自分史  36〜40歳

 

08自分史 36歳〜40歳  
<楽しかった子育て 1985年〜1989年>
子どもたち2人も小学生になった。

世間では日航機の墜落事故(1985年8月)など大事故もあった。
我が家でもさまざまなトラブルはあったはずだけど、今となっては楽しい思い出ばかりだ。

日曜には誰もいない職場に連れて行き「これがお父さんの仕事だ」と子どもたちに見せたりもした。

家族で行った山登りや遊園地等など。
最後には富士登山も成し遂げた。
富士登山は第1回目は富士宮口からチャレンジしたが7合目で猛烈な雨になって敗退した。
翌年は須走口から夕刻のスタートとし途中の小屋で寝て8合目でご来光、昼近くに頂上と余裕の行程で家族4人無事に初登頂ができた。
下山は砂走りを一気に降って3時間程度でふもとに着き楽しい思い出になった。

更に翌年は家族で立山の縦走にもチャレンジした。
室堂の雷鳥荘に泊まり一ノ越>雄山>真砂岳と残雪を踏み剱岳を遠望しながら雷鳥荘に戻る贅沢なコースだった。

子どもが小学生の頃は地域では子ども会活動があった。
男子はソフトボール、女子はキックボールの地域対抗試合がメインだったがキャンプやクリスマス会もあった。同世代の親たちの地域交流の場にもなっていた。

自分の人生の反省から親の過干渉を避け自立できるように育てた。
子どもからの「なんで?なんで?」の連発にも、妻があきれるほど面倒くさがらずに最後まで付き合った。

個性豊かな性格は、引き継いだようで、二人とも6年制の私立中学に進んだ。
自分の高校生時代には別世界だったセントヨゼフに娘が通いだしたのは嬉しくて仕方なかった。


子どもたちが小学生の頃

8--36〜40歳 終わり