亀の細道
ウォーキングまっぷ
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牛谷川の煉瓦の橋梁 明治維新からわずか20年余りで関西鉄道会社は現在のJR関西線になる鉄路を開きました。 トンネルの巻立に使うレンガ(煉瓦)は300万個も必要だったので、地元に煉瓦製造所を設けたそうで、この辺りにはレンガ造りの橋梁がいくつか残り現在も使われています。写真は市場にある牛谷川を関西線が越える部分の橋梁です。牛谷川は広い集水面積を持ちながらこのような狭い水路であることに驚きます。 大雨でも雨水が一気に流れることなく広大な森林がダムの役割をしていると思われます。
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列車事故の記録 もう半世紀以上も前ですが1956年(昭和31年)9月27日午前7時20分、関町加太金場の関西本線 関−加太間で亀山発湊町行き列車(7両編成)が土砂崩れで脱線し、客車1両が台風15号で増水した加太川に転落しました。 救助のロープで助かったのは男性1人、女性2人で、ロープを離したり解けたりして川に転落した人など8人が死亡しました。 遭難者の捜索に、地区を動員してあたり、最後の一体は数ヶ月先に河口近くで発見されたそうです。 |
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金場隧道を抜けてから線路を渡ります。 | |
名阪越川大橋の下をくぐったら左手に行きます。 越川への道は集落を抜けると行き止まりです。 |
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久我から名阪国道に沿って 福徳には入らず萩原に向かいます。 久我も福徳も名阪が開通するまでは この辺りは中野川の源流地帯です。 |
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萩原はかっては亜炭炭鉱がありました。 今でも炭鉱橋。風呂屋橋など往時をしのばせる 痕跡が残されています。 名阪の開通により団地やドライブインもでき |