亀の細道
ウォーキングまっぷ

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01 静寂のバンドウ越え  02 桜の名所を訪ねて 03 坂本棚田と石水渓白糸の滝 04 市境を越えて石山観音へ 05 加太の里を歩こう 
06 春を訪ねて梅林コース 07 黄色のじゅうたんミツマタの森 08 安楽古道と坂本棚田 09 茶園とコスモス祭り 10 隠れ古道 金王道を訪ねて
11 川のほとりの梅林コース 12 ササユリの里をたずねて 13 コスモスと古刹を訪ねて 14 秘められた細道 金王道東部 15 せせらぎの小川と水辺公園 
16 穴虫の郷へアジサイを訪ねて 17 みちくさと歴史を訪ねて 18 往時を忍ぶ加太越 19 下庄観音と隠れ小道  20 能褒野神社と古戦場 
21 SPECIAL 明治の偉業を訪ねて 22 平家伝説の加太郷 23 懐かしい木造校舎を訪ねて 24 旧伊勢別街道を往く 25 能褒野 歴史ロマンの旅
26 野登の古刹と小川集落 27 羽黒権現と裏羽黒へ 28 埋もれ小道を訪ねて 29 下庄の里山歩き 30 和歌と旅人の道
31 近くて遠い小道 32 隠れ坂巡り 33 忍山大橋と旧機関区 34 穴虫の郷とハスの花 35 鈴鹿との市境を往く
36 関の古城跡と観音山 37 ササユリの里と消えゆく小道 38 一身田へ迷いの細道 39 安楽古道と天空の森 40 加太の鉄道遺産と小山新田
41 鹿伏兎城跡と板屋行者さん 42 SPECIAL今は亡き男たちの挽歌 43 余野公園と油日神社 44 迷いづくしの里山コース 45 埋もれゆく事故事件の跡を訪ねて
46 大和街道更なる西へ 47 変わりゆく白川地区を訪ねて 48 筆捨山の尾根を往く 49 サンシャインパークを抜けて 50 伊勢別街道と旧明(あきら)村役場
51 石水渓白雲の滝へ 52 杖衝坂と菅原神社 53 江戸時代の一揆跡を巡る 注意事項 ご挨拶
埋もれゆく事故事件の跡を訪ねて
列車転落事件(関町史より)
関町合併後の昭和31年9月27日、午前7時半、濁流の加太川に列車が転落するという大事故が発生した。
事故の報は列車乗務員から加太線路班、加太駅、加太駐在所、亀山警察署、関町消防団へと一刻を争うようにして伝えられた。
亀山警察署の当直増田友由巡査は早速番乗市雄署長に急報と同時に全署員を非常招集、同じ頃関町内にはけたたましいサイレンが鳴り響き、山内喜久夫消防団長も消防車を途中で乗り捨ててロープやハシゴを手にした団員とともに線路沿いに現場へ急行した。
転落車両は屋根の下まで激流に洗われ、屋根の上には乗客7人が助けを求めていた。
加太線路班の北川工手と杉野副工手長がロープを投げるが思うように届かない。
そのうちに消防団員、国鉄職員各30人が現場に到着した。「がんばれ」「落ちつけ」と激励するが、加太川のごう音にかき消された。
生死の極限状態の中での救出活動は困難を極めたが、その中でも関町加太の山本春光氏は、周囲の止めるのも聞かず単身ロープを身体に巻き濁流に入り3人を救助した。この列車事故で計8人の男女の犠牲者が出た。


関西本線列車脱線水没事故

1956年(昭和31年)9月27日7時20分ごろ
関西本線関・加太間を走行中の亀山発湊町行き列車が、金場トンネルを出て150mほどの地点で土砂崩れに巻き込まれ、客車6両のうち2両目が前後の連結器がはずれ脱線、加太川に転落した。客車は水没、乗客3名は救助されたが、残りの8名(旅客5名、職員3名)は激流に流され死亡した。台風15号が接近中だった。

 

当時の新聞記事
事故のイメージ絵  作:豊田康文

加太 牛谷での高圧電流流入火災事故

昭和30年代には家庭の電化が大きく進んだ。
テレビがほとんどの家庭に普及し洗濯機も普及すると電気の消費量もうなぎ上りとなった。
一方、電力会社の供給設備は電灯程度の小規模だった時代のままで、安定供給には至っていなかった。
変電所からの高圧配電線は6600ボルトになっていたが当時は耐えられる絶縁材料もなく裸線であった。
それゆえ樹木や鳥獣の接触による停電も頻発していた。

そのような時代背景の下、加太で発生した集落への高圧電流流入火災事故は全国でも例を見ない惨事で
「起こるはずのない事故が起こった。」と配電にかかわる関係者を震撼させた。
原因は人為的または技術的な理由で本来作動するはずだった変電所の保護装置が機能しない状態となっており電柱のガイシ不良で架空電線の1本が地面につながったままになっていた。
そこへ別の箇所のケーブルの絶縁不良で高圧電流が電柱に流れ100ボルトの電線に高圧電流が流れこんだ。
その結果、何軒かの家屋で一斉に火災が起こり住民1名が感電死した。

引用 文芸亀山
摩枝あきら(故人)   「かわせみ」

1967年、昭和42年7月19日、水曜日の午前7時30分を過ぎた頃、総務担当の石垣は、営業所の門をくぐり・・・・

事故点は、営業所から約15キロ西方の、緑の濃い夏山が美しく連なる麓の山村、河鹿村字馬谷(加太村字牛谷)、河鹿線(加太線)68号柱の変圧器に負荷している民家7軒である。

民家7軒の、家中の電気器具という器具すべてから、火を噴いて火災を起こし、そのうち2軒が全焼した。犠牲者も、7−8名の死傷者が報告されていた。

「『パシッ』という音で目が醒めた。枕元の電気スタンドから、火花が散っている。テレビからも、そうだ。急いで階段を降り、台所へ行くと、電気の安全スイッチの下で、長男の孝治が倒れていた。冷蔵庫からも、盛んに火花が飛んでいる。離れ座敷で寝ている老妻の様子を見ようと思って玄関まで行く間中、足元がパチパチ鳴って、まるで電気の海を走っている感じだった。妻の寝ている蚊帳が燃えているので、引きちぎり、裏庭へ放り投げた。」
以上が、安全スイッチを切ろうとして、感電死された西沢孝治氏の、八太郎さん(76歳)の恐怖の談話である。


当時の配電変電所(亀山市天神)
本来はここで保護装置が働き事故は防げるはずだった。
当時の関係者は既に故人であり真相を墓場まで持っていったのかも。


平乃澤城址へのルート

屋敷跡の石垣?