自分史  66〜70歳

 

14自分史  66歳〜70歳   
<穏やかな老後を目指して  2015年〜2019年>

特に波乱もなくただ歳月だけが驚くほど早く過ぎていく。
鏡を見るたび歳を重ねるのが自分でもわかる。

あいかわらず各種イベントへのボランティアは続けていた。
2017年にはバリアフリーの普及啓発イベント「めんめんフェスタ」に関わりオープニングセレモニーを担当した。
同じ年の秋、亀山トリエンナーレ2017が開催され、ねこの館からありったけのパソコンを貸し出し技術的な無理難題にも好奇心で取り組んだ。
自宅の敷地の離れの6畳間は約1か月間無料宿に提供し超個性的な若者たちとの交流を楽しんだ。

山歩きは続けていたが雨引山の崖登り中につかんだ草が抜け真っ逆さまに墜落・・・
身体が宙に浮いた瞬間、偶然そこにあった立木に引っ掛かり怪我もなく奇跡的に助かった。
従来ならこんなドジはありえなかった。
歳を感じ、これを機会に危険な山は止めることにした。

在米の息子夫婦に子どもができた。初孫である。
頻繁に送られてくる写真毎に成長が感じられ嬉しいことだ。

妻が乳癌となり何年か治療が続いたが予後は良かった。

同期生が亡くなることも多くなった。
自分も癌年齢なので検診を受けたら大腸癌が見つかった。
2017年の秋に手術で2週間ほど入院し3箇月もたてば日常生活に戻った。

15年間続けてきたウォーキングクラブあるこうかいの案内は60コースを数え新たなルートが無くなるほどになった。
今までほとんど誰も気づかなかった萩原地区の亜炭炭鉱跡にも100名を超える皆さんを案内できた。
活動の記録に小冊子「亀の細道」「続 亀の細道」を作成し観光協会から発行した。

自分としてどうしてもこだわったコース「埋もれゆく事故事件跡を訪ねて」で加太の列車転落事故と高圧電流流入事故を皆さんに知ってもらったことで一つの区切りとなった。

2018年2月、母も98歳という高齢で静かに亡くなった。
夫婦だけの自由な暮らしとなり一周忌の後、妻の「お遍路でも行こか?」の一言がきっかけで、お遍路に興味を持った。

遍路について調べると次から次ヘと膨大な先人たちの資料があった。
今でこそ観光気分で歩く人もいるが遍路の歴史はすざましいものだった。
業病(ハンセン病)で故郷を追われ同行二人の信仰にすがり遍路する人たちが居たこと。
戦争での壮絶な体験から懺悔の旅に出た遍路などあまりの奥深さに圧倒された。

下調べを納得いくまでやりつくし2019年春に徳島からスタートした。
高知、愛媛、香川と4県を春夏と計6回に分けて夫婦で歩き続けた。

途中、永く一緒に市民活動をしてきた仲間の死もあり祈りの旅でもあった。
海岸沿いの山道に句碑が並んでいた。
  名も姓も問わず遍路の別れけり
  みちのくの悲しみ祈るへんろ道
  亡き妻に背中押されて夏遍路 等々

遍路道は果てしなく遠く厳しい。
人生即遍路の碑が各所にあった。
息も絶え絶えで南無大師遍照金剛を唱えながら歩んだ人もいただろう。
力尽きその場の土に還った人も数知れない。
同じ空間を歩んだ先人遍路に思いを馳せ涙があふれた。


14--66〜70歳 終わり