さて、ケニヤで今何をしているかって言うと、まず私を宣教師として受け入れてくれたのは、デイスターという大学です。デイスターというのは明けの明星という意味です。
ケニヤには、5つの国立大学と4つの私立の大学がありますが、デイスターは、私立の大学のひとつです。教育学科・聖書学科・地域開発学科・経営管理学科・コミュニケーション学科そういう学科がある私立大学です。
ここには1600名の学生がいます。アフリカの15ヶ国の国から、またアメリカ・アイルランドから留学生が来ています。
そこで、わたしは旧約聖書について教えていますし、どうやって教会のクリスチャンを訓練するかとか、キリスト教の活動をどのように社会で行うかとか、どうやって教会を大きくするかとか、そういう科目について教えています。
そこに来る学生は、ケニヤの学生はほとんど中流家庭の学生ですね。外国から来る学生は、奨学金をもらって来ています。
出身はエチオピアであったり、ウガンダであったり、コンゴ、ルワンダ、ナイジェリア、ガーナ、モザンビーク、アンゴラ。ほとんどの国が内戦を経験し、たくさんの虐殺を経験しています。そういう大変な国から来ている学生たちが、私のクラスで学んでいるわけです。
たとえば、このライベリアからきた学生は、自分はある日森の中から自分の村にゲリラみたいな兵士がやってきて、そして自分の弟や妹を捕まえて、「おい、半そでが良いか、長袖が良いか」って聞くんです。そして、長袖が良いと言うと、こうやって手首から鉈で切るんです。半ズボンて言うと、膝から下をちょん切る…。そういうことをして村を襲っていくわけですね。
彼はそのときに逃げて、そして宣教師の人に出会って奨学金をもらって、学びに来ているんです。
あるいは、ウガンダという国からきているこの人は、内戦で家族で森の中を何百キロと山を越えて逃げ延びてケニヤに来て、宣教師に出会って、この人たちの助けで学生としてきているんです。
まあそういう大変なところから来ているわけで、それぞれの国の悲惨とか悲しみとか、そういうものをもって学んでいる学生たちです。
で、大学で教育を受けるって言うことは、アフリカでは大変なエリートになることを意味しています。就職も有利だし、生活もある程度安定するわけです。
問題は、そういう教育を受けた人たちが、自分さえ豊かになればよい、自分に与えられた特権を利用して自分だけハッピーになれば良い、といった風になる…。
つまり、他人はどうなっても良いわけです。
自分が教育を受けられたからラッキーと、そうなるかもしれません。高等教育を受けながら倫理的・道徳的にちっとも成熟していない、そういう人間が社会を悪くしていくと言われます。そういうのをeducated foolと言うのですが、助け合うとか、分かち合うとか、仕えるとかいうことをしない、高等教育を受けた人たち。
そういう指導者がアフリカに多いことが、大きな問題であるわけです。
ですから私は、厳しいアフリカの現実を通ってきた学生たちが授業のあらゆる機会に自分のやるべきことは何かを見つけて、そうして、自分の国に帰ったら同胞たちに仕え、国の復興のために働いて欲しい。そういう願いをもって訓練をし、国に送り返すことが、私の使命だと思っています。
ですから、そういういろんな社会の分野のリーダー、仕えるリーダー――それをサーバントリーダーといいますが、そういう人材を養成したいと思っています。
今まで私のクラスで学んで自分の国に帰った学生たちがたくさんいます。その中には、エチオピアに帰って牧師になって、向こうで牧師を訓練する学校を創って、そこの校長になっている人もいます。その彼が夏の集中講座の講師に招いてくれて24年前とは違った形でまたエチオピアの人たちと一緒に生きるということができるようにもなっています。
それから、ケニヤの中でも旱魃の厳しい北のほうの地域で、教会の牧師として地域の人の職業訓練とか衛生問題とかそういうのに取り組んでいる人がいますし、モザンビークのような内戦のある国では、高校の先生になって若い人を教育しているとか、あるいは、コンゴという昔のザイールでは、若い人たちを集めて職業訓練校を作ったりとかの活動をしている人たちもいます。
再び自分たちの国に戻って同胞に仕える人たちが、この大学から出て行っているということは、大変嬉しいことです。
それからスラムでですね、3つの教会で働いていました。
先ほど言いましたように、汚い4畳半くらいのところに10人くらいが住んでいます。トイレもありませんし、水もありませんから、20リットルのポリタンクに何処かで一日の水を汲んできて、皆でわけながら、コップ一杯の水で顔を洗ったり衣類を洗ったりしている。
そこでは婦人の問題もあります。
ケニヤでは男がだらしが無いっていうか、すぐ結婚しては、捨ててしまう。お金を稼いでいる女の人には、紐のようにいつまでも一緒にいる。女の人が仕事をなくすと、すぐ他の女のところに行ってしまう。そういう人がスラムでは大勢います。
ですから、女性が非常に苦労していて、そういう夫に捨てられた女性たちの職業訓練にかかわっていました。職業訓練というのは、洋裁を教えたり、あるいは男の場合は溶接を教えたり車の修理とかやるわけです。それから、学校にいけない子供たちの幼児教育を助けたりします。
そういうのは、ケニヤ人の人を呼び寄せてやるわけです。
それから、ワールドビジョンという世界規模のNGOがありますが、その働きに関わりケニヤ北東部でソマリアの内戦の後、難民たちが来ました。その人たちの為に砂漠の中に100メーター四方位の貯水池を掘るとか、そういう仕事をしてきました。
あと、診療所を建設したりしてきました。
また、虐殺の後、ルワンダという四国くらいの小さい国に行きました。
そこでは、今もまだ村の教会に、殺された人たちの遺体がそのまま残してあるのです。 頭を槍で抜かれた、白骨化した頭蓋骨が、教会の外にそのままで置いてあるのです。
ルワンダの人たちは、それは虐殺を忘れないためにおいてあるんだと言っていました。
ですから、最初ルワンダに行ったら、アフリカというのは人口爆発で人が多いはずなのに、人がいないんです。全然人がいない。
そういうところに行って、ぼちぼち戻りかけた人たちに、ジャガイモや野菜の種や農機具を配ったり、あるいはケニヤからやぎを運んできたり、そういうことをやりました。
それから、2年前から妻と一緒に、教会と幼稚園を開いています。
こちらの学校では、幼児期からいろんな知識を教え込むのですが、知識教育ばかりで、人としてどういう風に生きるかとか、人を助けるとか、人を敬うとか、そういうことを学校が教えない。 だから頭でっかちの人ばかり増えてきて、そういう人たちの教育を受けて、そういう人が社会の指導者という立場につくから、ちっとも社会が良くならないのですね。 では、そういうことを何処で教えるか。それはやはり、ケニヤの場合は、内容はともかくとしてキリスト教徒が70%といわれていますから、教会がその役割を果たす場所だと思ったわけです。 それで、教会を始めたわけです。
また、ケニヤの家庭ではみな、女性も仕事をします。それで子供の教育は誰がやるかというと、田舎の方から若いお手伝いさんを雇って来てもらう。そして、子供の服を着せたりして面倒を見るわけです。すると、子供は自分からは何もできないまま、自分で考えることをしなければならない歳になってしまう。 そういう子供がだんだん増えてきているわけです。 人と一緒に生きるとはどういうことか、そういうことを誰が教えるのか。両親には、時間が無いのが現状です。
ですから、やはり幼児期のうちに、ひとと一緒に生きるとはどういうことか、とか、人を敬うというのはどういうことか、分かち合うというのはどういうことか、そういうことを体験的に学ぶ必要があると思います。だから教会の敷地内に幼稚園を始めました。
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