熊野さんま寿司協会それに亀山みそ焼きうどん本舗である。「Do
it
まつさか」は松阪鶏焼肉でまちおこしをしている市民グループで、改名してB-1を目指す可能性がある。(注:2013年から愛Bリーグ正会員になった)。地産地消を売りの「鈴鹿おこげめん」は、まだこれからである。
ニセモノ・ホンモノ論議
亀山みそ焼きうどんも人気が出るといわゆるニセモノが出てきた。
ニセモノ必ずしもまずくは無い。何を持ってニセモノと言うか?
本舗だって昔からある国道沿いの焼き肉店から見ればニセモノだろう。
ニセモノが出ると信用と評判を落とすといわれるが、亀山みそ焼きうどんは、まだかけ出しである。
亀山の名前が全国に売れるだけでもありがたいことだ。
結局はお客さんの判断で、まずければその店(業者)は自然消滅していくだろう。
私たちが美味いと思っている店も、10人中2〜3人はまずいという。もともと料理はそんなものだ。
一応、亀山みそ焼きうどんの名称使用の届けがきたら、賞味することにしている。
アドバイスはするが、最終的にはその業者の判断である。
しかし、シンボルキャラクターかめみちゃんの使用は厳密にしている。
この場合は本舗監修として正式な契約書を作成しロイヤリティもいただいている。
クモスケ?料理
雲助とは江戸時代の悪徳かご担ぎのことだが、近世でも蔑称として一部で使われていた。
昭和の時代、大型トラック運転手相手の食堂を雲助食堂と侮蔑の意味合いで呼んでいた。
そうすると「亀山みそ焼きうどんは」はクモスケ料理かな?
まったく気にはならないが、こんな投稿もあったと秘話に残しておこう。
亀八と言えば、暴走族とトラック運転手に評判の汚い鉄板屋だという認識しかない。
少なくとも、OLたちが行くところでもなく、
スーツを着たホワイトカラーも見かけない。
品のいい家族連れも見たことがない。
私は、亀山のイメージは、もっと上品で、
古典的なものだっただけにショックは大きい。
B級グルメか?ご当地グルメか?
B級グルメとよく言う。主にメディアが中心になって普及させた用語である。
ご当地グルメは愛Bリーグ主催のB-1グランプリでの公式な呼び方になっている。
B級だと「じゃあA級は何なの?」になる。なるべくご当地グルメと表現している。
確かに当初は安く美味しい庶民のメニューだからB級グルメでも良かったが、店によっては1000円以上のセットもあるのでご当地グルメが適切だろう。
もうひとつ愛BリーグではB-1グランプリはグルメ大会でなく、まちおこしの活動の発表会だとしている。
メディアの報道が過熱した結果、経済効果も巨額になり、ますますエキサイトしている箸の投票による順位付けは大会の主目的ではない。「B-1で優勝の○○焼きそば」と言う表現は誤りで「B-1で優勝の○○焼きそば学会」が正しい表現である。
味噌だけで売ってくれ
味噌ダレだけの要望は多い。ただ家庭で焼いても、温度が低いので味噌が焦げた香ばしさが出ない。
その理由でホンモノが味わいたいならお店か本舗の出展ブースがお勧めである。
亀八食堂と川森食堂では味噌ダレだけで購入も出来る。
本舗の味噌ダレに近い品は、三重県桑名市のヤマモリ(株)から販売されている。
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この味噌ダレを使うと、夏向きの鍋をつくるのが面白い。
写真は肉(こてっちゃん)、白菜、ネギ、うどんを入れたモツ鍋うどんで、
野菜と肉のエキスに熟成された味噌がなじみ、夏でも美味しく、かめみちゃん鍋と名付けた。
蛇足だが一時期亀八食堂が味噌だけの販売をやめたことがあって、いろんな憶測を呼び、話題になった。
「保健所から怒られた?」「いや、単に容器が切れただけ」
その当時でも、タッパー持参なら量り売りしてくれたので、容器が無かっただけかもしれない。
真相は不明だが、2010年の秋に、復活し今ではレジの横で山積みして販売している。
ところでB-1に出展したときには味噌ダレも500kg以上必要だった。とても手づくりでは不可能なので桑名のヤマモリに依頼し特別に調合してもらった。一袋500gのパッケージに詰めてもらい、鉄板上のうどんに一気に載せられるようにした。
食材は何処の産?
地産地消は最近はあまり聞かれなくなったが亀山みそ焼きうどんは地産地消とは程遠い。
うどんは亀山の産とするのは困難だし、味噌だって同様だ。キャベツだって無理だろう。
コストアップを許すなら、せいぜい豚肉だけかも。
うどんの原料小麦は大半はオーストラリアやカナダ産だ。味噌の原料大豆もアメリカやカナダだ。
焼きそばは各地にあるが焼きうどんは多くない。みそ焼きうどんに限ると、全国でもまず無いだろう。その意味で料理名として亀山のオリジナルだといってもいい。
亀山みそ焼きうどんの名前をもっともっと全国に広げ、将来は地域ブランドになるほどに量・質ともに向上させたい。それには地域の人が、もっと食べ批評しお店を増やしレベルアップにつなげてほしい。東海道筋にはもっと提供する店があってもいいと思う。
B-1グランプリ中日本・東海支部大会in豊川
2011年9月24-25日、愛知県豊川市で中日本として初めての支部大会が開かれた。
参加団体も20団体になり、地方大会といっても全国大会の規模に匹敵した。来訪者も23万人になった。既に愛Bリーグの正会員であり姫路での全国大会に出るつもりの本舗として予行演習にもなる場だった。入念に準備し40名のボランティアを募った。前年のB-1厚木大会の下見から如何に提供スピードを出すか、練習や動線をケンケンガクガク研究し本番に臨んだ。
結果は予想もしなかった2位に大きく差をつけてのゴールドグランプリ!
しかも三重県からの4団体が上位4位まで独占するという、誰も想像しなかった嬉しい成果となった。
ボブさんの写真ブログです。
優勝だ! 歓呼の瞬間
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三重県軍団が上位独占した。
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B−1グランプリin姫路 2011年11月12-13日
参加団体63団体の全国大会で来訪者も50万人を越える他に例の無い巨大イベントに膨れ上がった。
この大会に出られるよう地域での浸透をはかるなど2年間かけて準備をしてきた。
豊川の優勝の喜びの余韻も消えないうちにボランティアの追加募集や機材の整備を進めた。
初出場でどこまでできるか?順位は気にしない。それより大きな失敗がないようにしなくては。
最大の目的は、常連が大半の中で三重県の亀山を全国の人に知ってもらうこと。
KKB(亀山広報部隊)のスタッフも増員しあの手この手で知恵を絞った。
こうして約70名に及ぶボランティアがこの日のために参加してきた。
別途、亀山からの応援隊が約40名現地に向かい、チラシ配りやステージを盛り上げた。
市長も三重県知事もやってきた。もう地域をあげての応援だった。こんな機会は過去にもこれからもまず無いだろう。
それほど盛り上がった2日間だった。ベスト10には入れなかったけど十分満足だ。
一生の思い出に残るほど燃え、燃え尽きた秋だった。
ボブさんの写真ブログです。
笑顔が一番
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やったー お疲れさまーっ
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運送を引き受けたのは
B-1の大会は桁違いの物量を必要とする。肉やうどんなど食材だけでも何トンといる。
机や鉄板、厨房機器や看板などで数トンにもなる。
この運送をボランティアで引き受けたのは市内にある亀山急送の社長だ。
8トンの保冷車を自分から運転して運んでもらった。
他の団体がうらやましがるほどの支援を受けたことも記載しておこう。
市民交流会が応援に
2001年以来、毎年続けている市民交流会という市の委託事業がある。
その都度、実行委員会が組織され市民活動団体や個人が一堂に会して発表や話し合いを通じてまちの未来づくりを提案してきた。昨年は形を変え近江八幡に出かけてまちづくり先進地を学ぶ場だった。
この夏から今年度の市民交流会をどうするか関係者で検討が続いていた。委託にしろ補助金にしろ市民の税金を使う以上、遊びは許されない。そこで姫路のB-1グランプリに全国の市民活動団体のまちづくりを実地体験し学ぶ場とすることになった。同時に亀山を全国に知ってもらうお手伝いをする使命も入れることに決めた。バスは市民交流会が用意し飲食費は個人負担で募集しB-1グランプリを体験することになり約40名が11月13日姫路の会場に入った。2日目の会場は想像を絶する人であふれていた。全員が応援帽子をかぶりステージを盛り上げ、広大な会場で亀山の宣伝チラシを数千枚も配布した。
かめみちゃんダンス
かめみちゃんソングには、ご当地亀山を全国に紹介する歌詞を入れ込んだ。
これに振付を付けたいという思いは当初からあった。
そこでお願いしたのが、元小学校の先生で運動会などでダンスの指導経験もあるくーちゃんであった。
子どもから高齢者まで簡単に踊れるようなやさしい振付で数分でマスターできる。
日の目を見たのはB-1姫路大会のステージからである。
大会後は西小学校の3年生にも披露することになった。
かめみちゃんダンスの動画はこちらです。
燃え、燃え尽きた2年間
2009年夏から2011年秋まで、まさに燃えた2年間だった。
不可能だと思っていたB-1グランプリにも出られた。
中日本支部大会で優勝というすごい体験も出来た。
こんな経験はそうあるものではないだろう。B級グルメがブームとなってラッキーな時期だったこともあるが、何より多くの皆さんが目的をひとつに結集できたことがうれしかった。
今後はどうするかは、別にして、ひとつの区切りが付いたので秘話としてまとめてみた。
2011年
年末
市民のショップねこの館 ねこさん こと 伊藤幸一
亀山みそ焼きうどん本舗への問い合わせはこちらです。
亀山みそ焼きうどん本舗のサイトはこちらです。
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