自分史  31〜35歳

 

07自分史 31〜35歳  
<子育てと趣味と充実した日々 1980年〜1984年>

30歳の秋に息子が生れ2人の子持ちとなった。
かわいい盛りの子どもたちと人生を謳歌した。
労働組合の役職もあって公私ともに多忙だったが若さで乗り切った。
組合の役員の職務で特に多かったのは組合員の家族の葬儀への参列だった。
ほとんどすべての地区、宗派の葬儀を体験でき式服が欠かせなかった。



自宅の庭に大きな鶏小屋を作った。
3−4匹のめんどりを飼って卵に不自由はしなかった。
底は地面なので草も生えたとたん鶏が食べ糞尿もすぐに分解されるので掃除もいらなかった。
ウサギを親戚からもらったので一緒に飼ったらけっこう仲良く共生していたが穴ウサギだったので穴を掘って逃げてしまった。
この鶏たち、最後までそこで暮らしたのでこんな文を年賀状に書いたことがあった。
「伊藤家の庭で暮らして早や10年、卵産まねど餌もらい---老鶏」

1983年3月市内の家庭で衝撃的な悲劇が起こった。
家族4人が心中を図り家も全焼した。父親は小学校教師だったが次男が万引きをしたというので激昂し妻と次男を殺害し自宅に火をつけ自分も亡くなった。唯一長男だけ逃げて助かった。
同じ世代として余りにもショッキングな事件だった。

子育て真っ最中の時期、毎日出るゴミも多かった。庭にブロックやレンガで焼却炉を作り毎週休みの日はゴミ焼きをした。当時はまだダイオキシン騒ぎもなく自宅で焼却する家も多かった。

趣味の方でも、地域のアマチュア無線技士の講習会をするのに必要だというので
2級の資格を取得、更に勢いで和文モールスを覚え第1級アマ無線技士の資格まで取った。

実はこの頃、無線ブームで多くの人が資格を欲しがり認定講習が各所で開催された。
その利権を求めて暴力団関係者が資金稼ぎを始めたので、それを阻止するため地元のクラブで講習会を開催することにしたのだ。

趣味の無線いじりの部屋も増築し部屋いっぱいに無線や測定機器を揃え屋根にはいくつもの自作したアンテナを設置した。

当時黎明期を迎えたパーソナルコンピュータ(パソコン)にも興味がわき次々部品を購入した。
初めて買ったパソコンは今では考えられないほど酷い信頼性でおもちゃにしかならなかった。
それでも指示したように動くことが感動だった。

東京方面への出張があると金曜に設定し一泊してから帰りに秋葉原に立ち寄るのが常だった。

初めて買ったパソコンTRS80(USA製)
まだ国産は無かった。

7--31〜35歳 終わり